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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第5章 姉と妹

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第57話 姉を置いていく―③

 長く、長く息を吐く。


 産まれてきてからずっと、背負い続けてきた荷物を、そっと降ろすように。


 痛みも、怒りも、憎しみも、悲しみも。


 全てを認めて、全てを下ろす。


 もう全てを話した。全てを伝えた。


 だから、そう―――。


 目の前の男を、そっと見る。


 もう――――私はこいつを、これ以上、恨まなくていい。


 憎んだ事実は変わらない、傷ついた過去も変わらない。


 決して好きにはなれない。多分、生涯許そうとも思わない。


 でも、これ以上は、もう要らない。


 これ以上私の心に、こいつのための居場所を、わざわざ用意してやらなくていい。


 許したわけでも、忘れたわけでもないけれど。


 でも、今は、これからは、こいつは私の人生に大きな影を落とさない。


 だから、いい。構わない。


 これ以上、私の想いと関心は、もうあげない。


 くぅーっと、伸びをすると、緊張していた身体がゆっくり弛緩していく。


 にへらっと零れる笑みが、我ながら少しだらしない。でも、そんな脱力感が、ちょっと心地いい。

 

 にっと笑って見てやると、あいつは大層、鬱陶しそうな顔をしていた。いい気味だねと、心底思う。


 ……しかし、こうやって改めて見ると、なんだか可哀そうな男だね。


 あれだけ絶対的に見えた視線が、指が、なんだか随分とこじんまりして見える。


 まるで色なんて何もないように見えた瞳も、今ではそういう色だと思ってしまえば、存外可愛らしく見えてくる。……いやさすがに、ないな。


 …………でも案外こいつも、結局、ただの親に捨てられた子どもだったのかもしれない。


 そんな風に想っていたら、どこか胡乱な声が飛んできた。


 「……本当にそれでいいのか?」


 そんな声に、私は笑って答えを返した。


 「何がー?」


 そうやって問うと、男は少しうざったそうに眉根を歪める。


 「…………人間は解りやすさを望むぞ?」


 低く、静かに、どことなく不安を煽るような声、そう調整された声。


 「………………」


 私はあえて、何も言わない。


 「…………『姉妹』で、『恋人』か? お前らがそこに、どんな複雑な感情を抱こうが、他人はそれを理解しない」


 黙って聞く。今はただ、そのままの、言葉を受け止める。


 「大概の人間はな『レッテル』が好きだ。単純で、分かりやすい、そういう役割を他人が演じることを望んでる」


 「何故だかわかるか? めんどくさいからだ」


 「他人をいちいち理解するのに、無駄にコストをかけたくない。だから、分かりやすい『レッテル』を他人に貼る」


 「『姉妹』とか、『恋人』とか、『普通』とか、『特別』とかな。お前の場合は『副会長』とかもか?」


 「そういう名前は全部レッテルだ。こうあってほしいっていう勝手な期待。そして、そんな勝手な期待が裏切られると、人はそれに拒絶反応を起こす」


「『姉妹』は『普通』こうしない。『恋人』は『普通』こんな関係じゃない。馬鹿は理解が面倒だから、そうやって、自分のレッテルを押し付ける」


 「人は他人に矛盾を許さない。たとえ、自分がどれだけ矛盾していようとな」


 「自分の考える『普通』から外れたら、それだけで、相手を軽蔑する。差別する。『そんな人だと思ってなかった』が、いつの時代も馬鹿の常套句だ」


 「人間は本来、多面的だ。いい奴が必ずいいことはするとは限らないし、悪い奴がすることも全て悪とは限らない」


 「でも、そんなのはどうでもいいんだよ。だって、めんどくせえからな」


 「お前らが、どれだけ高尚な想いを並べようが。他人にとってはどうでもいい。『姉妹』じゃない。『女同士』じゃない。『恋人』じゃない。『普通』じゃない。それだけで、勝手な軽蔑と差別が、お前らに常に付き纏う」


 「もう一度聞くが、それでいいのか?」


 「仮にお前が耐えられても、あの愚鈍な姉はその声に耐えられるのか?」


 「結局、お前が隣に居ることで、あいつは不幸せになるんじゃないのか?」


 そうやって嘲るように、男は嗤う。視線には明確に、外道の色が灯ってる。


 私はそんな答えに、ふむと一つ思案して、ちょっと首を傾げた。



 「え? ()()()()()()()()()?」



 空気が止まった、一瞬、凍りついたかのように。


 しばらく沈黙が、リビングをじっと覆ってた。


 「………………………………はあ?」


 そうして、漏れた男の言葉は心底呆れたような、軽蔑した響きを伴っていたけれど。


 「だって、私がはるとどれだけ不幸になろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 私はあえて、笑ってやる。


