イドニラ
時刻はすでに深夜になり、サリヴァンのバーからフォンツ王国に入ってしばらくしてからだった。タブ爺も酔いが覚めていて普通に会話できるようになっており、二人で王城へ続く一本道を走っている時だった。
「ワシはこの辺で失礼します。レオン王子、次会う時は討伐隊が遠征に行く時ですな」
馬で並走しながらレオンは頷き、タブ爺は右へ曲がり街の中へ入って行った。
レオンは直進し、王城へ向けて走っている時だった。
「…もし」
レオンは空耳かと思って馬を走らせていたが、
「もしもし」
よく見るとレオンの横、先程までタブ爺が走っていた場所に松明もつけずに馬で走っている老人がいた。その老人がレオンに話しかけていたのだった。
レオンは馬を止めるとその老人も馬を止めて、二人とも馬から降りた。
老人は年齢は七十歳くらいで頭頂部は禿げ上がっており、鼻から下は布で顔を覆っており目から上しか顔の情報量は無かった。
その老人はレオンに近づいて、
「あなたのカルマを知りたい」
そう言って老人は急にレオンの額に手を当てるとレオンの額が光り始めた。すると、
バチンッ!
と、大きな音を立てて何かが破裂した。レオンは傷を負わなかったが、その老人は煙が出る手を押さえていた。
「な、なんという闇じゃ」
一度遠ざかった老人はヌッとレオンに近づいて、人差し指くらいの長さの小さな細長いケースをレオンの前に差し出した。
「イドニラじゃ」
老人はケースの蓋を開けると黒い球状の物体が三つ仕切りに区切られて入れられていた。
「イドニラ?」
レオンは恐る恐る聞き返す。深夜のこの時間誰もいない静かな空間はまるで止まっているかのように二人だけの会話と小さな呼吸の音まで聞こえてくる。
「一粒飲めば嫌なことはなんでも忘れることができる魔法の薬じゃ」
「嫌なことはなんでも忘れることができる…」
老人は目を大きくしてレオンを見る。老人は両目とも目の焦点があっておらず黒目が両方とも外側を向いている。
「そうじゃ。嫌なことはなんでも忘れることができる。お兄さんを快楽へと誘う。一粒どうじゃ?」
「い、いえ。いらないです」
「まあそう言わずに」
老人は無理やりレオンのズボンのポケットにイドニラが入ったケースを入れた。
「今回だけはお試しで無料にしておきますよ。ちょっと気分転換するときにでも使ってみてください。お兄さん」
老人は再び馬に跨った。
「あなたが私を必要としたとき、私はいつでもあなたの前に現れますから」
老人はその言葉だけ言い残して馬とともに夜の暗闇に消えて行ってしまった。そして、馬が走る音も聞こえななくなった頃にレオンも馬に跨った。
ズボンのポケットに手を入れ、確かに存在しているものの感触を確かめた。
しばらく馬を走らせてレオンは王城に到着していた。到着後、玄関でカスパリーニョに遅くまで出歩いていたことは叱られた。
レオンは入浴を済ませ、寝巻きに着替えて自室に戻った。そして、先ほどまで着ていた服はベットの枕元に置いた。
耳を抑えるレオン。
「ううぅ…まただ」と小さく呟く。
誰かがレオンを見ている声。その声はレオンの人格、容姿何もかもを否定してくる存在のわからない声がレオンを再び襲っていた。
唸りながらレオンはベットに顔を突っ伏した。頭をくしゃくしゃに掻きむしって、それでも誰かがレオンを見ている声が止まなかった。
この声は朝まで続くのがいつものことだった。
レオンはハッとして思い出した。老人が言っていた言葉を。
(一粒飲めば嫌なことはなんでも忘れることができる魔法の薬じゃ)
枕元に綺麗に畳んでいた服を貪り散らかすように広げ、ズボンのポケットに入っていたものを取り出した。老人が無理やり入れたイドニラの入ったケースだった。
レオンは迷うことなくケースの蓋を開けて一粒手に取った。そして、口に運ぼうと舌を出したがイドニラを口に運ぶことをやめた。
