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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
閑話

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閑話 男は道を違える

 女が言う『愛している』ほど、意味のない言葉もない。


 なにせ、どいつもこいつも、俺が少し本性を晒せば、同じ口で叫ぶのだ。


 『そんな人だとは思わなかった』と。


 そんな言葉を聞かされるたび、腹を抱えて嗤いたくなる。


 お前は一体、俺の何を知っていたんだと、どの口で愛なんてほざいていたんだと。


 俺を産んだ女と同じだ。どいつもこいつも、馬鹿で、愚かで、救いようがない。


 だから、こいつらも、いずれきっとそうなるのだろう。


 くろえの奴は、俺の血を引いてる分、多少他よりマシかと思っていたが、結局は愛だの恋だのに縋りやがった。


 下らない、そんなものに依存して何になる。


 どうせ、どいつもこいつも変わらない。時間が経てば、口にした言葉の意味すら、やがて忘れてしまう。


 『添え木』であった記憶すらなくした、あの姉のように。


 ―――そう口に出して、否定してもよかったはずだ。


 そうすれば、胸の内から腐り果てるような、こんな嫌悪感も吐き出してしまえただろう。


 それで別に構わない。どうせ、くろえはもう俺の駒になることはないのだ。どれだけ傷つこうが、どれだけ壊れ果てようが、さしたる意味も価値もない。


 そう思考した。そう理解した。


 ただ同時に、一つ、別の思考の壁に辿り着く。


 そんなことにすら、きっと意味はないのだと。


 目の前で泣き崩れるくろえは―――もう俺が育てた人間ではなくなっていた。


 合理と、利害と、作為で造り上げた、俺の分身では、もうなくなっていた。


 今、そこで泣いているのは、俺とは違う価値を持った別の生き物。


 俺が終ぞ選ぶことのなかった、別の道を選んだ、もはや別の誰かしら。


 ゆえに、きっと、これ以上の対話に意味はない。


 なにせ、こいつがこれ以上何を言っても、俺は変わらない。


 そして、俺がこれ以上何を言っても、こいつは変わらない。


 金の意味すら知らない小鳥に、札束の価値を延々と説くようなものだ。


 ただの無駄で、ただの徒労。しまいに、巣をつくる敷布にされるのがオチだろう。


 だから、こいつに俺から言えることは、もう――――何もない。

 

 「俺はそれを理解しない、価値もわからん。だから―――」


 「好きにしろ。もう―――何も言わん」


 そう言いながら、腰を上げて部屋を立ち去る。


 あいつが漏らす嗚咽と、濁った声だけを聞きながら。


 「後は、泣くなら……俺以外の前で泣け」


 部屋を出る間際、そう告げて、ふと思い出す。


 まだ幼い頃、くろえがよく泣いていた頃のこと。


 餓鬼特有の甲高くて、耳障りで、何を訴えるような声。


 そういえば、何故だろうな――――。

 

 あの声を聴くと、酷く胸騒ぎがした。


 まるで、忘れたはずの何かを、無理矢理に想いださせてくるような―――。

 

 「俺は…………どうしたらいいのか分からん」


 最後にそう告げて、扉を閉めた。


 背後では微かにまだ、涙を啜るような音が聞こえていた。















 ※



 移送の手順は、まあ単純だ。


 まだ状態が不安定だから、医療用の設備を載せた車に乗って、俺の住んでいる街からこいつらの街を目指す。


 時間にして数時間。医療スタッフと時折会話を交わしながら、あまり思い出したくもない街を目指した。


 後部座席であの二人は、ちらほら何か喋っていたが、まあ他愛もない内容だった。何の食べ物が好きとか、これが好きとか、その程度。まあ、その程度からやり直しているのだろう。


 冬場のうすら寒い風を感じながら、時折サービスエリアで休憩を挟みつつ、目的地へと向かう。退屈で、緩慢で、緊張感の欠片もない旅だ。


 医療スタッフも、緊急事態さえ起きなければ、さしたる役割もないらしく、どことなく気が抜けている様子が見えた。


 くろえの奴は、俺を見て、少し何か言いたそうにしていたが、特に目も合わせてやらなかった。なにせこっちは、これで仕事納めだ。これ以上、無駄な問答をしてやる金も貰ってない。


 そうして、退屈な数時間の旅は、特に何事もなく終わりを迎える。


 車から降りた時点で、軽く息を吐く。これで俺の役割は、本当に最後だ。


 少し覚束ない足取りの姉を支えながら、くろえとあいつは病院の入り口にそっと降り立つ。


 ちらりと視界を回すと、エントランスの近くに、どうもソワソワしている人影が見えた。あまり思い出したくない顔だが、契約上、今は顔を合わせないといけない。


 軽くため息をつきながら、くろえに目配せをして、そいつの方向に歩き出す。


 そいつ―――羊宮 紅梨は、俺を見ると一瞬、眉根を潜めたが、すぐにそばに居た娘たちに目を向け直した。そうして、泣きじゃくりそうな表情で、二人に向かって駆け寄っていく。


