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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第8章 わたしとあなた

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第94話 姉とチョコレート

 初めて、はるにバレンタインを貰ったのは、小学二年生の頃。


 大体二週間くらい前から、なんだか妙にソワソワしてて、家政婦の田川さんと何やらぼそぼそ話すのをよく見かけてたっけ。


 私がキッチンに行ったり、冷蔵庫を開けると、露骨に慌てだして。牛乳を取りたかっただけなのに、わざわざ代わりに取ってくれてた。


 まあ、何かしようとしてるのは、嫌でもわかった。


 田川さんも、私が『気付いてる』ことに気付いていたのか、苦笑いでしーっと口に指をあてていたっけ。


 これじゃあ、どっちが秘密を抱えてるのか、わかったものじゃない。


 ……なんて、想いながら、14日の夕ご飯の後に、私は予想通りチョコを受け取った。


 手作業で結んだのがよくわかる、不格好なリボンと、少しくしゃっとなった小さな袋。


 それを手渡すはるの顔は真っ赤で、心配げに私の方を見つめてて。


 私が袋を開けて、中から小さなチョコレートを取り出すと、それだけでちょっとびくっとして。無造作に口の中に入れると、余計にビックリしていた。


 確か、あれも生チョコだったかな。っていっても、本当に溶かしたチョコレートに生クリームを混ぜただけのものだったけど。


 形は不格好で、パッドに入れて作るだけのものが、よくこんなに歪になるなと逆に感心してたっけ。


 続けざまに、二つ目を口にした私に、はるは何処か恐る恐る首を傾げてた。


 どう? 美味しいって? 尋ねるみたいに。


 あの時、私なんて答えてたっけ…………。


 「甘い」


 …………なんか、我ながら、情緒もくそもない返答だった気がする。


 そんな、ろくでもないはずの感想に、はるは跳びあがりそうなくらいに喜んでいた。


 そんな様子を、私はチョコレートを口に頬張ったまま、ぼんやり見ていて。


 そうして、ようやく、袋にくっついていた小さなメッセージカードに気が付いた。


 そこに書いてあったのは、薄ピンクのカードに綴られた、少し拙いはるの筆跡。


 『くろえへ


 ずっと、ずーっと、わたしのいもうとでいてください。


 はるより』


 私はそれをどこか曖昧に見つめながら、抱き着いてくるはるにされるがままになっていた。


 まあ、私は所詮、もう離婚した連れ子の義妹で、今の関係は吹けば消える蝋燭みたいなものなんだよ、と。


 ……口にしないだけの情緒くらいは、さすがに当時の私にもあったけど。


 あれから、毎年、はるはバレンタインになると、私にチョコを作ってくれた。


 さすがに、途中からお互い慣れて、日常の延長で貰うようになったけど。私も次の年からは、ちゃんと準備するようにしてたし。


 繰り返すうちに、そんなやり取りもすっかり手慣れて。私はいつも少し高めのチョコレートを、買って渡していたけれど、はるは毎年わざわざ手作りをしてくれいた。


 いつもいつも、毎年この時期になると、私のいない時間を盗み見てはキッチンを占拠して、当日までは、絶対に隠し通すという、強い意志を見せていたっけ。まあ、相変わらず、バレバレなんだけど。


 あの時のメッセージカードは、どうしてか今でも、私の机の奥にしまってある。


 『ずっと、わたしのいもうとで―――』


 なんて、口にした当人が、もう約束を忘れてしまったけれど。


 そのはず―――なんだけど。



 



