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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第7章 はるとくろえとみんな

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第76話 姉を信じる

 私の膝元で丸くなるはるを撫でながら、そっと眼を閉じる。


 さらさらと髪が流れる音がする。柔らかい感触が、指の隙間を滑り落ちていく。


 心地よくて、ほんのりと温かい。


 そんな感覚に、少しだけ意識を預けていたら、ふと気づいた頃には、隣から響く音が小さな息遣いだけになっていた。


 すーすーと、穏やかに。身体がゆっくりと小さな呼吸を上下に揺れている。


 …………眠っちゃった。そんな様子にくすっと笑って、少しだけ伸びをしたころのことだった。


 ガラッと音がして振り向くと、お義母さんが少し、驚いたような表情で固まってた。


 私がそっと指を唇に当てると、お義母さんは軽く頷く。そして、そろりそろりと足音を忍ばせて、私たちの傍までやってきて、そっとはるの顔を覗き込む。


 「…………寝ちゃった?」


 そんな、少し抑えた声に、私は軽く微笑んだ。


 「うん……結構、移動長かったしね。疲れてたんだと思う」


 言いながら、はるの髪をそっと撫でると、少しだけむずがるように頭が動く。そのままぎゅっと、私の手を握ってきて、ちょっと可愛い。


 「そっか、大変だったもんね……」


 そんなはるを、お義母さんは少し眩しそうに眺めると、そっと私の方に手を伸ばしてきた。


 …………?


 そのまま、ぽんぽんと私の頭に手が乗せられる。そのまま、わしわしと頭が揉みしだかれる。


 「…………頭皮マッサージ?」


 にしては、指使いが優しいけれど。


 「ふふ、頑張った家族を褒めてるの。……ありがとね、くろえ、はるのことを、ちゃんと見てくれて」


 少し恥ずかしかったから、誤魔化したのだけれど、さらっと受け流されてしまった。私は苦笑いを抑えながら、まあ……とりあえず、甘んじて撫でられよっか。


 「うん……まあ……ね。昔、はるが面倒見てくれた分くらい返さないと……」


 そう言い訳する言葉が、どうしてか少し心もとない。上手くお義母さんの顔を見れないし、少し頬が熱い気もする。


 「そうだね、でも、だからってくろえの頑張りが、当たり前ってわけじゃないから」


 そう言ったお義母さんの顔が、同じ言葉を言っていたはるの姿と重なってしまう。あー、うん、我ながらダメだね、こういう時。シンプルに恥ずかしい。副会長として、おべっか言われたりすることには慣れてるはずなんだけど。


 「………………」


 だから、結局、何も言えないまま。


 「………………しばらく、はるも寝てそうだし。ちょっとだけ、飲み物でも買いに行かない?」


 そうやって笑うお義母さんの言葉に、ただ頷くことしか出来なくて。


 そんな私の膝元で、はるは何も知らぬまま、静かに寝息を立てていた。






 ※





 はるの腕と病室から、そっと抜け出して、近くの自販機コーナーでお義母さんに飲み物を買ってもらった。私はカフェオレ、お母さんはミルクティー。


 二人して、温かい缶のそれを、手に持ちながら、ぼんやりと言葉を交わす。


 「それで、くろえから見て……今のはるはどう?」


 「…………うーん、本当に、私と出会ったばっかりのはるって感じかな。自信なくて、不安がりで、自分のことうまく口に出来なくて―――」


 ずずっと啜ったカフェオレは、甘さが強くて、少し胸やけがする。でも構わず啜り続ける。


 「………………」


 「……だから、お義母さんに対しては、結構遠慮してるんじゃないかな。まだ、ちゃんと喧嘩できるようになる前のはるだから。…………仕方ないとは思うけど」


 私の言葉に、お義母さんは少し考える素振りを見せた後、小さく頷いていた。静かに、そして納得したように。


 ともすれば、ショックな内容だと思うけど、大人だなあ……って、私は小さく舌を巻く。


 「だよねえ、正直、ちょっと距離は感じちゃった。…………まあ、そこに関しては、昔の私の自業自得だけれど」


 「そんなことないよ……お義母さんも忙しかったんだし」


 今だって、急に仕事を空けてきて、かなりの無理をしてるはずだ。世界的な写真家だということは、それだけ沢山の人の人生を背負っているということでもある。スタッフやスポンサー、数え上げればきっときりがない。