しかし、レオンを誰かが見ている声は止むことがなかった。それどころかさらに増していった。
レオンは一度唾を飲み込み大粒にかいている汗を拭った。呼吸が荒くそして、激しくなる。
レオンは一粒取ったイドニラをケースにしまって、再びズボンのポケットのしまおうとした、しかし、レオンを否定する声はレオンの脳内で催眠術でもかけられているようにどんどんと大きくなってくる。
「…頭が割れそう」
レオンはポケットに戻しかけたイドニラを再び開けて、震える指先で一粒摘み上げてゆっくりと口に運んだ。
その途端、体の奥底からじわじわと何かが湧き上がってくるのをレオンは感じていた。それが、体全体を覆ったとき極上の快楽を得た。
それと同時にレオンの頭を騒がせていた謎の声たちが潮が引いていくように消えて行った。
レオンは不安げな表情から少し口角を上げて笑みを浮かべる。ベッドに背中を預けてふうっと息を吐いた。
誰もいない自室で、今度は誰も見てない状況で、謎の声も途切れた状況で、一人快楽に満ちて安堵した表情を浮かべる。
○
場所は魔女が住むヴェルヘルム王国のとある場所。
そこは洞窟の中だった。通路の両脇には松明が巻き付けられており、周りを明るく照らし出していた。
洞窟の一番に大柄でスカーフェイスの男が葉巻タバコを咥えまるで王のように椅子に鎮座していた。そして、男の前には黒づくめの男性が一人息を切らして「報告します!」と言った。
「フォンツ王国にてレオンってやつを発見したっす」
「ほうそれでぇ。捕られたのかぁ?」
男は口に食えわていた葉巻タバコをつかみ口から外し、ふうっと煙を吐いた。
「そ、それが聞いてた話と全然違ってたっす! ジョー様」
ジョーはゆっくりと息を吸って吐き出しながら言った。
「何がだぁ?」
「レオンってやつとんでもねぇ骸骨みたいなの出して、もうホント、とにかくヤバかったっす」
「ほう、リマーナ様の呪いはうまく発動したようだなぁ」とジョーは感嘆した。
そして、黒づくめの男は下を向きながらぽつりぽつりと言った。
「あのでかい骸骨にアニキがやられてしまったっす」
「でぇ?」
「…で?」
黒づくめの男は少し間があってからそう聞き返した。
「どうしたぁ」
「どうした…って…」
また黒づくめの男は困惑しながら聞き返した。
ジョーはゆっくりと席を立って黒づくめの男に近づいて行った。そして、グローブような分厚い手で黒づくめの男の胸ぐらを掴んだ。
黒づくめの男は小さな子供みたいに軽々と体が持ち上がる。
「今時の若いもんは戦って勝てないとわかるとオメオメ戻ってきまうのかぁ? なあガルディ」
ガルディと呼ばれた男はジョーが座る椅子の後部からスッと出てきた。見た目はスキンヘッドで肌の色は焦茶色、体の大きさは大柄なジョーよりも一回り大きい、タンクトップに膝上までの丈の短い半ズボンを履いておりかなり筋骨隆々な肉体の持ち主である。
「俺には細かいことはよくわからなないが怖くなってチビって帰ってきた。違うか?」
「があっうぐ」
黒づくめの男は首を掴まれもがいているが喋れないでいる。
「お前の武はその程度ものだったのかぁ」
ジョーの首を掴む手からパチパチと弾ける音が聞こえると一瞬にしてジョーの手は炎に包まれた。そして、黒づくめの男の顔を炎が覆い、瞬く間に業火で肉が溶け骸骨になってしまった。
「俺たちが本物の武を見せてやる。そして、届けるんだぁ。レオンをリマーナ様の元へなぁ」
ジョーは腕を下方へ振って黒づくめの男を地面に叩きつけると黒づくめの男の体全体が燃え上がった。
「残念だよぉ。名も知らなき武士よぉ。男なら正面からぶつかってから帰ってこい」
ジョーは煤で汚れた手を払った。
そして、ガルディは口角をにっと上げて言った。
「リマーナ様の理想は俺たちが叶える。違うか?」
「ああ、違わないねぇ。圧倒的な武でなぁ」




