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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第6章 はるとくろえ

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第60話 姉を失う

 何もできなかった。


 はるが、車に轢かれた時。


 私は、ただ茫然と見ていることしか出来なくて。


 道路の上で、ただ立ちすくんでいた。


 道の真ん中で、無造作に倒れるはるの身体。


 白い雪の上に、ゆっくりと広がっていく、赤黒い水溜まり。


 ありとあらゆる音が遠くて、ありとあらゆる風景がぼやけてた。


 10年という月日をかけて、大切に大切に守ってきたもの。


 二人で育んだ、想いと、繋がりが。


 手から零れ落ちた花瓶みたいに、呆気なく割れてしまった。


 そこから先のことは、うまく覚えてない。


 必死に泣きながら、必死に祈りながらはるに駆け寄って。


 手が震えて、声が震えて、身体が言うことを聞いてくれなくて。


 まるで、何もできない子どもみたいで。


 気づいたらあの男に、無理矢理手を引っ張られて、救急車の中に居た。


 そうして、ただはるの無事を祈りながら、病院でベッドの傍にいたけれど。


 目を覚ましたはるは、もう私の知ってる『はる』じゃなかった。



 「…………ところで、()()()()()()()()?」



 喉の奥が切り開かれて、血と体温の全てが、床に流れ落ちていく。


 あなたと一緒に育んだ、想いも、言葉も、祈りも、誓いも。


 全部、全部、全部。


 全部が、空っぽに流れ落ちていく。


 そのせいか、酷く寒い。


 身体から、心から、熱という熱が奪われ尽くしたみたいに。


 ただ寒い。


 そんな私に、あなたはどこか困ったような顔で笑ってた。


 私の名前すら、あなたは知らない。


 私達の関係すら、あなたは何もわからない。


 私達が交わした言葉の一つすら、あなたはもう覚えてない。


 なるほど、『全てを失う』というのは、こういうことを言うのだと。


 私は、ただ独り、冷たい心の中で理解した。


 今は想い出の中の、あなたの温もり一つでさえ。


 どうしてか、酷く遠くに想えた。










 ※



 『……くろえ、大丈夫?』


 親父から受けとった電話の向こうで、お義母さんは心配そうにそう言っていた。


 「…………うん、どうにか」


 漏れる言葉が、我ながら覚束なくて、心もとない。まるで、洞窟の奥から喋っているみたいだ。指に触れるスマホの感触すら、なんだかいつもより、冷たい気がする。


 『…………ごめん、大丈夫なわけないね。…………お母さん、すぐ戻るから、それまで頑張って? 大丈夫、はるのことは絶対どうにかなるから。今はくろえ自身が、潰れちゃわないようにだけ気を付けて?』


 そんな義母さんの優しい言葉に、私はただ頷いた。それが、気休めだとは理解してるけど、それでも頷くことしか出来なかった。


 「…………うん、大丈夫。私は何ともないから」


 怪我もしてない、心だってなんともない。はるが背負った傷に比べれば、こんなことどうだって。今、胸の奥に広がる痛みだって、はるが抱える不安に比べたら、どうってことはない。


 『……………………』


 通話の向こうから、深めの抑えた息が漏れていた。……心配をかけただろうか、お義母さんだって、今それどころじゃないはずなのに。ダメだ、誰かの負担になっちゃ。


 「…………心配しないで、大丈夫、本当に大丈夫だから」


 出来るだけ、声色を取り戻して、無理矢理そう言葉を繋ぐ。そうだ、こんな状況で、私が落ち込んでいる場合じゃない。ちゃんと動け、迷惑をかけるな、なすべきことをなせ。


 『あのね、くろえ。よく聞いて?』


 「…………うん」


 お義母さんは、静かに一つずつ確かめるように、言葉を続ける。


 『はるが―――大切な人が、傷ついて、自分のことまで忘れてしまって、「大丈夫」なんてことあるわけないの。だから、今ね、くろえはきっと、大丈夫じゃないの。でも、それが普通なの、当たり前なの。そこでくろえが無理をしたら、お母さん、心配だから』


 『だからね、まず最初に、くろえの気持ちを大事にして? 辛かったら、辛くていいの。苦しかったら、苦しくていい。どうしても、はるのそばに居られなかったら、誰かに任せたっていいの。はるのことはもちろん心配だけど、それであなたが壊れてしまったら、私はそれが耐えられないくらい悲しいから』


 『お願い、忘れないで? あなたはもう独りじゃないの。私の大切な娘、私たちの大切な家族。あなたが苦しんで泣いてしまったら、私たちも同じくらい苦しいの。だから、お願いね? 無理しちゃダメだよ?』


