タイトル未定2026/07/09 20:19
第四十章「手紙と胃腸とフランケンシュタイナー」
1
第三格納庫の朝は早い。
昨夜の騒動——コウタが「アイリ様のことが好きです」と公言し、その直後に「ユズハ艦長のことも大好きです」と宣言し、アイリに「汚らわしい」と切り捨てられ、最後は見事なフランケンシュタイナーで床に沈められた騒動——が終わったのは、日付が変わる頃だった。
それから数時間。コウタはスサノオの足元で目を覚ました。隣ではユズハが毛布に包まってすやすやと寝息を立てている。アイリの姿はない。どうやら一足先に目覚めて、紅茶を淹れに行ったらしい。
「ふっ……朝か」
コウタが体を起こすと、ちょうどアイリがポットとカップを手に戻ってきたところだった。
「おはようございます、少尉」
「おはよう。よく眠れましたか」
「ふっ……ええ。床は少々固かったですが」
アイリは紅茶をカップに注ぎながら、ちらりとコウタを見た。
「昨晩はわたくし、言い過ぎましたわ。フランケンシュタイナーはやりすぎでした」
「ふっ……いえ、当然の報いです」
コウタは立ち上がり、作業着の埃を払った。そして優雅に一礼し、気取った微笑を浮かべる。
「しかし、やれやれです。アイリさんが朝まで離してくれないとか、困ったものです」
アイリの手が止まった。
「わたくしが朝まで離さなかったですって? あれはあなたが胃腸の心配をしたから——」
「ふっ……それと少尉。フランケンシュタイナーは、パワハラです」
「……パワハラ」
「ええ。上官による過剰な身体的制裁は、立派なパワーハラスメント。私は整備試験員、あなたは正規の少尉。明確な上下関係があります」
アイリはカップを置き、じっとコウタを見つめた。その目は笑っていない。しかし、さすがに昨夜の反省があるのか、今日はまだ冷静だった。
「……よく言いますわね。あなたが胃腸の話をしなければ、こちらも実力行使には出ませんでしたわ」
「ふっ……あれは私なりの愛情表現です」
「愛情表現であれは通りませんわ。でもまあ、フランケンシュタイナーは確かに少しやりすぎでした。謝りますわ」
「ふっ……謝罪を受け入れましょう」
コウタは優雅にうなずき、それから何かを思い出したように付け加えた。
「あと、白です」
「……は?」
アイリの眉がぴくりと動く。ユズハが毛布の中で「ふにゃ……」と寝返りを打った。
「なにが白ですの」
「ふっ……それは少尉の尊厳のために、言わないであげましょう」
コウタはわざとらしく目を閉じ、気取った笑みを浮かべた。アイリは紅茶のカップを握りしめ、かすかに震える声で尋ねる。
「コウタ。あなた、今、何を想像して『白』と言いましたの」
「ふっ……想像などしていません。ただ、昨夜フランケンシュタイナーをかけられた際、ほんの一瞬、少尉の——」
「言ったら殺しますわよ」
「ふっ……ですから、言わないであげると申し上げたのです」
アイリは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。今朝の冷静さはどこへやら、その手には再び怒りの赤みが差している。しかし、そこにユズハがむくりと起き上がった。
「ふわぁ……おはよう、コウタくん、アイリちゃん」
「おはようございます、艦長」
「……おはよう、艦長」
ユズハは眠そうな目をこすりながら、二人の様子を見て首を傾げた。空気が少しピリついているのを、彼女の「なんとなく」が察知したらしい。
「また喧嘩してるの?」
「ふっ……喧嘩などしていません。私はただ、少尉の尊厳を守るために沈黙を選んだだけです」
「どういうこと?」
「コウタ。その話はもう終わりですわ」
「ふっ……ではこの話はここまでにしましょう」
コウタは優雅に一礼し、それからユズハに向き直った。
「艦長、少しよろしいでしょうか」
2
