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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第5章 姉と妹

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第59話 私は目を覚ます

 夢を見ていた。


 独りで白いの靄の中を走っているような。


 何かをずっと探してた。それがないと私は私でいられないから。


 息が荒れて、お腹が痛くて、心臓が張り裂けそうで。


 立ち止まりながら、俯きながら、それでもまた走り出す。


 早く、早く、見つけなくちゃ。でないと、でないと。


 でも、夢の中だから、何を探しているのかはわからない。


 あやふやで、曖昧で、ぼんやりとしたそれでも大事な何かを。


 やがて、走り続けた果てに、私はそれを遠くにようやく見つけて。


 最後のひと踏ん張りだって、精一杯足を延ばした、その先で。


 劈くような金切り音がした。


 あれ、なんだっけ。


 私はどうして、こんなに必死になっていたんだっけ。


 それすら、もう想い出せないけれど。


 気づいたら、世界は綺麗な蒼に染まってて。


 全てが、吹き抜けるような、空の下。


 誰かが必死に、私の名前を呼んでいた。


 必死に、必死に、まるで何かに縋るみたいに。


 私の名前を呼んでいた。















 ※



 目を覚ますと、そこは暗い部屋の中だった。


 電気が落とされたベッドの上で、私は独り眠ってた。


 ぼんやりとした頭を抱えながら、そっと身体を起こす。


 …………いった。


 ただ身体を動かしかけた瞬間に、全身にひびが入ったみたいな激痛がする。思わずベッドの上でのたうち回って、その動きのせいで、余計に痛みが酷くなる。


 しばらく悶絶した果てに、私は頑張って身体の動きを鎮めて、痛みが引いていくのをじっと待つ。


 うう、なんだこれ。バンジージャンプで失敗でもしたんだろうか。そっと身体をなぞっていくと、包帯と思しきものが身体中に巻き付けられていた。何にしても重症ではあるらしい。


 ぐぎぎとしばらく唸り続けて、少し落ち着いてから、辺りを見回す。


 どうにも、ここは病室らしい。よく見たら点滴とか腕に刺さってる。


 あまりよく覚えてないけど、事故にでもあって、病院に運ばれたとかだろうか。


 しばらく、頭の大丈夫な部分をぽりぽりと掻きながら、それ以上、現状の確認ができないことを思い知る。


 立てません、動けません。既に消灯済みです。


 …………どうやら、これは二度寝を決めるしかないのでは。


 はあ、と思わずため息を吐くけれど、正直身体が痛くて寝るどころではない。


 とりあえず、自分のスマホでも探してみるけれど、さっぱり見つからない。ていうか、事故に遭ったなら、スマホが無事という保証もないのか。


 備え付けの棚には、私の私物と思しき小物が置いてあるけど、現状を辿る手がかりになりそうなものはない。それでも、何かのヒントにならないかと、傷に呻く身体を捻りながら、手をうぎぎと伸ばす。ぐ、ぐぬう、肋骨が割れて一本増えそう……。


 そうやって、必死にベッドわきに手を伸ばしていたら、病室のドアがガラッと開いた。


 「…………目が覚めたんなら、ナースコールくらい押せ」


 そうして、ベッドの上で半分海老ぞりになっている私に向けて、そんな呆れたような低い声が響いてくる。


 「…………その手がありました」


 そういえば、そんな便利機能が当世には……。わしわしとベッドの脇に手を伸ばすと、確かにコードのつながったスイッチらしきものが手に握られる。うん、最初っからこれでよかったね。


 恥ずかしさを暗闇で隠しながら、私はそっと声の主を振りかえる。


 …………うーん、廊下からの逆光で顔が見えない。ただ白衣っぽくないから医者ではなさそう。


 「…………お前のせいで、時間を無駄にさせられた。おかげで午後の予定が全部キャンセルだ。…………はあ、後でお前らの母親に、損害を請求したいくらいだよ」


 そうやって告げられる、その逆光マンの愚痴に、私は思わずすごすごと頭を下げる。なんだかよくわからないが、大変迷惑をかけたらしい。まあ、事故の後処理とか大変だもんね、知らんけど。もし請求があった場合は、お母さんに大変迷惑をかけてしまう。