 そう言った、お義母さんの言葉は、まるで何かに祈るみたいで。


 そんな声が、どこかはるの面影と重なって。


 ああ、と思わず、声が零れた。


 そうやって私の胸から漏れた息は、重くて痛くて、心から黒い澱みを吐き出しているみたいだった。


 ただ、同時に胸の奥につっかえていた何かが、抜かれたような感じもする。


 「…………ごめん、ちょっと焦ってたかも」


 …………悪い癖だね。すぐ、独りで抱え込む。はるに何度も窘められてたことなのに。


 ここで、仮に私が倒れたら、記憶のないはるを、お義母さんをもっと苦しませてしまう。しっかりしろ、冷静さを失ってる場合じゃない。


 自覚すると、身体の痛みが酷くて重い。椅子に座っているのさえ、不思議なくらい、あちこちが震えて仕方ない。


 …………ボロボロだな、我ながら。


 『仕方ないよ。それくらい、追い詰められてるってことだし、私だって同じ立場になったらくろえみたいにきっとなる』


 「うん…………ごめん……じゃない、ありがと。お母さん」


 そうやって謝りながら、自分の調子を確かめる。判断力は明確に落ちてる。感情はぐっちゃぐっちゃ。身体だって酷い。本当なら今すぐ、この場で眠ってしまいたいくらいだった。


 『いい? 今日はご飯食べて、お風呂に入って、ちゃんと眠ること。しんどかったら、適当でいいし。とにかく無理は厳禁。三日でそっちに帰るから、それまで無事に過ごしてくれたら、それでいい。わかった?』


 「…………うん、了解」


 そんなお義母さんの言葉を聞いて、私は静かに頷いた。


 そうして、少しだけやり取りをして、通話を終える。お義母さんは最後まで、ただひたすら私の様子を慮ってくれていた。


 ………………。


 長い息を吐きながら、額を抑える。隣に居た親父に礼を言ってから、ふっと全身から力を抜く。


 とりあえず、無事に過ごす。今、それが私にとっての最重要目標。


 それと同時に、改めて、想いだす。


 独りじゃない、というか、独りでこんなこと抱えきれない。


 はるの記憶がいつ戻るかわからない以上、どこかで私が倒れでもしたら、すべて終わりだ。


 頼れるものは何にでも頼れ、その上で、出来ることをするんだ。


 零した息は重いけど、さっきよりは微かに熱が灯ってる。


 うん、がんばろう。……それで、はるの記憶が戻ったら、褒めてもらおう。


 なんて考えたら、ちょっと活力が戻ってくるのが、我ながら現金だ。


 でも、今は頼れるものは、なんでも頼るしかない。


 過去でも、願望でも、何でも、誰でも。


 そうやって息を吐いていたら、隣に立っていた親父のどこか呆れたような視線が目に映った。…………そういえば、さっきお義母さんに金で雇われていたっけ。


 可哀そうにねとは思うけど、今は藁でも縋りたい。


 だから、今の気持ちをなんとなく整理するために、口を開いた。


 「はるはさ―――」


 そうして、呟くように言葉を漏らし続けた。

 

 そんな私の言葉を、親父は静かに聞いていて。


 「今度は、私がはるを―――守るんだ」


 私が、私自身に言い聞かせるように紡いだ言葉を。私が、私に決意させるために口にした言葉を。


 「―――そうか」


 親父は肯定も否定もしなかった。


 契約があるから、余計なことは言わないようにしてるんだろうけど、今はそれがありがたい。


 そうして、息を少しはいてから、重い腰をどうにか上げる。


 今日はもう病院から、引き上げないといけないから。


 最後に、はるの顔を見ていこうと想った。


 病室のドアを開けると、あなたは暗闇の中で、静かに眼を閉じていて。


 穏やかな寝息だけが、清潔の部屋の中にそっと木霊している。


 そうやって、眠るあなたの手を、起こさないように優しく握った。


 温かくて、柔らかい。この感触だけは何も変わらない。


 それが、どうしようもなく、愛しくて。


 どうしようもなく、切なかった。


 あなたの中に、私はもういないのだと、そう想い出すだけで、雫が零れそうになる。


 震える息をどうにか抑えて、そっとその手を祈るように額に抱いた。


 どうか、どうかと。


 信じてもいない神様に。


 ただ祈るように、眼を閉じる。


 「大丈夫」


 「今度は、私が守るから」


 あなたがくれた、この温もりを。


 今度は私が、あなたに返す番だから。


 10年前、二人でベッドの中、交わした誓いを。


 あなたの中から、もう失われてしまった、永久の願いを。


 今、もう一度、誓いなおす。


 たとえ、あなたが私を忘れても。


 たとえ、もうあなたの中に私がいなくても。


 それでも、あなたを守るため。


 暗い病室の中、ただ祈る。


 微睡むあなたの寝息を聞きながら。


 病室に差し込む、淡い月の灯りだけが照らす中。


 今ここに、もう一度、あなたへと愛を誓う。

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