 それは、もはや個人の裁量でどうこうなる領域ではないはずだ。


 「…………はは、くろえは優しいね」


 そうやって笑うお義母さんの表情には、少し疲れたような色が微かに滲んでた。


 「…………どうだろね。ていうか、実際、仕事大丈夫なの?」


 そう尋ねると、ふんって胸を張られてしまう。堂々と、臆することなく。


 「こんなこともあろうかと……写真は一杯撮り溜めしてきたからね。私がいなくても数か月は回るようになっているのだ……照屋ちゃんは半泣きになってたけど……」


 そんな答えに、私はあーと思わず頷く。瞼の裏で、丸眼鏡の照屋さんが、泣きべそを書きながら方々に連絡しているさまが、あまりに容易に想像できた。申し訳ないなあ……。


 「今度、菓子折りでも持っていこうね…………」


 まあ、当たり前だけど、実際いろんなところに迷惑は掛かってるんだろう。ただ、それでもお義母さんが、家庭を選択することを、許してもらえているということでもある。


 「うん……今度、ちゃんと土下座してくる。…………まあ、それはそれとして、一週間休みは取れたし。しばらく仕事は国内に絞るつもり。だから、数か月、夜は基本的に帰って来れるかな」


 そんなお義母さんの何気ない答えに、私は思わず目を見開いた。


 「一週間……? 初じゃない? しかも、夜に帰って来れるの?」


 10年間を親子をしてるけど、お義母さんの、最長滞在日数は多分、3日とかだ。これは、本当にとんでもない無理をしてる気がする。


 「そうだぞう、お義母さんの手料理だって作っちゃうもんね。……まあ、それでも普通のお母さんに比べたら、大したことしてないけどさ」


 そう言ってお義母さんは、少し自嘲気味に笑ってた。私は未だに、ちょっと驚きが隠せてないけど。


 「いや、充分凄いよ…………」


 そうやって感嘆の息を漏らしながら、同時に少しだけの肩の力を抜く。


 しばらくお義母さんがいてくれるということは……少しだけ、気を抜く瞬間ができるということ。


 意識すると、軽く視界がふっと、ふらついて、思わず額を手で抑える。


 一週間……冬休みが明けるまでくらいかな。その間は、少し余裕ができる。


 もちろん、学校が始まってからの方が、色々と大変だけど、……ていうか、そうだ琥白や白乃さんになんて言おう。学校にも連絡しないといけないし、生徒会の仕事もある……。


 ああ……ダメだな。意図的に止めていた思考が、気を抜くとすぐに回りだす。


 そうして、思わずため息を漏らした瞬間に、ふっと顔の隣に気配を感じた。


 「………………くろえー?」


 はっとなって、そっちに目を向けると、少し半眼になったお母さんの顔が近寄ってた。思わず少しバツが悪くて顔を俯けると、そのままわしわしと頭を撫でられる。


 「…………」


 「なんか難しい事考えてるでしょ。くろえは賢いから、そういうこと出来ちゃうのは仕方ないけど。ちゃんと頼って? そのために、帰ってきたんだから」


 そう優しい言葉で諭されながら、私はそっと頷いた。ダメだね、悪い癖だ。また独りで全部やろうとしてた。脳内のはるもプンプンと怒ってる。


 「りょーかい……です」


 色々と決めなきゃいけないことはあるけれど、まだ冬休みが明けるまでは少し時間がある。多少、気を抜いても大丈夫な―――はず。


 だから、ゆさゆさと頭を揺らされながら、私は目をつぶったまま、頷き続ける。


 倒れていたら元も子もない、休息だって必要だ。


 「今日は、とりあえず、はるの様子は私が見てるから。くろえは一度家に帰っておいで? ご飯は宅配とかでもいいし。ちょっと、一人になる時間も必要でしょ? 色々と大変だったんだから、休めるときに、ちゃんと休むこと」


