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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第6章 はるとくろえ

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第73話 私は泣いてた

 病室に戻ったのは、それから少し経ってから。


 恐る恐る扉を開けると目に映ったのは、私のベッドに突っ伏すように、頭を伏せる黒江の姿。


 え、え。ま、まだ泣いてるのかな?! 今は出直した方がいい?


 そう思って、しばらく扉の前であたふたしていたのだけれど。


 やがて、どうにも様子がおかしいことに気付いた。


 私が扉を開けたのに反応もしない。それどころか、すーすーと静かな吐息の音だけが聞こえる。


 静かに、足音を立てないように、そっと病室の中に踏み入れた。そして、ベッドを覗き込んで、ようやく一つ息を吐く。


 そこにいたのは、小さな寝息を立てながら、眠りにつく彼女の姿。


 備え付けの椅子に座ったまま、私のベッドに頭を預けて。


 ただ、子どものように眠る、黒江がそこにいた。


 そんな様子に、思わず少し微笑んで、ふとその眼元が少し紅くなっていることに気が付いてしまう。


 微かに腫れているような……、まるで、泣いた跡のような。


 「…………」


 何も言えない。私はそのまましばらく寝顔を見つめた後、その泣き跡を少しだけ指でなぞった。


 黒江が起きる様子はなく。ただ、痛ましい傷に触れているような、罪悪感だけがじわりと指先から滲んでくる。


 どうして、泣いていたんだろう。


 そんな問いは、考えるまでもなく。


 どうして、ここまでしてくれるんだろう。


 そんな問いは、心あたりの一つもない。


 どうして、ここまで大事にしてもらえるのか。


 本当に、私にそれだけの価値があるのか。


 考えても、考えても、答えは出なくて。


 結局、彼女の枕元に腰掛けて、その頭をゆっくりと撫でることしか出来ないでいた。


 お風呂に入れていないからか、少しパサついた髪を、傷つけないようにそっとなぞってく。


 痛んで、傷ついたその感触を、労わる資格が、私にあるのかすら分からないけど。


 そう、分からない、肝心なことは何一つ。


 それでも、ベッドに落ちた微かな濡れた感触だけが。


 私の胸の奥にも、じわりと何かを落としていった。


 淡く、痛く、温かく。


 そんな、言葉にならない感覚が。


 ただ、静かな病室の中で、滲むように広がっていく。


 私の胸の奥底を、じっと、微かに震わせながら。









 ※








 「…………あれ、ごめん、私……寝てた?」


 そう言って、黒江が目を覚ましたのは、もう冬の日も陰り始めたころ。


 「……うん、おはよ。…………疲れてたんだよ、色々あったし」


 私は、彼女の頭にのせていた手をそっとのけながら、そう言って軽く笑った。まあ、色々あった元凶が、こういうのもなんなのだけど。


 黒江はしばらく、寝ぼけ眼のまま辺りを見回して、不思議そうに首を傾げる。


 「…………あれ、親父は?」


 そんな彼女の問いに、私は軽く目を閉じて、答えを返した。


 「えっと……今日は、先に帰ってるって。明日の移送の準備もあるからって」


 そう言いながら、少し前に、一瞬だけ病室に顔を見せた黒江のお父さんの顔を思いうかべる。彼は眠る黒江をしばらく見つめた後、淡々と私にこれからの要件だけを伝えてきた。私も、それに何も言わずに、ただ頷いていた。


 「…………そっか、今日も私、泊ってっていいのかな?」


 「…………うん、そっちも手続してくれてたみたい。昨日と同じで大丈夫って」


 言いながら、私は軽く背を伸ばす。黒江が眠っている間、起こさないようにじっとしていたから、少しだけ身体が固まってる。寝てる誰かを見守るって言うのも、意外と、大変なものなんだね。


