第98話 私はあなたと―④
12月●日
また、キスをされた。唐突に脈絡もなく。
どうしてって聞いても、黒江は答えてくれない。
少し、悲しそうな顔をするだけ。
どうしたらいいんだろう、何を言えばいいんだろう。
考えても分からない。
バカな私じゃ……。
12月▼日
また、キス。
今度は食事中に。
なんか段々と慣れ始めている自分がいる。
異常なことなのに、許されないことなのに。
くろえだってそんなことはわかってる。私よりずっと賢いんだから、こんなこと続けられないのも。
わかっているはずだけど。
少し悪ぶって、心にもないことを言ってたから、軽く窘めた。
そんな風にしていると、ああ、いつも通りのくろえだなって思ってしまう。
賢くて、優しくて……気持ちを口に出すのが、少し苦手な私の妹。
お姉ちゃんには、そんなのバレバレなんだから。
…………まあ、そうやって偉ぶっていたら、『鈍感姉』って言われちゃったけど。
鈍感、鈍感かあ…………。
さすがにそろそろ、向き合わないといけないのかな…………。
12月××日
今日もまたキスされて、その末、くろえに泣かれてしまった。
「いつまで、私ははるにとって『妹』なの」って。
…………うまく答えることが出来なかった。
ただ、抱きしめるくらいしか。
本当に、どうしたらいいんだろうね。
12月×▼日
今日はくろえと、お買い物デート……という名の、お母さんのクリスマスプレゼント探し。
仲直りも兼ねて、こっそりクリスマスプレゼントを準備していたのに、あっさりくろえに見つかってしまった。とほほ……。
結局、その場で渡すことになったけど、喜んでくれてたらいいな。
あげたのは、リングのネックレス。シンプルな、何の飾り気もないようなやつ。
でも、リングのネックレスは、『永遠の絆』の象徴らしい。
上手くそれを伝えることはできなかったけど。
どうか、この約束が嘘になることがありませんように。
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12月×●日
今日、くろえの想いを聞いた。
そして、私はどうやら、その想いからずっと逃げ続けてたみたい。
…………お姉ちゃん失格だね。
でも、わかってた、勇気がなかった。
その想いと向き合うことで―――私のせいで、くろえを不幸にしてしまう気がしたから。
でも、もう、逃げるのはやめにしよう。
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12月24日
今日、くろえに想いを伝えた。
もう、隠すことも、誤魔化すことも出来なかったから。
そう、結局、私は、最初からずっと。
妹のことを、ずっと愛してしまってたんだ。
ずっと、逃げ続けてきたけれど。
でも、もう逃げない。逃げられない。
もう、私も、くろえも。
それを知ってしまったら、きっともう引き返せなかったんだ。
これからのことは、わからない。きっと、たくさんの辛いことがある。
それでも、どうか、あの子を手を離すことだけはないように。
10年も前に交わした、あの幼い約束が。
違えられることのないように。
今はただ、そう願うことしか、できないけれど。
今日、くろえが指輪をくれた。
丁度いいから、そこに刻まれている言葉を、パスワードにしようと想う。
私がずっと隠してきた、この想いを。
ここに閉じ込めておくために。
決して、潰えて欲しくはない、この誓いを。
ここに刻んでおくために。
ねえ、未来の私。
私はまだ、あの子の手を、ちゃんと握っていますか?
本当は泣き虫で、臆病なあの子のことを、ちゃんと守ってあげれていますか?
大好きで、誰よりも大切な、あの子のことを。
ちゃんと愛してあげれていますか?