 眼を開くと、そんなお義母さんの指が、ピッと私に向けられていた。私は重い頭を振りながら、言われるがままただ頷く。


 「うん、ごめん、そうするよ……。さすがにちょっと疲れてるかも」


 よくよく考えたら、旅に出て、親父と話して、はるが事故に遭って……って、気の休まる時間がなかった。多少抜いとかないと、後が怖い。


 私がそう言葉を零すと、お義母さんは満足したように、にっと笑みを浮かべた。そのまま、両の手をばっと広げると、ふんって胸を張ってくる。


 「………………えと?」


 その意図は? と目線で問うと、ふふんと鼻を鳴らされる。


 「頑張った娘に、ご褒美のハグ! ほらほら! おいでおいで!」


 そういって、身体が揺らされて、私は少し周りを気にしたけれど、幸い誰も見ていなさそう。少し迷ったけど、まあやるまで諦めてくれそうにないので、そのまま身体をそっと預ける。


 ふわっと柔らかい感触がする。はるとは少し違って、力強くて……でも温かいのには変わりない……そんな感触。


 少し焦っていた胸の強張りを溶かすような、そんな感触。


 「……………………」


 ふぅって漏れた息が、熱くて重い。この三日ほどで抱えたものが、ようやく少し零れだしたような感じがする。


 そんな温もりに少し身を預けていると。


 「……………………泣いていいよ?」


 頭の上から、そんな言葉がそっと降ってきた。言祝ぐような優しい声。


 「………………」


 「辛かったでしょ? あんなに大事してたのに、はるがくろえのこと忘れちゃったんだもん。泣きたくて、悲しくて、それでも頑張って、はるのことを見てくれてたんでしょ? ありがとう、くろえ。だからね、今は泣いてもいいよ?」


 そうやって言ってもらえるだけで、私の心はほんの少し救われる。身体を包む温もりを受容れながら、私はお義母さんの胸の中でそっと頷いて。


 「うん……ありがと…………でもね、今は大丈夫」


 そう口にして、お義母さんを見上げると、少し心配そうな顔が私を見ていた。そんな義母に、私は首をゆっくり横に振って、心配ないよとそう示す。


 「………………」


 「…………別に無理してるんじゃないの。ただまあ、何ていうかさ、今泣いちゃうと、本当にダメになっちゃう気がするから」


 きっと、その心の封を開いてしまえば、これからうまく動けなくなる。


 記憶を失くしたはるの前で、『お姉ちゃん』という仮面を上手く被れなくなってしまう気がする。


 「………………」


 「…………だからね、もうちょっと泣くのは後にとっておこっかなって。大丈夫、しんどかったら、ちゃんと言うから、心配しないで」


 それにどうしてだろう、なんというか、今泣いたら勿体ない気もするんだよね。


 「………………くろえ」


 「…………でもね、はるの記憶が戻ったら、いっぱい泣いてやるつもりなの。こんなに辛かったんだよ、こんなに頑張ったんだよって。なんで忘れてたのって。いっぱい、いっぱい、泣くの。……だからね、その時まで、泣くのは取っておきたいの」


 口にするだけで、微かに震えそうになった涙腺を、そっと眼を閉じてやり過ごす。


 息が少し熱くなる、漏れ出てはいけない何かが、不意に漏れていきそうになる。


 でも、ダメだ。今はまだ、膝をつくわけにはいかないから。


 「………………」


 「だからね、心配しないで」


 そう言って言葉を漏らすと、私を抱くお義母さんの身体の方が、熱を持って震えてた。


 それから、少し何かを啜るような、音がする。


 ………………うーん、なんか最近、こうやって誰かを泣かせてばかりいるような。


 まるで、上手く泣けない私の代わりに、誰かが泣いてくれているみたい。


 そうして、しばらく、お義母さんと抱きしめ合った後。


 涙に濡れたままの顔で、お義母さんは、何かを決意するように、じっと私を見て頷いた。


 「大丈夫、絶対、絶対――――はるの記憶は戻るから」


 ……それは合理的に考えれば、ただの願望で、根拠のない期待に過ぎない。


 でも、それを理解したうえで、私はそっと頷いた。


 「うん、私もそう―――想う」


 そういって、軽く微笑むと、胸の奥に疼く痛みが、少しだけ忘れられたような気がした。


 病室の中、きっとまだ眠り続ける、あなたのことを想いながら。


 私とお義母さんは、二人でただ抱き合っていた。


 大切なものを失った、その欠落を、その痛みを。


 静かに、そっと分け合うように。

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