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第三十三章「新しい風」


1


ジャンクヤードの夕暮れは、いつもより少しだけ静かだった。


コウタがぶっ倒れてから数時間。アイリは解析装置の前で彼のバイタルを定期的に確認しながら、機体の設計データの続きを検証していた。ユズハはコウタの隣に座り込み、彼の手を握ったまま、いつの間にかうとうとと船を漕いでいる。


そんな中、リュカは一人、あの「原型」の前に立っていた。


機体の装甲を外し、内部の駆動系を点検している。その手つきは迷いがなく、長年の経験に裏打ちされた確かなものだった。夕日が格納庫の壁を赤く染め、遠くで誰かが金属を叩く音だけが響いている。


「……ずいぶん思い入れがあるんですね、その機体に」


声をかけたのはアイリだった。手には新しい紅茶のカップが二つ。片方をリュカに差し出す。


「ああん、そんなんじゃねえ」


リュカは受け取った紅茶をひと口すすり、苦い顔をした。


「……もういいかなって、思ってたんだ。いつまでも古いもんにしがみつくの、疲れちまった」

「……古いもの?」

「全部だよ。この機体も、零式の夢も、気合でロボットが動くなんてガキの妄想も。もうずいぶん長いこと、ここでガラクタを直し続けてきた。でも、もう潮時かなってな」


リュカは煙草に火をつけ、煙を深く吸い込んだ。それから、倒れたままのコウタをちらりと見やる。


「……あいつ、ぶっ倒れる前に変なこと言ってたろ。エントロピー反転がどうの、クオリア抽出がどうのって」

「ええ。この世界の魂動機の、さらに先を行く理論でしたわ」

「ああ、さっぱりわからん。だがな——」


リュカは煙を吐き出し、少しだけ口元を緩めた。


「あんな新しい話を聞いてるとよ、ちょっとだけ、ワクワクしちまったんだ。ガキの頃に戻ったみたいにな」

「……新しいこと」

「ああ。魂動機の、その先だっけ? なんかよくわかんねえが、新しいことにもチャレンジしてみるかなってな」


アイリは紅茶を一口含み、静かに微笑んだ。


「……いいんじゃないですか。新しいこと」

「あんた、俺が笑われると思わねえのか」

「新しいことに挑戦して笑われるのは、誇りだと思いますわ。少なくとも、私はそうです」


リュカは照れくさそうに顔を背け、煙草の煙を深く吐き出した。


2


リュカは黙々と駆動系の点検を続けながら、ぽつりと呟いた。


「なあ、あんたに聞きたいことがある」

「……私に?」

「ロボットって、気持ちで動くと思うか?」


アイリの手が、紅茶のカップを置く瞬間に一瞬だけ止まった。リュカは手を動かしたまま続ける。


「気合だとかロマンだとか、そういうので本当に機体が動くのか。俺はな、昔は本気で信じてたんだよ。でも、もうわからなくなっちまった」

「……ロボットは、気持ちでは動きませんわ。少なくとも、データ上は」

「そうか」

「でも——」


アイリは少し間を置き、倒れたまま眠るコウタを見つめた。


「気持ちがなければ、動かないのも事実ですわ。あの馬鹿を見ていると、理屈じゃない何かが確かにあると思えてくる。解析してもデータに残らない、魂としか呼べない何かが」


リュカは煙草をもみ消し、原型の装甲に手を触れた。ひんやりとした感触の奥に、温もり——いや、温もりを感じたい自分の心が、そこにある気がした。


「……あの変なやつが昔、言ってたんだよ。『ロボットは気合で動かすものです』ってな。俺はそれを笑った。だけど——」

「……だけど?」

「あいつが本気でそう信じてたのは、確かだった。だから俺も、信じようとした。でもよ、信じるだけじゃダメなんだな。信じて、動かして、それで初めて——」


彼は言葉を切り、深く息を吐いた。それから工具箱を手に取り、立ち上がる。


「まあ、なんだ。よくわからねえが、ちょっとだけ、新しいことをやってみようと思っただけだ」

「……リュカさん」

「なんだ」

「ロボットは気持ちで動くと、私は思いますわ。データでは説明できませんが——でも、そう信じています」


リュカはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


「……ふっ」

「……今、ふっ、ておっしゃいました?」

「うるせえ。あんたに関係ねえだろ」


リュカは照れくさそうに顔を背け、再び煙草に火をつけた。


「……まあ、もう少しだけ、このガラクタと付き合ってやるさ。あいつが目を覚ますまではな」


アイリは紅茶を一口含み、静かに微笑んだ。


「……そうですか」

「あんた、なに笑ってんだ」

「ふっ……ロマンですわ」

「……あんたもか」


リュカは深いため息をついたが、その口元はどこか緩んでいた。ジャンクヤードの夕暮れは、いつもより少しだけ優しい色をしていた。


3


「そうだよな。信じられるわけねえよな」


不意にリュカが煙草を携え、自嘲気味に笑いながら立ち上がった。


「なあ、聞いたことないか? コックピットに誰も乗ってないスクラップの話」

「いえ。自動操縦か何かですか?」


真顔で問い返すアイリに、リュカは思わず声を上げて笑ってしまった。


「ははっ。モニターなんてブラウン管だぜ」

「はい?」

「いや、何でもない。そう、気持ちじゃ動かせないんだよ」


彼はそれだけ言うと、煙草をもみ消し、工具箱を抱えて背を向けた。アイリが何か言いかけて口を閉じる。リュカはそのまま作業場へ入っていった。


誰もいない薄暗がりの中、部品棚にもたれて深く息を吐く。工具箱を乱暴に床に置き、手に持っていた煙草の吸い殻をじっと見つめた。


「……ダメだダメだ。こんな気持ちじゃ、動かせるもんも動かせなくなっちまうぜ」


彼は自分の頬をぴしゃりと叩いた。


「くそ……気合入れなきゃ。あの大法螺吹きの前で、諦めた顔なんて見せられねえ」


もう一度頬を叩く。深く息を吸い込み、顔を上げた。煙草に新しい火をつけ、煙を深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。その目は、先ほどまでとは違う、かすかな決意の光を宿していた。


「……でもなあ」


リュカは煙を天井に向けて吐き出しながら、ぽつりと呟いた。


「気持ちがあれば、いつかは動くのかもしれねえな。あんたの言う通り、理屈じゃ説明できねえ何かがよ」


彼は工具箱から一つの小さな部品を取り出した。それは、かつて零式の残骸から回収した「魂魄増幅器」の試作基板だった。何年も前に諦めて棚の奥にしまい込んでいたものだ。


「……もう一度だけ、やってみるか」


彼は基板をポケットにしまい、作業灯を点けた。その明かりの下で、彼の皺深い顔に、若かりし頃の面影がかすかに蘇っていた。


第三十三章 了


『彗星の指揮官は今日も無茶を言う』 続く

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