ユズハがきょとんと首を傾げる。コウタは真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「ユズハ艦長。手紙が好きなのはいいんですけど」
「うん。ユズハ、手紙大好きだよ。コウタくんにもいっぱい書いたし、これからもいっぱい書くからね」
「ふっ……それが、少し問題なのです」
「問題?」
「ええ。正直に申し上げて、重いです」
ユズハの動きが止まった。アイリも紅茶のカップを手にしたまま、そっと息を呑む。
「今どき手紙は、超ヘビー級です。昨晩、私が艦長の手紙を朗読しようものなら、朝までかかったでしょう。それはそれでロマンですが、少尉の胃腸と同様に純粋に気遣って申し上げるなら、もう少し軽めの手法もご検討されては——」
「ひどい」
ユズハの目に涙が盛り上がった。コウタは慌てて手を振る。
「ふ、ふっ……艦長、私はただ——」
「ひどいよコウタくん! ユズハの手紙が重いだなんて! ユズハ、コウタくんに喜んでほしくて書いてたのに!」
「ふっ……いや、重いというのはですね、内容ではなく文字通りの物理的重量の話で——」
「余計にひどい!」
ユズハは立ち上がり、拳を握りしめた。アイリが紅茶を一口含み、静かに呟く。
「……今度は艦長を泣かせましたわね、この雑魚」
「ふっ……違うのです。私は艦長の健康と、私の腕の健康と、格納庫の床の耐荷重を気遣って——」
「なにが耐荷重だ!」
ユズハがコウタの胸ぐらを掴み、そのまま頭から床に叩きつける。轟音が格納庫に響き、コウタは仰向けに倒れた。
「……ふっ。これで二日連続、床と親密になりました」
アイリは空になったカップを置き、倒れたコウタを見下ろした。
「コウタ。胃腸の心配の次は、手紙が重い。どうやらあなたは、黙っているべき時に余計なことを言う天才のようですわね」
「ふっ……当然です。私ですから」
「褒めてませんわ」
ユズハは涙を拭き、倒れたコウタの隣にしゃがみ込んだ。
「ユズハ、怒ってないよ。でも、手紙が重いって言われたのは、ちょっとだけ本当に悲しかった。だってユズハ、コウタくんに伝えたいことがいっぱいあるんだもん」
「……艦長」
「でも、重いって言われたから、ちょっとだけ軽くする」
「軽く?」
「うん。今日から手紙の封筒、薄いのに変える」
コウタは静かに目を閉じ、気取った微笑を浮かべた。
「ふっ……艦長の優しさ、痛み入ります」
「でも、手紙をやめるのは絶対にやだ。コウタくんが読んでくれる限り、ユズハはずっと書くからね」
「ふっ……もちろんです。何通でも読みましょう。私の腕が腱鞘炎になろうとも」
「腱鞘炎になったらユズハが治してあげる!」
「ふっ……それは頼もしい」
コウタが起き上がり、優雅に一礼する。アイリは新しい紅茶を淹れ直し、三人のカップに注いだ。
「……まあ、二人がそれでいいなら、私は何も言いませんわ」
「ふっ……少尉も、胃腸を大事になさってください」
「まだ言いますの」
「ふっ……これは純粋な気遣いです」
アイリはカップを置き、ゆっくりと立ち上がった。その目が、今朝一番の冷たさを帯びている。
「コウタ。あなた、さっき『白』と仰いましたわね。その真意、今ここで明らかにしていただきますわ」
「ふっ……少尉の尊厳のために、申し上げられません」
「では、わたくしの尊厳のために、もう一度フランケンシュタイナーをお見舞いしますわ」
「ふっ……それはパワハラです」
「パワハラで結構。さあ、覚悟なさい」
コウタは天を仰ぎ、それから気取った微笑を浮かべた。
「ふっ……来なさい。私のロマンは、フランケンシュタイナーごときでは折れません」
「ほざけ」
ユズハがくすくすと笑いながら、新しい手紙を取り出して何やら書き始める。スサノオの足元で、今日も三人の賑やかな朝が過ぎていく。右腕の斬魂刀は、青白い光を静かに放ちながら、そんな三人を見守っていた。
第四十章 了
『彗星の指揮官は今日も無茶を言う』 続く




