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04話:夫はすっかり開き直りました

「……何の話だ」

「東の国境へは、行きましたか?」


 ほぼ同じ内容を、同じ速さで質問した。


「行った。三日目だ」

「三日目の夜、南の湖畔の宿で葡萄酒を二本頼んでいます」

「それは——」

「東の国境から南の湖畔まで、馬で四日はかかります。三日目に東にいた人は、三日目の夜に南で葡萄酒を飲めません」

「道が悪くて、予定を変えたんだ」

「東の道が悪いので、南へ七泊。初めて聞く兵站です。地図に書き足しておきます」

「……お前な」

「はい」

「いちいち、そういう嫌味な言い方をするな」

「言い方を変えたら、距離が縮まりますか?」


 夫が座ったまま椅子を引いた。ズズズと脚が床を擦る音がした。


「ああ、東国には行ってない。南にいた。それがどうした」


 認めた。想定より早い。


「セシリアさんとは、いつからですか?」

「彼女が慈善会に来始めた頃だ。春か、その前か。いちいち覚えていない」

「なぜ視察だと嘘をついたんですか?」

「本当のことを言えば、お前は面倒な顔をするだろう」

「面倒? 私はそんな顔をしますか?」

「しないから面倒なんだ。何を考えているか分からない」


 するから面倒で、しないから面倒。

 とにかく私が面倒な存在なのだけは、決定事項らしい。


「では私が何を考えているか説明します。今は、それが本当の理由かどうかを考えています」

「ああ、もう、そういうところだよ!」


 夫が机を叩いた。インク壺が跳ね、黒い雫が散る。


「今日の宿の夕食に、祝い菓子が付いているようですが」

「宿が勝手に付けたんだ」

「宿は何のお祝いだと聞いて、つけましたか」

「……セシリアの家の商談がまとまった」

「おめでとうございます。そして今日は、ニナの誕生日でした」


 夫の顎が強張った。手元の紙から私へ視線を移した。


「……お前のせいだろう」

「なにがですか?」

「家に帰って、楽しいと思ったことがない。お前はいつも書類を見ている。俺が話しかけても、顔を上げるのは三つ数えてからだ」


 その書類はいつだってあなたが目を通すべき書類です、と反論するのを途中で止めた。そういう問題ではないのだろう。


「……私は、何が悪かったのですか? 後学のために教えてください」


 皮肉ではなく、純粋に知りたかった。『後』があるのか不明だが。


「……全部言わせる気か?」

「はい。全部、聞かせてください」


 私は文書にするために新しい白紙を開き、今日の日付を書いた。

 夫は長く息を吸った。


「愛想がない。女っけがない。笑わない。化粧もしない。香水もつけない。隣に立たせても絵にならない」


 聞きながら書いた。

 化粧に香水。そして笑顔……。確かに私の装備品ではない。


「十年前は、まだ子供だったから、仕方がないと思っていた」


 ペンを持つ指が止まった。


「待てば育つと思った。それがどうだ。背も伸びない。胸もない。腰もない。愛想もちっともよくならない」


 二十五歳の今も小柄で、軍服の裾は毎回詰める。

 確かに体格も知識も、あまり10年前からの変化は少ないかもしれない


 けれど――

 四年前にニナが生まれた。

 ニナは泣きそうになると黙ることも、笑う前に肩が上がることも新しく覚えた。自分の命より大事な存在があることを初めて知ることができた。それが私が自覚した変化。


 この人はその間ずっと、私の胸が大きくなるのを待っていたのか。


「床を同じにしても、顔色ひとつ変えない。甘えた声も出さない。ちっとも気持ちよさそうな顔をしない」

「それは、気持ちよいと感じたことがないからです」

「は?」

「気持ちよくないので、顔に出ません」

「そんなことを、よく平気で言えるな?」

「その件については理由が明確なので、言いました」

「お前なあ」


 夫の声が大きくなった。


「お前のそういう顔を見ていると、気が滅入るんだよ!」


 夫が立ち上がった。

 手が剣の柄に掛かる。人前で威厳を示すときの癖だ。

 私は私で、反射的に背後の扉までの距離を目算した。


「声を落としてください。ニナが寝ています」

「何でもニナを持ち出すな。今はお前の話をしているんだろう!」


 柄を握る手の指が白くなっていた


「では、続きを」


 夫が鼻で息を吐いた。


「俺はな、胸が大きくて、腰がくびれていて、よく笑う女が好きなんだよ。十年待ってやったのに、お前はそのどれにもならなかった」


 これが、この人の結論だった。


 最後まで話は聞いた。

 結論として、この人が欲しいのは私とは別の女性である。


 私はペンを置いた。


「よく分かりました」


 話が通じたとでも思ったのか、夫の顔が少し緩む。


「分かったのは、10年前に始めた答え探しが、終わったということです」


「は?」


「今日をもって、あなたの妻をやめます」

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