この問いが、この願いが。
どうか途絶えることがないようにと。
ただ願ってやみません。
どうか。
はる
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何を口にすればいいのだろう。
なんて言葉にすればいいのだろう。
口はどうにか動こうとするのだけれど、音にならない、言葉にならない。
呻き声とも、泣き声ともつかない何かが、ただ滲むように零れるばかり。
胸はずっと何かが詰まって、溢れさせたいはずなのに、その全てが喉から出ていってくれない。
零れ落ちる雫に、どういう感情が溶けているのか、わからない。斑色の雨粒みたいに、色もた形もぐちゃぐちゃになったまま堕ちていく。
ああ、そっか。……そうか。
愛していたんだ、この身体は。
かつての私は、あの人のことを。
ずっと、ずっと、ずっと――――。
許されないけど、誰に認めても貰えないけど。
それでもずっと。
愛していたんだ。
だから、隣に居たら胸が高鳴って。
だから、触れあったら息が解けて。
だから、唇が重なった、あの時に。
私は彼女を―――受け容れていたんだ。
欠けていたはずの、不自然なパズルのピースが、嘘のように繋がっていく。
どうしてだろう、わからないと想っていたはずの不可解が、全て一つの事実に収束していく。
この一か月、ずっと黒江の中にあった、隠されてきた危うい揺らぎも。
私達は愛し合っていたのだと、その一言で全て説明がついてしまう。
だって、私はこれだけの想いを重ねて、誓いを交わして。
それでも、なお………………。
全てを忘れていたのだから。
何も知らないような顔をして、こんなに大切な誓いに気付きもせずに。
ただ、あの人の隣で、何も知らずに。
ぼたぼた落ちる、雫が零れる。
傷み、後悔、罪悪感、不安、恐怖、喪失感。
そんな色々が、溶けてない交ぜになったまま、嗚咽になって溢れ出す。
痛い、痛い。
どうして、こんな大事なことを、忘れてしまったの。
どうして、こんな大切な想いを、失くしてしまったの。
胸の奥を探っても、頭の奥で呻いても、情景の一つも浮かび上がらない。
決して失くしてはいけないはずの約束が、今、もう、私の中には遺ってない。
どうしたらいいんだろう。
どう謝ればいいんだろう。
手元にある小さな指輪に、交わした誓いが、確かにあったはずなのに。
私の記憶は、その時の、言葉一つすら教えてくれない。
傷む、震える。
身体が、声が、頭が、心が。
戦慄いて、かじかんで、仕方がない。
もし、もしできるなら。
今すぐ、この頭を指で開いて、心を無理矢理こじ開けて。
そこに隠されているはずの、記憶を無理矢理引き出してしまいたい。
私の心が隠してしまった、その記憶の断片を。
どうにか、どうにか手に出来たなら。
嗚咽が零れる、泣き声が溢れ出す。
抑えたいのに、抑えられない。
ダメなのに、こんな私じゃダメなのに。
もっと、もっとちゃんとして、黒江にとっての、大切な私じゃないダメなのに。
ダメなのに―――。
いくら、想い出そうとしても。
頭の中に広がるのは、真っ暗な暗闇だけ。
小さな頃、独りぼっちで、ベッドの中に居た。
冷たくて、暗くて、怖い。
そんな、ただの暗闇だけ。
椅子の上で、膝を抱えて、ぼたぼたと雫が落ちていくのを、漠然と感じる。
膝が濡れて、息も絶え絶えで、もう拭うのすら馬鹿らしい。
ああ、明日から…………どんな顔をして、黒江の前に居ればいいんだろう。
愛した人の顔だけつけて、その誓いを失くした私は。
彼女の眼に、どんな風に映っていくのだろう。
あー…………って零れた息が、少し遠い。
泣きすぎて耳がおかしくなったのか、水の中で聞いてるみたいに、すごくぼやけて聞こえる。
どうやったら、愛されるんだろうじゃないよ…………。
これから、私は一体、どんな顔して…………。
あの人に、想いを伝えたらいいんだろう……。
カーソルをスクロールさせながら、いい加減、少し力の抜けてきた息を整える。
ずびりずびりと、鼻水がみっともない音を立てていく。