 「それは……大変お世話になりました」


 とりあえず、事の次第は謝罪から始まるもの。ぺこんと頭を下げた私を、その声の主はどうしてか、黙って見つめていた。


 「えらく愁傷だな、撥ねられて性格でも変わったか?」


 あげく、そんな心無いことを言われる始末。うーん、でも仮に事故のせいで、性格変わってたら、私自身はそれを自覚できるものなのだろうか。


 当人としては、結局、一貫した自分を生きてるから、自覚が出来ないような……。なんて無駄なこと言っている場合ではない。


 ていうか、さらっと現況のヒントあったな。車に轢かれたのか私。


 「あー……やっぱり、事故に遭ったんですね、私」


 となると、骨でも折れてたりするんだろうか。もし足が折れてたら、しばらく車いすか松葉づえかなあ……。5歳くらいの頃、一回あったけど、結構不便なんだよね、あれ。


 「…………他人事みたいに言いやがって。……なんだ、直前の記憶でも飛んでたりするのか?」


 そんな詰るような声に、思わず愛想笑いしか浮かべられない。


 「あはは……、お恥ずかしながら……」


 うう、我が頭ながら、ポンコツ加減がいよいよいい訳が効かなくなってきた気がする。叩いたら記憶が飛ぶとか、古いパソコンでもあるまいし。


 しばらくそうやって、頭を掻いていたら、その人はふんと鼻を軽く鳴らすと、私のベッドの脇を軽く脚で小突いた


 う……うええ? なんか怒らせたかな? そう一瞬ビビるけど、どうにも誰かに向かって蹴りをいれたらしい。


 すっかり気付いてなかったけど、ベッドわきの暗がりにうずくまった人の影がある。そして、その影は蹴りに反応して、もぞもぞと身体を起こし始める。


 「…………あれ、私」


 そうやって、逆光の中、ぼんやりと涙で濁ったような声がする。


 どうにもそばに居てくれたみたいだ。その影はぼんやりと頭を上げると、ハッとした瞬間に、ばっと私に視線を向けた。


 「は、はる!? 起きたの?! 大丈夫?! 痛いところとかない?!」


 そうやって、ぎゅっと手を握られる。私は思わずあわあわしながら、とりあえず必死に返事する。


 「え、えと、大丈夫かな……? いや、全身痛いけど、とりあえず生きてはいるよ」


 そうやって、私が応えると、その影はほっとどこか安心したような息を吐いた。


 そのままへなへなと、身体をベッドに倒れ込ませると、力尽きたように突っ伏してしまう。


 「よかった……よかった……本当に、死んじゃったかと想った」


 そうして、零れた声と同時にぽつぽつと雫の落ちる音がする。


 ぬぬぬ、これは、なんだか本当に心配をかけた様子。事故前の私が何してたのかしらないが、とんだやらかしをしてしまったような罪悪感が湧いてくる。


 そんななんとも言えない心情の中、私は頬を掻きながら、さっきからずっと胸の内に忍ばせていた言葉を恐る恐る口にする。


 なんか、空気が読めないみたいで、非常に申し訳ないのだけれど、やっぱりほら、確認は必要だと思うので。





 「うん、ありがとう。…………ところで、()()()()()()()()?」





 「え、えと、その私が人の名前を覚えるのが苦手だから、凄く申し訳ないんだけれど…………」





 「ほ、ほら、じ、事故で、記憶がちょっとあやふやで……」





 「だから、えっと、うんわかってるよ! きっとちゃんとした知り合いなんだよね! うう…………なんだか、本当に申し訳ありません」





 「だから、えっとほら、改めて自己紹介っていうか……」





 「わ、私は、羊宮 灰琉です! 今年から……えと、……あれ、何歳だっけ?」





 「あれ、おかしいな、ちょっとまってね…………」





 そう口にしながら、段々と違和感が背筋を登ってくる。




 あれ、そうだ、私、何歳だっけ。名前は思い出せる。昔の記憶も、小さい頃のことは思い出せるけど―――。




 今日の記憶が、昨日の記憶が、昔の記憶が―――、ある一点を境に、ふっと橋が途切れたみたいに想い出せなくなる。




 あれ、私――――なんで。




 無理に想い出そうとすると、ずきっとした痛みが、頭の奥から響いてくる。何か、どうしても大事な何かを、忘れてしまっているような。




 わからない、わからない。




 怖い、どうしよう。




 思わずハッとなって、顔を上げる。




 それと同時に、不意に病室に電気がついた、様子に気付いた看護師さんが点けたらしい。




 そして、その光の先に照らされていた、見た目がどことなく似ている二人は。




 揃って、言葉を失くしたように固まっていた。




 特に、私の手をぎゅっと握っていた女の子は。




 涙すら抜け落ちてしまったような、まるで大切な何かを失ってしまったような。




 そんな、言葉にならない顔をしていた。















 ※



 「脳の検査で異常が見られました」


 「頭部を強く打ったことで、脳内で僅かですが損傷が発生したようです」


 「逆行性の外傷後健忘……ありていに言うと、記憶喪失の状態です」


 「ただ、脳は複雑です、外傷以外にも、心因性……彼女の心理的に何かしらの蓋がされている可能性もあります」


 「一般常識や、情緒面は問題がありませんが、所謂、想い出……エピソード記憶が欠落した状態です」


 「先ほど状態を窺いましたが、失われた時間はおよそ10年ほど」


 「彼女は今、6歳までの記憶しか思い出せません」


 「はい―――、残念ながら、妹さんと過ごされた記憶は、何一つ覚えていないとのことです……」


 「治る見込みは……何とも言えません。物理的に脳細胞が破壊されていた場合は……」


 「最悪、一生―――戻らないこともあるかもしれません」














 ※


 「黒江……黒江かあ」


 灰琉は、医師に皆が連れられ、独りになった病室で、そんな言葉呟いていた。


 そんな彼女の傍には、かつて誓いを交わした指輪が置かれているのだけれど。


 彼女は未だ、その指輪の存在にすら気づかぬまま。


 「友達とかだったのかな……?」


 首を傾げる彼女の言葉は、誰に聞かれることもなく虚空に消えていく。


 失われた、想いの意味すら知らないままに。

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