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第三十二章「壊れた戦士」
1
あの夜の騒動から一夜明け、ジャンクヤードにはいつも通りの朝が訪れていた。
アイリは整備場の隅に設けた簡易解析スペースで、機体の設計データを検証していた。手元にはコウタがこれまで乗ってきた廃棄機体のログと、あの「原型」から抽出した構造データがある。モニターに映し出された複雑な設計図を、彼女は紅茶を片手にじっくりと眺めていた。
「……これは」
彼女は眉をひそめた。機体の骨格構造、駆動系の配置、動力伝達経路——どれをとっても、ツクヨミで見慣れた機動兵器の設計思想と瓜二つだった。基本構造は連合宇宙軍の標準規格そのものだ。継ぎ接ぎの外装や粗末な武装とは裏腹に、根幹部分は驚くほど洗練されている。
「現実世界の機体そのまんまじゃない、ほとんどこれ」
「……でも」
彼女はスクロールを続けた。基本設計は確かに同じだ。しかし、細部に目を凝らすと、随所に独自の改良が施されている。駆動系の共振を抑える緩衝機構や動力伝達の効率を高める補助経路——それらは連合宇宙軍の規格には存在しない、この世界独自の進化だった。
「独自体系で進化してるわね。まるで誰かが基本設計をこの世界に持ち込んで、その後の発展はこの世界の技術者たちが担ったみたい」
彼女は手帳に「基本設計は連合宇宙軍の規格と一致。独自改良多数あり」と記した。その時、背後でどさりという鈍い音がした。
振り返ると、コウタが床に倒れていた。ユズハが馬乗りになって、まだ追い打ちをかけている。
「ばかばかばかばか!」
「ぐっ……艦長、もう許してください……!」
「許さない!」
ユズハは昨夜からずっとこの調子だった。フランケンシュタイナーをかました後も怒りが収まらず、朝になってもコウタを捕まえては殴り続けている。アイリは「ほどほどに」と一度だけ声をかけたが、ユズハの目が本気だったので、それ以上は口を出さなかった。
「この、手紙も読まない、イキってばかりの、記憶喪失が!」
「ふ、ふっ……私は孤高の戦士……ぐっ……!」
「まだイキるか!」
ユズハの拳がコウタの胸にめり込んだ——その瞬間だった。
コウタの体が、突然ピキーンと硬直した。ユズハの手が止まる。
「……コウタくん?」
コウタの目が見開かれ、その瞳が異様な輝きを放ち始めた。彼はゆっくりと上体を起こし、周囲を見渡した。その視線が、解析装置の前で紅茶を構えたまま固まっているアイリに向けられる。
「……リュカさんでしたっけ」
コウタの口調が、いつもの気取ったものとは明らかに違っていた。平坦で、機械的で、まるで別の人格が乗り移ったかのようだ。
「え? リュカさんは向こうに——」
ユズハが指さすより早く、コウタは立ち上がり、整備場の奥で煙草をふかしているリュカの元へ歩み寄った。
「リュカさん」
「あん? なんだよ——」
コウタはリュカの肩を掴み、至近距離でまくし立てた。
「パラパラパラパラパラパラパラパラパラ!」
「は、はあ!?」
リュカが煙草を落とし、目を白黒させる。コウタの口からは、意味不明な単語の羅列が滝のように溢れ出していた。誰も理解できない。しかし、アイリだけはその断片に聞き覚えがあった。
「……エントロピー反転? クオリア抽出? ……因果律フィードバック?」
彼女が呟いた瞬間、コウタの口調が変わった。
「エントロピー反転炉の本質は、パイロットの意志が持つ"負のエントロピー"——すなわち秩序形成力を物理エネルギーへ直接変換することにあります。情動観測機が捉えるべきは脳波や心拍数ではなく、主観的クオリアそのもののベクトルです。これを減衰させず抽出するには——」
コウタは淀みなく、専門用語を並べ立てていく。それはこの世界でリュカたちが確立した「魂動機」の理論を、さらに深淵から照射するような内容だった。まだ誰も到達していない、基礎理論の核心。
アイリは絶句し、ユズハは目を丸くしている。リュカに至っては、その言葉が自分たちの開発してきた「精神感応型エントロピー反転炉」の、さらに先を行く設計思想であることを直感的に理解し、ただ口を開けて突っ立っていた。
コウタは一通り喋り終えると、ふらりと揺れた。
「……ふっ。これが、私のロマンの——」
言い終わらないうちに、彼の体ががくんと崩れ落ちた。
「あ」
ユズハが慌てて駆け寄る。コウタは仰向けに倒れ、目を閉じている。息はある。ただ、眠っているようだった。
「……壊れた」
ユズハがぽつりと呟いた。
2
アイリは倒れたコウタの傍らに膝をつき、彼の瞼をそっと持ち上げて瞳を覗き込んだ後、手首を取って脈を測った。
「……身体に異常はありませんわ。ただ、深い睡眠状態に入っているようです」
「コウタくん、さっき何を話してたの?」
「……この世界で開発されている"魂動機"の基礎理論ですわ。でも、貴方が口にした内容は、現行のどの設計図よりも原理に近い——まるで、この技術の"原点"を見ているようでした」
アイリは言葉を切り、コウタの顔を見つめた。彼女の手帳には、さっきコウタが口にした単語の断片が走り書きされている。どれもこれも、リュカたちが十年がかりで確立した理論の、さらに先を照らす言葉ばかりだ。
「……記憶にはなくとも、魂の奥底には、理論の根幹が刻まれているんですのね」
「コウタくん、大丈夫かな」
「……わかりません。ただ、今はそっとしておきましょう」
アイリは立ち上がり、自分の作業スペースに戻っていった。ユズハはコウタの隣に座り込み、彼の手を握っている。
リュカはしばらく呆然としていたが、やがて新しい煙草に火をつけ、煙を深く吸い込んだ。その手は微かに震えている。
「……あんた、やっぱりただもんじゃねえな。俺たちが十年かけて辿り着いた理論を、寝ぼけながら喋るたぁ」
彼は倒れたコウタを見下ろしながら、何かを噛みしめるように煙を吐き出した。その目は、数十年ぶりに「師」の背中を見たような、懐かしくも確信に満ちた輝きを帯びていた。
第三十二章 了
『彗星の指揮官は今日も無茶を言う』 続く




