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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第7章 はるとくろえとみんな

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第77話 私とお母さん―①

 私の中に残った記憶は、たったの6年。


 その中で、一番鮮明なものは何だろう。


 冷たい夜に独りぼっちのベッドの感触だろうか、かけっこで誰にも追いつけずにみんなの背中ばかりの光景だろうか。


 それも忘れられないけど、でも、きっと、何より覚えているのは。


 蒼く。蒼く。


 鮮明に映し出された、ある街の蒼空。


 それは、一度、田川さんに連れて行ってもらった、お母さんの個展で見た、たった一枚の写真。


 言葉にならないほどに綺麗で、想いを失くすほどに鮮烈で。


 誰よりも、何よりも、特別であることを理解させる、暴力的なまでの美しさ。


 たった6歳の子どもにすら、理解できてしまう、致命的な差異。


 『普通』にもなれない私の、誰より『特別』なお母さん。


 だからこそ、私の隣には、居てくれない人。


 それが、私が記憶喪失になっても忘れなかった、多分最も、原点に近い記憶。


 ふと、ちちち、と小鳥が鳴くような音に誘われて、目を開ける。


 白いシーツを身体から退けながら、ふっと目を回すと、周りが明るい。


 …………あのまま、寝ちゃったのかな。近くにあったスマホを手に取ると、もうすっかり朝になっているみたい。


 しばらく、そのままぼーっとしていると、不意にがらりと扉が開いた。


 驚いてそっちに目を遣ると、そこに居たのは、朗らかな笑みを浮かべたお母さんの姿。


 私に目を向けると、余計ににんまりと、笑みが深くなる。


 「おはよ、はる」


 そんな元気いっぱいなお母さんから、少しだけ目を逸らしながら、私はおずおずと頷いた。


 「おはよう……ございます」


 …………私の数少ない記憶の中で、お母さんとこんなやり取り交わしたことがあったっけ。大体、仕事終わりの夜遅くに帰って、そのまま私が起きる前に次の仕事に行っていたから、あまり覚えがない。


 当たり前の挨拶なのに、上手く慣れない。何とも言えない気まずさを抱えたまま、私は口をもごもごさせることしか出来なかった。


 「早起きしちゃったから、ちょっと散歩しててさ。病院の傍に、小鳥の巣があったの。思わず気に入って撮っちゃった」


 そんな私を見て、お母さんは少しだけ、静かな笑みを浮かべた後、朗々としゃべり出す。私はそれに大した反応もできないまま、ただ曖昧に頷くだけ。


 「………………そう……ですか」


 返す言葉もなんか覚束ない。普通、親子ってどんな会話をするんだろう。


 しばらく、そうして、何とも言えない空気が漂った後、お母さんは不意に、指を鳴らした。まるで何かを思いついたみたいに。


 「……んー。そうだ、折角だから、はるも一緒に行かない? 散歩、ちょっと気分が晴れるよ?」


 そんなお母さんの言葉に、思わずえっと詰まってしまったのだけれど。肝心のお母さんは、さっぱり気にした様子もなくて。


 私に自分のコートを着させると、あれよあれよという間に、外に出る準備を始めてしまった。


 有無を言わせぬままに、気付けば私はベッドから引っ張り出されていて、ぎゅって握られたお母さんの手に引っ張られていた。


 少し渇いて、でも力強くて、ちょっとだけ柔らかい。黒江とは、少し違う手のひら。


 そんなお母さんに引っ張られながら、私たちは朝の散歩へと足を進める。


 まだあまり人が起きていない中、どこか静さに満ちた空間を、快活に。


 「さあ、しゅっぱーつ」


 そんな、お母さんの、温かくも冷たい手の温度感じながら、ふと思う。


 こんなこと、私は今までしたことがあったっけ。


 こんなこと、本当にしてもらっていいのかな。


 わからないまま、ただこの手を引かれるまま。


 少し俯きかけた瞬間に、昨日の黒江の言葉がふっと脳裏に蘇ってた。


 『―――大丈夫』


 そんな彼女の言葉を想いだしながら、ふと顔を上げた時。


 こっちを振り返った、満面の笑みのお母さんと目が合った。


 その笑みを見ていると、どうしてか、喉がぎゅっと詰まるような感じがしてた。


 そうしてようやく、想いだす。


 そういえば、そうだった。


 私はきっと、こんな当たり前な親子みたいなやり取りを。


 ずっと、ずっと、前から望んでいたような。


 そんな事実を、どうしてか今更、想いだす。


 そんな価値は、自分にないと。


 もう随分前に、諦めてしまってたけど。


 窓から差す朝焼けの中、冷たくて静かな廊下を、二人で行きながら。


 そんなことを、想いだしていた。


 本当は、きっとずっと前から。















 ※




 「それでね? 駐車場の裏に抜け道があってね? そこを抜けると川に繋がってたの! 綺麗な川でね、せせらぎの音が心地よくって、はるにも見てもらいたいんだー」


 そんなお母さんの、元気はつらつ、パワー千倍の(私と比較して)声を聴きながら、私は息も絶え絶えに顔を上げた。


 ちょっとおセンチな気分になること、およそ数分。朝の散歩と称して、お母さんが向かったのは、近場の林の中。道なき道を、すいすいと強靭な足腰で進んでいく実母に、私は震える足を引きずりながら、どうにか引っ張られていた。