 「私たちがどれだけ、『レッテル』を貼られようと、詰られようと」


 「あんたはそれで一円だって、損もしない、得もしない」


 「それこそ、どうだっていいでしょう? あんたは、いつも『無関心』で、『合理的』で、『お金が全て』なんだから」


 「なのに、そんなこと言うから、聞いたんだけど?」


 「もしかして―――心配してくれてるのかなって」


 胡乱な瞳がますます歪む、明らかに苛立ちに染まった表情に、思わず少しぞくぞくしてしまう。うーん、程々にしとかないと、つい楽しくなっちゃいそう。


 我ながら、悪い癖だね、いやほんと。


 「――――まあ、でも、別にそこまで楽天的にも想ってないよ」


 だから、そろそろ真面目に答えようか。


 少し息を落ち着けて、笑うような表情をちょっとひっこめて、声もいつもの調子に戻す。


 それでも、対面の男の顔は、少し歪んでいたけれど。


 「実際、あんたの言う通りだとは思うよ」


 「知らない人に言ったら、十中八九嫌な顔されるだろうし。知ってる人でも、受け容れられない人は一杯いると思う」


 「私たちが義姉妹だから、法律上は別に問題はないって言っても、そういうの理屈じゃないからね。感覚っていうか、感情っていうか……」


 「そのせいではるが嫌な思いすることも……あるんだろうね。私が一緒に居たから流した涙は、きっと今までも、これからも、たくさんあると思う」


 ふっと短く息を吸う、それでもと。


 笑うあなたの顔を、想いうかべながら。


 「でも、離れることは、もう諦めたの」


 「自分の想いに、蓋をすることも」


 「はるの想いに、知らないふりをすることも」


 「諦めちゃった、だって、できなかったから」


 「そういうのってほら、理屈じゃないでしょ? 感覚っていうか、感情っていうか」


 「だからね、それでもやっぱり傍に居るって決めたの」


 「隣にいることで、傷つけても、傷つけられても」


 「それでも、想いに嘘は吐けなかったから」


 「…………それにね、まあ、悪い事ばかりでもないと想うんだ」


 「たくさんの人は受け容れてくれないかもしれない、みんなが望む私じゃないかもしれない」


 「でもそれでも、きっと受け容れてくれる人もいるんだよ」


 「複雑で、分かりにくくて、『普通』じゃなくても」


 「そんな『私達』を、ちゃんと見てくれている人もいる」


 少し瞼を閉じると、確かに何人かの人たちが、私に手をそっと触れてくれているような、そんな気がした。


 琥白とか、白乃さんとか、お義母さんとか。生徒会のみんなとか。


 そんなぼんやりとした、誰かの後ろ姿が見えた。


 「そうやって、受け容れてくれる人もいるのに、諦めちゃったら、ちょっと勿体ないかな」


 「知らない誰かに、傷つけられるからって、知ってる誰かの想いまで、無駄にしたくない」


 「『私達』のことを、ちゃんと見てくれてる人の想いを、蔑ろにしたくない」


 「『私達』の幸せを、ちゃんと望んでくれてる人がいるのに」


 「私とはるが、それを諦めたら、勿体ないじゃん?」


 「だからね、大丈夫」


 「心配しないで」


 そうやって、私は笑った。


 「…………餓鬼の理想論だな」


 お父さんの声は、どうしてか少し静かで。


 「…………まあ、確かに」


 私がそうやって、ちょっと日和ると。はあって、深いため息を漏らしてた。


 「………………それこそどうなろうと、俺には関係ない、勝手にしろ」


 そして、そんな呆れたような声に、私はそっと頷いた。

 

 「うん―――頑張る」


 ブーンブーンと音が鳴る。手元の携帯から、タイマーの終了を告げる音。


 約束の一時間半は、こうして終わった。


 そんな、終わりを見届けて。私はすっと立ち上がる。


 ほら、やっぱり、大丈夫だったでしょ。


 そんな意味を込めて、お父さんに笑顔を向けると。


 彼は、どこか呆れたように、ため息をついていた。


 まるで、聞き分けのない子どもに、そうするように。















 ※



 

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