 そんな私をぼんやりと眺めながら、黒江はしばらく呆けていた。まだあまり、頭に血が回ってないのかもしれない。


 ずっと、しっかりしてて、頼りがいのある人だったから、そんな様子を見ると、なんか少し新鮮な気持ちになる。あってまだ2日か3日なのに、こんなこと言うのも変だけど。


 「あー…………ぼっとする…………。ごめん、気が付いてたら、寝ちゃってた」


 「ううん、気にしないで。むしろ、いっぱいご迷惑をおかけしてるので……」


 そう言って、たははと笑うと、なんだか変な安心感さえある。やり慣れているというか、なんというか。


 そんな私を、黒江は少し心配そうに窺っていた。まだ目元を微かに紅くしたまま。


 「…………」


 「………………」


 そうして、お互いに何も言わないままの時間が流れる。


 『なあ、泣いてる餓鬼は…………どうやって、泣き止ませたらいいんだ?』


 わからない、私はいつも泣いてばかりで、田川さんや幼稚園の先生に慰められる側だったから。


 ……でも、お姉ちゃんになったのなら、そういうこともしていたのかな。


 『あいつは変えたのは、そもそもお前だ』


 わからない、それは結局、記憶がなくなる前の私の話で。今の私にはこんな時、どうすればいいのか見当すらつかない。


 わからないまま、黒江の眼元に、そっと手を伸ばして、腫れた跡を少しなぞった。


 黒江は少しくすぐったそうにして、軽く首を傾げる。どうしたの? ってそう尋ねるみたいに。


 ……記憶がなくなる前の私なら、この人を、笑顔にすることが出来たんだろうか。


 今、こうして、私なんかのために、涙を流してまで頑張ってくれている、この人を。


 ……笑わせることが出来てたのかな。


 「……どうしたの、はる。……寝てた跡でも着いてる?」


 そういって、彼女はどこか力なく笑う。子どもの私が見てもわかってしまう、誤魔化すような笑み。


 それはある種の、明確な、拒絶の現れ。


 子どもだから、怪我人だから、記憶を失くしているから。


 だから気にしなくていいよ―――と。


 そんな優しさを含んだ、小さな嘘。


 わからないよ、どうしたらいいのかなんて。


 だって、私はお姉ちゃんなんて、したことないし。


 守るべき妹だって、出来たこともない。


 だから、仕方がないのだけれど―――――。



 「はる―――?」



 どうして―――耐えられないのだろう。



 分からないまま、その頭をぎゅっと抱き寄せた。



 力加減も分からない、これでいいのかもわからない。



 泣いてる誰かを慰める方法なんて、私は知らない。



 でも、それでも、そのまま放っておくことも出来なくて。



 そうやって力なく、少し無理して笑う彼女の顔を見ていると。



 胸がぎゅっと詰まって、そのまま私まで泣いてしまいそうになる。



 だから、そんな感触を誤魔化すために。



 その頭を、髪を、肩を、ぎゅっと抱き留める。



 痛くないかな。変な子だって、思われてないかな。



 「…………どうしたの、はる? ……寂しかった?」



 違うの、そうじゃないの。だって、黒江が泣いていたから。



 「………………っ」



 でも、それを口にしてしまえば、きっと彼女を傷つけてしまうから。



 だから、私は何も言えないまま。



 気づいたら、ぼたぼたと雫が零れてく。喉が熱くなって、胸が震えて、まるで胸に抱き留めた黒江から、涙が伝ってくるみたい。


 

 ああ、もうこんな時なのに、私は…………。



 そう想いはするのだけれど、結局、何も言えないまんま。涙を抑えることすらできないまま。



 ただ、じっと、あなたを抱きしめることしか出来ないでいた。



 本来、涙を受け止める側の私が、ただみっともなく涙を零し続けて。



 そんな私の背中を、黒江はそっと優しく撫でてくれていた。



 きっと、私が泣いている意味さえ、隠した想いさえ、気付いているのに。



 ただ、何も言わないで、そうしてくれていた。



 ああ、やっぱり、私は、誰かの泣き止ませ方なんてわからない。



 泣いた誰かを慰める方法なんて知らない。



 だから、ただ他に何一つもできないまま。



 私自身が、泣くことしか出来ないでいた。



 まるで、そうやって、黒江の代わりに泣いてるみたいに。



 こんなことに、意味があるのかすら、わからないまま。



 夕暮れの、冷たい冬の病室の中で。



 ただ、すすり泣くような音だけが、宛てもなく響いてた。

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