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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第6章 はるとくろえ

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第68話 姉の隣で眠る

 ちょっと半泣きになって、私を問い詰めるはるを宥めながら、ふと思う。


 まあ、今日一日、急造の『お姉ちゃん』としては頑張った方じゃなかろうか。


 昨日、最愛の姉の記憶喪失を知って、それを支えるために『お姉ちゃん』の真似事をし続けた。


 いつかのはるが、私にそうしてくれたように。


 記憶喪失になったはるの話し相手になって、生理の介助もして、寂しそうな顔をしてたらちゃんと気づいて、夜更けに身体まで拭いたりして。


 まあ、一度カッとなってキスはしたけど、それ以外はそれなりに『お姉ちゃん』らしくできたんじゃないだろうか。


 失くした痛みも、抱えた不安も、叫び出したくなるような恐怖も、震えるほどの情愛も。全部、全部、今は見ないふりをして。


 ただ、この人を今、安心させる。そのためだけに。


 頑張った方……だと思う。お義母さんとの約束は少し破って、ちょっとだけ無理してるかもしれないけど。


 「う~………………、あ、そういえば」


 隣ではるは、唸っている途中に、ふと何かを思い出したような顔をした。


 そうして、ベッドに備え付けの棚に触れると、そこから何かを取り出してみせた。


 小さくて、銀色で、電灯を微かに反射した。


 「ねえ、黒江。『これ』……何か知ってる?」


 あなたが私に見せたのは―――いつかの指輪。


 あのクリスマスの夜、私があなたに贈った誓いの証。


 言葉が、一瞬、出てこなかった。


 『お姉ちゃん』として張り付けた仮面が、機能を忘れてしまったように、数瞬その動きを止める。


 そりゃそうだ、わかってる。私と過ごした全てを忘れてるんだ、そんなこと覚えてるはずもない。


 でも、無邪気な顔で、不思議そうに首を傾げながら、その指輪について尋ねてくるあなたを見ていると……。


 どうしてだろう、少し、喉の奥が痛くなる。


 「………………見ての通り……指輪だよ。…………大切なものだから、失くさないようにしまってて?」


 そう言って、私に向けて差し出されていた、指輪を握ったはるの手を、そっと優しく押し返す。


 きちんと説明してもいいのかもしれない、そうでなくても、はると私の関係をもう少し踏み込んで明かすべきなのかもしれない。そうしたい気持ちも、胸の中に確かにあった。


 でも…………うん、わかってる。


 今の6歳のはるの心に、それを受容れるだけの余裕は、きっとない。


 自分が何者か、本当にここにいていいのか、これからどうすればいいのか。そんな不安でいっぱいなはずだから。


 そんな怯えた心に、元のあなたはこうだったからと、強制するほど暴力的なこともないだろう。はるのことだし、もし恋人だったと明かしたら、無理に私の期待に応えようとするまで考えられる。きっと、自分の心は置き去りにして。