 おかしい、朝の散歩って、こんなハードだったっけ? 年齢的には当然私の方が若いはずだけど、そんなアドバンテージは皆無に等しい。私が木の根と小石に足を取られている間に、お母さんは山肌を遊歩道くらいの軽さで進んでいく。


 ひゅーひゅー変な音を立てる肺を震わせながら、上手く返事もできない私に、お母さんは楽し気に朗々と言葉を続ける。


 「いやー、アラスカとか、グランドキャニオンとか撮ってきたけど。やっぱこういうとこにこそ、身近な『綺麗』は潜んでるんだなって。改めて発見があるよね―――」


 何か楽し気に発言していらっしゃいますが、生憎、私には相槌を打つ肺活量すら残されていませんよ。


 ていうか、世界的写真家と、推定運動不足女子高生の、体力差を舐めていました。そして、私は現在の体育の成績を、記憶喪失の身でなんとなく察してしまう。まあ、知ってたけどね!


 そんな駄文すら口に出来ずに、私はとうとう足腰に限界が出て転んでしまった。


 あう、痛い。木の根が膝に当たって、ジンジンする。事故の打撲と重なってるから余計に痛い。


 そんな私を、お母さんは少し不思議そうに眺めて、あっと思わず口を手で抑えてた。


 「そ、そうだった……はるは事故に遭ったばっかりだもんね……ごめん、私のペースで歩いちゃってた……」


 ……多分、原因は事故の怪我ではなく、根源的な体力差なのですが。それを説明する気力もなかったので、私はぜえぜえと震える息で返事だけしておいた。返事になっているかはわからない。


 「うーん……仕方ない、ちょっと危ないけど、おいで」


 そうやって、しばらく近くの樹に身を預けていたら、お母さんはくすっと笑って、そっと私に背中を差し出してきた。そのまま、ちょっとしゃがんで、まるで何かを待っているみたいだ。


 「…………?」


 私はしばらく意図が分からず、首を傾げた。


 「ほらー、はるー、はやくー」


 そうして、催促されること数秒、ようやくその意図を理解する。


 「…………え、えと、さすがに重いと思う」


 どうにも、おんぶされようとしているらしい。でも、ここは山肌、足場も悪くて、何よりいくら私の脳に6歳までの記憶しかなくても、身体はしっかり17歳。さすがにちょっと危ないし、申し訳ないような……。


 「ほら、いいから、いいから」


 そう想いはするのだけれど、お母さんはさして気にした風もなく、私にせっせと背中を揺らしてくる。別にいい、と突き放してもよかったのだろうけど、息はあまり続いてなくて、何より断るのも申し訳ない気がした。


 結局、実母に体力負けして、背負われる17歳の構図が誕生する。


 誰にも見られてないけど、顔が熱くなりそうだ。でも、そんな私を気にした風もなく、お母さんはよっと体勢を立て直すと、すたすたと山肌を駆けあがってく。


 うーん、体幹が全くぶれない。人一人背負っているとは思えない身軽さ。触れ合う背中も、なんだか妙にしっかりしてる。


 「ふふふ、凄いでしょー。伊達にいっつも、カメラを担いでないのだよ」


 そんなお母さんの言葉にも、私は何も言えず、結局恥ずかしさをと情けなさを誤魔化すため、その背に顔をうずめることしかできなかった。


 散歩をした記憶すらないのだから、当たり前だけれど、お母さんに、おんぶしてもらった記憶はない。


 こうやって、人に背負われて、山肌を登っていく光景も。


 冬の朝の冷たい空気の中、木々が枯れた山肌を、せっせと登っていく感覚も。


 どれも彼も、私の短い記憶の中には、さっぱり見当たらないものばかり。


 そんな、なんだか、少しふわふわとした感覚の中。


 私はただ、私より逞しいその背中を、ぼんやりと見つめてた。


 私の知らない、じんわりとした温かさを、その場所に感じながら。


 そうやって、ちょっと変な親子の、朝の散歩を続けてた。






 ※

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