 「         」






 胸に押し当てられた小さな包みを見て、言葉が上手く見つけられない。


 なんで、どうして。バレンタインには、まだ少し早いよ。


 そんな、ありきたりな返答さえ、上手くできない。


 ああ、琥白とつくったのかなとか、今日はこれをしてたんだねとか。


 言えることは幾らでもあるはずなのに。


 思考が、呼吸が、処理を忘れたみたいに停止してる。


 だって、だって、だって…………これは。


 少し右側が崩れた、いつものリボン。普段はあまり使わない癖に、こういう時だけ選んでくる、薄いピンクの可愛らしい包み袋。


 そうして、開いた封の中にあったのは。


 最初は拙くて、型から切り出すのすらおぼつかなくて。不器用で、いっぱい触るから手の温度で溶けて、ぐちゃぐちゃだったのに。


 でも段々と慣れていって、コツを掴んで、少しずつ少しずつ、綺麗な四角い形にまとまるようになった。


 あの時と同じ、生クリームを混ぜたチョコレート。


 指先で軽く摘まめる大きさなのも、あの頃のまま。


 少し、視線を上げると、はるはどことなく不安そうに私の方を窺っていた。


 変かな? おかしくないかな? と言外に尋ねられている気がする。さっきまで、あんなに勢いよく来てたのに、もう不安になってきたのかな。


 ……そういうとこも、はるらしいけど。


 暗い夜道の真ん中で、街灯の灯りだけを頼りに、吹き荒む冷たい風の中。


 それとなく、チョコを一つ、口に運んだ。


 「えっと…………どう……かな」


 外気で少し固くなった、生チョコが、ゆっくりと私の冷たい体温の中で、本当にゆっくりと溶けていく。


 硬く強張った何かを、少しずつ、解いてくように。


 「………………甘いよ…………甘くておいしい」


 私が、そう口にすると、あなたはぱあっと顔を明るくして、どこか泣きそうな顔で微笑んだ。


 「よかった、えっと……頑張ったんだ。今日、琥白ちゃんと、一緒に作ってさ……」


 そうやって少し恥ずかしそうに、赤らめた頬を掻く。照れのせいかな、寒さのせいかな。


 「そう…………琥白にやり方教えてもらったの?」


 私の知る限りでは、あの子、そういうスキルはなかったはずだけど。


 「え、えと、レシピは教えてもらったかな……。あ、でもね、作り方はなんとなくわかったっていうか、こう指が勝手に動いたというか…………」


 そうして、返ってきたはるの返答に私はそっと頷いた。……だよね、だって、何度も見慣れたチョコだったもの。


 ほんの少しの癖も、微かなばらつきまで、本当に。


 「そっか…………頑張ったんだね…………嬉しい」


 あの頃の、あなたが作ってくれたみたいだ。


 たとえ、それが身体に刻まれた、ほんの癖のようなものに過ぎなくても。


 あなたの中に、かつてのあなたの名残が確かに残ってる。


 それだけで、私は救われる。


 「うん、えっと、それでね、黒江…………」


 そう言って、あなたは続きを喋ろうとするけれど、私はその前にチョコの袋をそっと結び直した。そうして、あなたの手を取って、ゆっくりと歩き出す。


 「つもる話もあるけど……今は帰ろ? このままだと風邪ひいちゃう」


 そうして、あなたの歩調に合わせるように、ゆっくりと足を前に進める。さっきまでは、ぴくりとも動いてなかったくせに、あなたの前だと、かっこつけだねこの足は。


 「え……あ……う」


 そう、まだ、歩いていける。こうやって、あなたが少しでも温もりをくれるなら。


 暗い深海を独りで行くような、呼吸すらままならない、静かで冷たい旅路でも。


 私はまだ歩いていける。


 そう想いながら、ふっとはるの手を引っ張ったら。


 くんと微かに、腕が止まった。


 え…………?


 ふと振り返ると、はるがじっとその場に立ったまま、私を見ている。


 どこか泣き出しそうな表情で、まるで何かを心に決めたみたいに。


 私のことを、まっすぐと、滲んだ瞳のまま見つめてる。



 「あの……ね、黒江」



 「チョコの代わりじゃないけれど………………」



 「お、お願いがあるの…………!」



 「えっと…………えっと…………うー…………」



 「えっと、うん…………うん!」




 「あのね! ()()()()()()()()()()()()()()()()




 「その……、どういう関係だったかとか! どうやって出会ったかとか! い、色々!」



 「き………………聞いてみたいの」



 「ダメ…………かな?」



 そうやって、震える声で、決意の言葉を告げるあなたを。



 私は何も言えないまま、見つめてた。



 いつかは、言わなくちゃいけないと解ってた。



 あなたの心が、私の衝動が、それを許さないことは解ってた。



 解っていた―――はずなのだけど。



 いざ、あなたがその勇気を、見せつけてきた時に。



 私はうまく、頷くことが出来ないでいた。



 どうしてか、ずっと待ち望んでいたはずの、その言葉に。



 私の胸の中は、嘘みたいに、凍り付いたように、暗く冷たく固まっていた。


 


 「―――後悔……しない?」




 漏れ出た声も、冬の夜風で、重く冷たく強張っていて。



 そんな、私の揺らぐ想いとは裏腹に。



 「―――うん」



 あなたは、真っすぐと、頷いていた。


 

 滲んだ瞳で、震えた唇で、覚束ない足取りで。



 それでも、ただ、私のことを真っすぐと。



 あの頃と、何一つ変わらない、そんな眼で私を見ていた。

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