表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第8章 わたしとあなた

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

112/113

第102話 私と黒江—③

 物心がついた頃には、もう、お父さんはいなくなっていた。


 お母さんと、私のことで喧嘩して、いなくなっちゃったんだって。


 そのお母さんも、お家に帰ってくるのは、何か月かに一回だけ。


 6歳になるまでに、お母さんの手に直接触れたことが、一体何回あったっけ。


 会いたくて、触れたくて、お話したくて、抱きしめて欲しくって。


 でも、その全部が、叶わなくって。


 田川さんは困ったような笑顔で、何時も言っていたよね。


 お母さんは―――『特別』な人だから。


 だから、私に、会いにはこれないの。


 お父さんは―――『普通』の人だったから。


 だから、私が、重荷になってしまったの。


 わからなくて、わかりたくなくて。


 でも、あの日、お母さんが撮った、蒼い、蒼い空の写真を見た日。


 私は―――気づいてしまったの。


 こんな綺麗な写真に釣りあうような価値は、私にないって。


 幼稚園の運動会で、転んで一人だけ、ゴールできなかった日。


 周りにいる沢山の、皆のお父さんやお母さんを見て。


 私は知ってしまったの。


 こんな私に、構うような意味は誰にもないって。


 そう考えたら、納得できたの。


 お母さんが、会いにきてくれない理由が。


 お父さんが、私を置いて去った理由が。


 ちっぽけな、私の頭でも、理解できてしまったの。


 そりゃあ、そうだよ。


 愛されるような価値なんて。


 大事にしてもらえるような意味なんて。


 私には何もないから。


 だから、何時頃からか、止めてしまったの。


 田川さんに、『おかあさん、つぎ、いつかえってくるのかな』って、尋ねることを。


 『おとうさん、あした、かえってきたりしないかな』って、夜に願うことを。


 愛して欲しいなんて、言いません。私に、そんな価値はないから。


 大事にしてなんて、想いません。私に、そんな意味はないから。


 だから、これでいいんだと。


 そう想って生きてきました。




 あなたに出会った―――あの時までは。


 












 ※


 

 「そういえばさ」


 「黒江はどうして、私のこと、大事にしてくれてたの? 記憶はもう失くしちゃったのに」


 軽快に、吹きすさぶ木枯らしの中を、舞い踊るみたいに、くるくるとステップを踏む。


 そんな私を呆然と見据えながら、黒江は少し戸惑ったように眉をひそめた。


 「どうしてって…………そんなの…………」


 告げられる言葉は、少し痛むように滲んでる。まるで、気持ちを言葉にすることを躊躇っているみたい。でも、やがて諦めたように息を吐くと、首を横に振りながら、彼女は口を開いた。


 「はるには、沢山大事にしてもらったから。その……恩返しみたいなもんだよ」


 そんな答えに、私は思わずふっと笑ってしまう。肝心の当人が忘れてしまっているのに、律儀だなあこの人は。


 「そっかあ、それだけ?」


 言葉を口にしながら、まるで境界線を跨いでいるような、不思議な感覚が足先にある。心の境を、少しずつ踏んで確かめているような。微かな緊張感と、それにそぐわない軽やかな感じ。