画面に映る日記の文字は、あまりに遠くて、今日折角掴んだ、身体の感覚すらなんだかぼやけてしまったよう。
私って、いったい何なんだろう…………。
誰かの愛した人の、皮だけ被って、なのにその人には何一つしてあげられないで。
挙句、そのまま、好きになって…………。
何の意味が……何の価値があるんだろう。
溜息が零れるのを感じながら、そっと椅子から腰を上げる。
わからない、何をすればいいのか、どうしたらいいのか。
6歳の私の心に、記憶に、その答えはなくて。
涙を袖で拭いながら、ふらふらと、部屋を出て廊下を抜ける。
そうして、音を立てないように、そっと黒江の部屋の扉を開けた。
さっき、寝かしつけたから、電気は暗くて、音もしない。
そんな暗闇の中を、記憶を頼りに、黒江のベッドまで静かに足を延ばした。
そのまま、とすんと腰を下ろして、かすかに見えるあなたの寝顔をじっと見る。
この一か月、この人は、どんな気持ちで私のことを見ていたのだろう。
今日、好きだと教えてくれた時。
どんな想いで、その言葉を口にしたのだろう。
わからない、6歳までの記憶しかない、私には。
わからないよ。
そんなことを、考えていたら、またすぐに雫が溢れ出しそうになる。
でも、ダメだ。ここで泣いたら、起こしてしまう。
それでも、涙は止まってはくれない。
だから、泣き声だけあげないように、ぽつぽつと、雫が頬から零れ落ちるままに、あなたを見ていた。
どうしたら―――。
そう考えながら、そっと眼を閉じた時。
ふっと、視線を感じた。
小さく目を開けて見ると、あなたの瞳が少し朧げに、私を見ていた。
起きた……のかな。眠そうではあるけれど。
ぼんやりとした表情のまま、ゆっくりと黒江の手が私の方に伸びてくる。
ちゃんと目が覚めてるっていうより、寝ぼけたまま、手だけ伸ばしているような…………。
「ごめん…………起こした?」
そう小さく声を零すと。
黒江は静かに、首を横に振って。
そうして、小さく、暗みの中、呟くように声を漏らした。
「―――泣かないで」
「はるは、悪くないから」
「あなたは、何も、悪くないから」
「はるは―――『今のはる』のままでいいから」
「私が悪いの、だから、泣かないで―――」
「あなたが、泣いてしまったら」
「私は、それが一番、悲しいから」
「だから、お願い」
「泣かないで、責めないで」
「あなたがそこにいることを」
「誰も―――否定なんてしないから」
「だから―――………………」
そっと伸びた、冷たい手が。
静かに私の頬に触れた後、ゆっくりと途絶えるように、ベッドに落ちた。
少しだけ顔を上げると、目はまた閉じられて、少し荒れた息の音だけが聞こえてる。
…………………………。
なんで、そこで私のこと気遣うのかな。
誰より辛いのは、黒江なのに。今の私を、一番、否定したいのは、本当は黒江のはずなのに。
どうして、あなたは、『今の私』のままでいい、なんて言うのだろうか。
分からない、私の短い人生では何一つ。
わからないけど。
ずびっと鼻をすすりながら、少しはだけていた布団を、黒江の身体にそっと被せた。
今の私じゃあ、わからないことばかりだけれど。
何か―――しなくちゃ。
思い出すでも、きっかけを探るでも、何でもいい。
この人のために、私のために。
何かしなくちゃ。
そんなことを、独り、暗い部屋の中で決意する。
たとえ、誓いのよすがが、失われても。
それでもきっと、私はまた。
この人に―――恋をしてしまったのだから。
諦めるわけには、いかないのだから。
そうして、眠るあなたの手を、そっと握った。
冷たくて、細くて、柔らかい、そんなあなたの手と手を重ねていると。
少しだけ、胸に空いた孔のような、鈍い痛みが、忘れていられるような。
そんな気がした。
気のせいかもしれないけれど。
それでも、身体の中に残る、微かなよすがを辿っていくように。
そんな、いつかの記憶の残滓を。
私は微睡む意識の中で探してた。
明日、朝、目覚めたなら――――。
そんなことを想いながら。
冷たい、暗闇の中で。
二人、静かに。