 「はる!! はる!! 大丈夫!? くろえも!! もう、もう―――!!」


 言いながら、羊宮 紅梨は、娘二人を、両腕でまとめて抱き寄せる。くろえはその腕を、眼を閉じながら受け止めて、姉の方は少し面食らったように、困惑していた。


 ……まあ、こいつ視点では、あまり接点のなかった母親だからな。急に接近されても、困惑の方が勝っているんだろう。


 俺が見ていた頃の羊宮 紅梨はお世辞にも、母親向きの人間ではなかったからな。こいつも、精々『お母さん』という仮面でも被って、誤魔化しているのだろう。


 しばらく、そのまま黙って見ていることもできたが、これ以上無駄に時間を過ごす気にもなれなかった。


 だから、軽くため息をついて、羊宮 紅梨の意識をこちらに向ける。奴は表情を少しだけしかめながら、俺に目を向ける。そして、二人の頭を優しく撫でた後、そっと顔を上げてこっちに向き直った。


 「俺の仕事は、ここまででいいな? なら、約束の口座に金を振り込んでおけ。事務的な手続きやこいつらの荷物は、後からくる看護スタッフにでも聞いとけ」


 そんな言葉を言い捨てると、羊宮 紅梨はふんと鼻を鳴らして、スマホの画面をずいっとこちらに向けた。画面には、約束通りの金額が振り込まれた履歴が映っていて、俺はそれに黙ってうなずく。


 これで、正真正銘、俺の仕事は終わりだ。後は、感動の親子の再会でも、姉妹の絆の再構築でも好きにすればいい。


 もう、それに俺が関わり合うことはない。


 「わかってたけど……ほんっと薄情な奴ね。あんた」


 羊宮 紅梨はそう言って、軽く嘆息をついた。俺はスマホを開いて、帰りの電車を確認する。急げば今日中には、家に戻れるだろうか。


 「なんだ、優しい言葉でも期待してたのか? そんなだから、簡単に騙されるんだ」


 そう言ってやると、取り繕われた母親の仮面がぐぎりと歪む。餓鬼二人が見ていなければ、平手打ちでも飛んできそうだな。


 「どうどう、お義母さん。ビンタとかしちゃだめだよ。こいつ平気な顔で、慰謝料とか請求してくるんだから」


 そんな母親を、くろえの奴は、そっと肩を叩いて止めていた。残念、また金を毟りとる口実が出来たかと思ったが、当てが外れた。軽く舌を出すと、くろえの奴は仕方ないという風にため息をついていた。


 「…………ぐぬぬ」


 そうして、羊宮 紅梨は、しばらく握り拳をぷるぷると震わせていたが、やがてすっとその手を下ろした。それから不貞腐れたような表情で、ふんっと俺の方を睨んでくる。


 「用は済んだんでしょ、さっさと行けば?」


 仕事を終えた相手に、随分な物言いだ。まあ、結婚詐欺をかけた当人だから、それでもまだ温情があるほうか。俺だって、仕事でなければ、二度と顔なんぞ合わせたくはなかった。


 「言われなくても、すぐいなくなるさ」


 だから、そう言って、踵を返す。


 最後に、手を取り合う、くろえとその姉を、軽く視界に収めてから。


 その脆く、儚い繋がりを、細めた視界の中で、ただじっと見据えた後。


 何も言わずに、歩き出す。














 「あの――――」


 「えっと、その、あ、ありがとうございました」


 「三日間だけだったけど……」


 「お、お世話になりました」



 ………………。



 少し。


 少しだけ、振り返った。


 視界の先では、記憶をなくして、俺のことをさしても覚えていないはずの、羊宮 灰琉がわたわたと頭を下げている。


 そんなことに意味はない。これはただの金が絡んだ契約だ。記憶のあるころのお前なら俺に対して、そんな言葉は決して言わなかっただろう。


 だから、返事はしなかった。だから、応えもしなかった。


 そして、そんな俺に。


 「じゃあね」


 くろえは、少し斜に構えたような表情で。


 「―――馬鹿親父」


 そんな言葉を告げていた。


 俺は、それに何も応えないまま。


 そっと、その場を立ち去った。


 そうして、病院のエントランスを出て、ふっと空を見上げたら。


 雲ばかりに覆われた、灰色の景色が、どこまでも広がっていた。


 そうして、吹き寄せる冷たい風を頬で、ただ感じながら。


 ふっと、一つ息を吐く。


 何も感じることはないままに。


 何も変わることはないままに。














 ※



 眼を閉じると、10年前にくろえが、あの姉と一緒に眠っていた光景が蘇る。


 誰かに抱きしめられて、誰かに触れられて、誰かに愛されて。


 愛着を、信頼を、安心を、少しずつ得ていく、その姿。


 たとえそれが、拙い『添え木』に過ぎなくとも。


 それは、俺の人生には無かったものだ。


 それは、俺の人生には不要だったものだ。


 それは紛れもない事実だったけど。


 そのはずだけれど――――。




 ----新着メッセージです




 『ねえ、親父』


 『最後に一つ、聞いてもいい?』


 『10年前、どうして私を置いていったの?』


 『あの時の離婚裁判、私を置いていったせいで、あんた大分不利だったでしょ。慰謝料だってさして取られなかったって、お義母さん言ってたよ』


 『金にしか興味がないあんたが、なんでわざわざそんなことしたの?』


 『意味も、価値も、何もないのに』


 『ねえ、なんで?』






 もし、それを手にしていたらと。


 あの時、『添え木』の実験の本を読んだ時。


 少しは、考えたことがあっただろうか。


 もし、何か変わっていたらと。


 そう想ったことは、あっただろうか。







 『さあな』


 『俺も知らん』








 きっと、こんな感傷にすら。


 何も意味は、ないのだけれど。


 ふと見上げた、灰色の雲の下。


 小さな小鳥が二羽、連れ添うように空を飛んでいた。


 意味すら、価値すら―――知らぬまま。


 遠く、遠く、何処までも。

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