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第三十八章「一分間の永遠」


戻ってきたばかりの格納庫で、三人はスサノオを見上げていた。ついさっきまで、コウタはスサノオの装甲を磨いていた。あの異世界での長い日々も、すべてはこのわずかな時間の間に起きた出来事だった。


ユズハがふと首を傾げ、こめかみに手を当てる。


「……あれ、ユズハ、なんか大事なこと考えてた気がするんだけど」


アイリも紅茶のカップを見つめ、眉をひそめた。


「……ええ、私もですわ。確かに何か重要なことを話していたはずなのに」


「ふっ……気のせいでしょう」


コウタは気取った笑みを浮かべたが、その目はどこか虚ろだった。彼の手には、ついさっきまで握っていたはずのスパナがある。それをじっと見つめながら、必死に何かを思い出そうとしているようだった。


「……機関室。そうだ、私はリュカさんと機関室の話をしていたはずです」


ユズハの言葉に、アイリもはっと顔を上げる。


「リュカ……さん? 誰ですの、それ」


「え? あれ……ユズハ、なんでそんな名前を」


三人は沈黙した。頭の中に浮かびかけた何かが、手のひらから零れ落ちる砂のように消えていく。確かにそこにあったはずの記憶——ジャンクヤードの熱気、錆びた鉄の匂い、煙草の煙、頑固な老人の叱咤——すべてが急速に輪郭を失い、やがて何も思い出せなくなっていく。


コウタはスサノオの装甲に手を触れた。ひんやりとした感触。その奥に、ただ「誰か」のことを思い出そうとしている自分がいた。名前も顔も、ともに過ごした時間も、今はもう何もかもが霧の中だ。なのに、胸の奥が熱い。


「……ふっ。不思議なこともあるものです」


「コウタくん、泣いてるの?」


ユズハの問いに、コウタは自分の頬に手をやった。確かに、一筋の雫が伝っている。


「……これは」


「コウタ」


アイリもスサノオを見上げていた。彼女の目にも、うっすらと涙が浮かんでいる。


「私たち、大切なことを忘れている。でも、それでいいのだと思いますわ。覚えていないけれど、確かにここにあるものがある」


「……うん。ユズハも、なんとなくわかる。すごく大事な人たちがいたんだよね」


三人は黙ってスサノオを見上げた。


記憶は消えても、魂は忘れない。誰かがこの機体に込めた想いも、誰かとともに紡いだ時間も、確かにこの機体の中に生きている。


「ふっ……ロマンとは、記憶ではなく魂に刻まれるものです」


コウタはいつもの気取った笑みを浮かべ、優雅に一礼した。


「私は私。何も覚えていなくとも、私の魂は確かに誰かのロマンを継いでいる。それだけで十分です」


スサノオの斬魂刀が、青白い光を静かに放った。まるで「それでいい」と応えるかのように。


それは一分にも満たない、しかし永遠のような時間だった。


しばらくして、ユズハがハッとした顔でコウタに詰め寄った。


「そうだ! コウタくん、ユズハの手紙、ちゃんと読んだ!?」


「ふっ……もちろんです、艦長。二百通以上、すべて拝読いたしました」


「ほんとに!? じゃあ、ユズハが手紙に何て書いてたか覚えてる?」


コウタは少し考え込み、気取った微笑を浮かべた。


「ふっ……もちろん覚えています。一言一句、すべて」


「え、うそ。じゃあ言ってみてよ」


「ふっ……それはできません」


「なんでよ!」


「艦長の綴った言葉は、私の魂だけに刻まれたものです。他人の前で朗読するようなものではありません」


ユズハは頬を膨らませたが、その目は期待に輝いている。


「じゃあ、ユズハにだけ教えて。ほら、耳打ちで」


コウタは少し迷ったが、やがて観念したようにうなずき、ユズハの耳元に顔を寄せた。そして誰にも聞こえない声で、ぽつりぽつりと語り始める。


ユズハの顔がみるみる真っ赤になっていく。コウタが語るのは、行方不明中に彼女が毎日綴っていた手紙の内容——「今日もコウタくんは帰ってこなかった。でもユズハは諦めないよ」「コウタくんはユズハの英雄だよ」「大好きです。宇宙で一番、大好きです」——そんな、彼女が心の底から絞り出した言葉の数々だった。


隣で様子を見ていたアイリが、紅茶を片手にじれったそうに声をかけた。


「……まだ終わらないんですの?」


コウタは耳打ちを続けている。ユズハは両手で顔を覆い、指の隙間からチラチラとコウタを見上げていた。やがてコウタが耳元から離れると、ユズハはぱあっと満面の笑みを浮かべた。


「さっすがコウタくん! やっぱりユズハのこと大好きなんだね!」


「ふっ……当然です。私ですから」


アイリは深いため息をつき、カップを置いた。


「……長っ。どんだけ覚えてんねん、この記憶喪失」


「ふっ……私の魂は、忘れてはいけないことだけは決して忘れません」


「ええい、調子に乗るなこの雑魚! 私は紅茶を淹れ直しますわ!」


アイリは顔を赤くして背を向け、足早に給湯室へと向かった。その後ろ姿を見送りながら、ユズハがくすくすと笑う。


「アイリちゃん、やきもち」


「ふっ……少尉には少尉のロマンがあります。私が語るまでもないでしょう」


スサノオの斬魂刀が、青白い光を静かに放っている。記憶は消えても、言葉は消えない。魂に刻まれた想いは、永遠に受け継がれていくのだった。


第三十八章 了

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