 「…………」


 案の定、黒江は黙ってしまった。口にすることが躊躇われているのかな。でも、その答えのヒントは、昨日、見せてもらってしまった。


 黒江は、私に、かつての私が好きだったと、告げた時。


 どこか、何かを後悔するように、泣いていた。


 どうしてだろう、今の私に想いを告げることを躊躇ったからなのかな。


 それとも―――。



 「私がいつか、想い出さないかなって期待してたから?」



 口にすると、黒江の肩は、あっけないほどにがくんと揺れる。自分でも口にしながら浮かべる笑みが、少し悲哀に滲んでしまう。


 「………………はる、ごめん」


 「ううん、別におかしいことじゃないと想うよ。記憶を失くした人が、想い出してくれたらいいなんて。誰でも想うよ、多分、私が逆の立場でも想ってる」


 それは、きっと、自然な反応。自然な想い。…………まあ、この人にとっては、それが許しがたいことなのかもしれないけど。


 「……………………」


 「でも、昨日、それは叶わなかった」


 これから、どうなるのだろう、想い出すことはあるのだろうか。でも昨日、私は、黒江の話を聞いても、日記を見ても情景の一つも浮かんではこなかった。


 壊れたファイルを、無理矢理開こうとしているような。どれだけキーを押し込んでも、ただ空虚なメッセージだけが返ってくるような。


 「もしかしたら――――これから、一生かけても、私の記憶は戻らないかも」


 そう口にしていると、喉の奥から、何か……とても大事なものが抜け落ちていくような錯覚がある。


 10年という月日で、積み重ねたはずの願い、想い出、その残滓。


 「そしたら―――」


 怖いなあ、口にするだけで、涙が出そうになってしまう。


 きっと、今の私にとっても、記憶が戻るというのは、ある種の願望だったはずだから。


 こんな意味も価値も、何もない私じゃない、別の誰かに。


 ある朝、ふと目覚めたら、魔法みたいに、変わってる。


 そんな、儚い子どもが見る夢のような、希望だったから。


 「黒江は、私のこと―――嫌いになる?」


 本当は、泣き出してしまいそう。


 お願い、『違う』って言ってって、喚いて、叫んで。


 あなたを、困らせてしまいそう。


 でも、それはきっと許されないことだから。


 あえて、軽快に、あえて、朗らかに。


 朝ごはんのメニューでも尋ねるみたいに、笑って尋ねた。


 あなたは、息を詰まらせて、胸に何かが刺さったみたいに、言葉を失って。


 でもやがて、泣きそうな顔のまま、首を静かに横に振った。


 わからない、その意思が、どこまで真実なのか。


 だって、あなたは優しい人だから、自分が辛くても無理をしているだけなのかもしれない。私があまりに惨めだから、憐れんでくれているだけなのかも。それとも、ただ、とっても義理堅いだけかもね。


 もしかすると、愛する人(17歳の私)の皮を被ったまま、あなたの隣に居ることは、救いようのない暴力にさえなるのかもしれない。


 もし―――この人の幸せを本当に願うのなら、私は身を引くべきなのかもしれない。


 でも―――。


 「だよね、黒江なら、そうだろうなって……想ってた」


 それでも―――私は。







 「だから、あなたを―――好きになったの」






 「ずっとね」



 「私はずっと、愛される価値なんてない子どもだったの」



 「お父さんはいなくなって、お母さんは会いに来なくって」



 「でも、それは私がダメだったから」



 「『特別』になれないから、『普通』にもなれなかったから」



 「ずっと、ずっと」



 「だから、仕方ないって」



 「誰も、私のことなんて、見てくれなくて当たり前だって」



 「ずっと、そう想っていたの」



 「私は、愛される価値なんて、大事にされる価値なんて」



 「何処にもないって…………そう想っていたの」



 「でも……ねえ、黒江、憶えてる?」



 「一か月前、初めて会ったばかりの頃」



 「何もかも覚えてなくて、黒江のことすら、私は何もわからなかったのに」



 「黒江はね、それでも、私を大事にしてくれたよね?」



 「記憶がなくて、不安な私の傍にいて、一緒に笑って、隣で手を繋いでくれた」



 「それから、たくさんの人がみんな私を大事にしてくれた」



 「でも、あなたがくれたものだけが、どうしてか忘れられなくて」



 「わかってるよ、黒江がずっと見てたのは、私じゃない、今の私じゃないってことは」



 「でも、それでもね」



 「私は、あの時、初めて誰かに―――大事にしてもらえたの」



 「知ってたよ、黒江がホントは辛いのも。泣いていたのも。苦しんでいたのも」



 「でも、それでもね、あなたは私の傍にいてくれた」



 「私を独りにしないでくれた」



 「震えながら、泣きながら、苦しみながら」



 「それでも、私を抱きしめてくれた」



 「『今の私』の手を、あなたはずっと握ってくれた」



 「わかってるよ、わかってるの、黒江がそれで苦しんでたのも」



 「でも、それでもね」



 「あの時から、この一か月ずっと」



 「私は、初めて、誰かに―――愛してもらえた―――気がするの」



 「…………私の思い込み、だったらごめんね。でも、それくらい、嬉しかったの」



 「誰かが、手を握ってくれること、誰かが、私を見てくれること」



 「誰かが、声を聴いてくれること、誰かが、笑って頷いてくれること」



 「傍にいてくれること」



 「きっと、たったそれだけのことが」



 「私―――本当に嬉しかったの」



 「あなたにとっては、もしかしたら、義務とか、責任とか、そういうものでしかなかったかもしれないけれど…………」



 「それでも、私はきっとね、大げさかもしれないけれど」



 「あなたに―――救ってもらったの」



 「過去の私のことは、わからない。これから、想い出すことも、出来ないかもしれない」



 「そんな私が、あなたのそばに居たら、傷つけてしまうかな。苦しめてしまうのかな」



 「でも、それでもね」



 「どうか―――どうか、聞いてください」



 「たった一か月しか、傍にいない私だけれど、記憶もない私だけれど」














 「あなたのことが――――大好きです」






 「『いつかの私』にはなれないけれど、『今の私』のままだけど」






 「だけど―――それでも――――」






 「あなたの隣に、居させてください」






 「こんな、ちっぽけな私だけれど」






 「あなたを好きで――いさせてください」














 それだけが、こんなちっぽけな私の。



 たった一つの―――お願いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