 それは……できれば、したくはない……かな。


 だから―――。


 「ふーん…………『My Dear』……って『親愛なる人へ』みたいな意味だよね? ……誰がくれたんだろう?」


 そう言って、指輪を透かして中を覗くあなたを、私は何も言えないまま眺めてた。


 『My Darling(愛するあなたへ)』とかにすればよかったかな、なんて、一人で苦笑いを浮かべたまま。


 そうしたら、あなたは少しくらい、私のことを覚えていてくれただろうか。


 …………まあ、そんなわけないか。


 喉の痛みが、ゆっくりとお腹へと降りていく。


 じわりじわりと、身体の奥に沈んでく。


 その痛みが、口から漏れ出て行くことがないように、そっと抑えて。


 不思議そうに、首を傾げたままのあなたを、私は静かに見守っていた。


 冬の夜更けの、消灯までの、静かな時間。


 月明かりを、背中に受けながら。


 あなたを、ただ見つめてた。


 言葉一つ、口にすることすら、できないまま。








 ※







 「じゃ、消すね?」


 消灯の時間を看護師さんに告げられて、それまで色々とおしゃべりしていた私たちは、ようやく寝る準備を終えて、電気を落とした。


 はるは布団にくるまったまま、ライトのスイッチの前にいる私に、そっと頷いていたけれど。そんな姿も、暗闇にあっという間に飲まれてしまう。


 暗い部屋の中は、廊下からのぼんやりとした灯りと、カーテンの隙間から差し込む月明かりだけになる。


 手探りで自分の仮設ベッドに戻って、そのままゆっくりと背中を預けた。金属製の仮設ベッドがぎぃっと、少し軋んだ音を鳴らす。


 ふぅっと、あまり音が出ないように意識して漏らした、ため息は少し重かった。


 身体から力が抜けてくると、それまで無視していた、かすかな痛みがじわりじわりと広がってくる。疲労と、ストレス、それと緊張。


 そんなあれこれの、後遺症めいたものが、私の身体を静かに蝕んでいく。


 でもまあ、いい。もう後は寝るだけだから。


 「…………おやすみ、はる」


 そう思って眼を閉じたら、隣でもぞもぞと動くが音がしていた。


 目を開けて見ても、黒い塊がもごもご動ていることしかわからない。ずっと横になってたから、上手く眠れないんだろうか。


 しばらく、そんなうごめきを見ていたら、やがてさわさわと衣擦れの音が響いてくる。


 それは私とはるの間で鳴っていて、やがて暗闇の中で、そっと何かが差し出されているように見えた。


 白くて、細くて、頼りない、そんな何かが。


 それに向かって、何も言わないまま、そっと手を伸ばす。


 そうすると、温かい感触が、ゆっくりと手のひらになぞられた。


 恐る恐る、探るように、怖がるように。


 暗い森の中で、小さな添え木に縋るみたいに。


 はると私の手が、暗闇の中で、ぎゅっと握られる。


 「…………どうしたの?」


 「…………」


 尋ねても、答えはない。


 「…………寂しい?」


 「………………ん」


 だから、そう口にし直すと、暗闇の中で小さく何かが頷いた。


 その答えに、私は静かに頷き返す。


 「そう―――じゃあ、寝るまで、このままでいよっか」


 そうして、あなたのを手そっとなぞって、そのままぎゅっと包み込む。


 「………………ぅん」


 そんな、あなたの小さな答えに、今はただ微笑んで。


 そうしていると、ふっと息が漏れた。


 少し暖かくて、ほっとするような。


 なんだか、少しだけ安心するような。


 ……もしかしたら、いつかのあなたも、こんな気持ちだったのだろうか。


 お姉ちゃんとして頑張るのは、結構辛いし。自分のことを後回しにするのも、それなりにしんどい。


 でも、求められるのは悪くないし、そうやって隣に居させてもらえるだけで、どこか救われたような感じもする。


 ふと気づけば、さっきまで痛んでいた身体の節々が、少し緩んでいくような感覚があった。


 浅くて、余裕のなかった呼吸が、少しだけ落ち着いていく気もする。


 あなたの掌の温かさが、繋いだ手を通って、私の胸の強張りを解いていってるような気もする。


 …………なるほど、こうして、お姉ちゃんは頑張るわけだ。


 このわずかな触れ合いの、この一時が。


 きっと、何よりの報酬だったのだ。


 そうして、しばらくじっと手を握っていたら、やがてあなたの手がゆっくりと緩んでいった。


 暗闇の中、エアコンの音を聞きながら、段々とあなたの寝息が静かに、穏やかになっていく過程に耳を澄ます。


 気付いたら、いつの間にかあなたの手から力が抜けて。やがて、私だけが握っているみたいになっていた。


 …………これじゃあ、どっちが寂しいのか、わかったもんじゃないね。


 思考の中で、いつかの頃、ベッドの中で同じように私の手を握っていた温かさが、ほんの少しだけ蘇ってくる。


 ねえ、はる。


 暗闇の中、囁くような声で、そう尋ねる。


 もう―――眠った?


 答えはない、穏やかな寝息だけが、返事となって帰ってくる。


 手を握ったまま、そっと身体を起こして、隣のベッドの様子を窺ってみた。


 少しだけ口を開いたあなたは、眼を閉じたまま、穏やかな寝顔を浮かべてる。


 …………そりゃ、そうだね。今日は、はるにとっては本当に、たくさんのことがあったんだもんね。


 心と身体はちぐはぐで、失った記憶に戸惑って、知らない人の相手ばかりして。


 不安で、怖くて、たまらなかったんだもんね。


 そりゃあ、疲れても仕方がないよね。


 そう想いながら、微笑んで。


 握ったままのあなたの手を、少し見下ろした。


 全てを忘れて、全てを失って、それでもまだこの手は繋がれている。


 たとえ、それがもう、いつか繋ぎあった意味を失くしていても。


 まだ、この手は繋がれている。


 きっと、今は、それ以上望むべきではないんだろう。


 だから、私はそっと眼を閉じて。


 暗闇の中、眠るあなたの唇に、微かに私のそれを重ねた。


 ほんの一瞬、息を塞ぐことすら、ないように。


 瞬きのような、微か想いを、あなたに伝える。


 当然、あなたは起きないままで。


 私は、そんな寝顔を、ただ微笑んで見つめてた。


 「おやすみ、はる」


 最後に、それだけを口にして。


 零れた雫は、きっと、明日の朝には消えているから。


 今はただ、あなたの夢が少しでも、安らかなものであればいいと。


 暗闇の中、ただ、それだけを願ってた。

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