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第三十一章「手紙」
1
ジャンクヤードの朝は早い。
コウタが廃棄機体の修復作業に取りかかってから、すでに数日が経っていた。彼が手を入れた機体は次々と息を吹き返し、技術者たちの間では「星野さんが触るとガラクタが生き返る」という評判が定着しつつある。リュカは相変わらず素っ気ない態度で、必要最低限のことしか口にしないが、コウタが使う工具や部品をいつの間にか揃えておくあたり、完全に無視しているわけでもないらしい。
アイリは解析装置を片手に、ジャンクヤードにある機体の設計データを収集していた。
「……どの機体も、やはり零式の設計を模倣していますわ。ただ、模倣に失敗して、どれも本来の性能を発揮できていない。まるで、適合者がいなければ意味がないとでも言うように」
「ふっ……ロマンですな」
「またそれですか」
そんな中、ユズハは今日も技術者たちに手紙を配って回っていた。彼女の手紙は、ジャンクヤードで働く人々の間でちょっとした人気になっていた。理由は誰にもわからない。ただ、彼女の手紙を読むと、なぜか元気が出る——そんな不思議な評判だった。
その様子を、アイリが紅茶を飲みながら眺めている。
「……艦長も、相変わらずマメですわね。手紙はもう何通目ですの?」
「えっとね、今日で二十六通目! みんなに配うの楽しいんだ!」
「結構ですけど、一番手紙を渡すべき相手には渡しているんですの?」
アイリの視線の先には、機体の装甲を磨くコウタの姿があった。
「……コウタくんには、毎日渡してるよ。ちゃんと読んでくれてるはずだもん」
「本当に読んでいるかどうか、確認したことは?」
ユズハは首を傾げた。
「コウタくん、いつも『ふっ……後で読ませていただきます』って言って受け取ってくれるもん」
「……『後で』が、いつまで経っても来ないのでは?」
アイリの言葉に、ユズハの動きが止まった。
2
その夜。整備場の片隅で、コウタは一人、あの「原型」——右腕のない空っぽの機体——の装甲を磨いていた。
「ふっ……今日も美しい。お前は確かに、何かを待っている」
機体は何も答えない。しかし、その胸部に手を触れると、かすかな温もりを感じる気がした。
そこに、ユズハがずんずんと歩み寄ってくる。その後ろには、なぜかアイリも腕を組んで立っていた。手には紅茶のカップ。完全に観戦モードである。
「コウタくん」
「おや、艦長。どうかなさいましたか」
「ユズハね、コウタくんにずっと手紙を渡してたんだよ。コウタくんがいなくなってから、毎日毎日書いてたの。それも含めて、もう二百通以上になるの」
「ふっ……ありがとうございます。後でじっくり読ませていただきます」
「その『後で』って、いつ?」
ユズハの目が、真っ直ぐにコウタを見つめている。いつもの無邪気な輝きではない。少しだけ、怒りを孕んだ光だった。長い間溜め込んでいたものが、今にも溢れ出そうとしている——そんな目だ。
「ふっ……私は、孤高の戦士。手紙を読む暇など——」
「読んでないの!?」
ユズハの声が、整備場中に響き渡った。作業をしていた技術者たちが一斉に振り返る。アイリは無言で紅茶をすすっている。
「コウタくん、ユズハの手紙、一通も読んでなかったの!?」
「ふ、ふっ……落ち着いてください、艦長——」
「落ち着けるわけないでしょ! ユズハ、毎日毎日、コウタくんのことを思って書いてたんだよ! なのに、一通も読んでくれてなかったの!?」
ユズハの目に、涙が浮かび始めた。コウタは気まずそうに視線をそらす。
「ふっ……私は孤高の戦士。手紙などという、か、感情的なものは——」
その言葉が、ユズハの中の何かを完全にブチ切った。
「もういい!!!」
ユズハは握りしめていた手紙の束を床に叩きつけた。封筒が散らばり、中身がはらはらと零れる。
「ユズハ、もう知らない! コウタくんがユズハのこと大好きなのに! 大好きなくせに! なんでそんなイキってばっかりなの!?」
「ふ、ふっ……艦長、ユズハは別にイキってなど——」
「イキってる!」
ユズハはコウタに詰め寄り、人差し指を突きつけた。
「もう絶対に許さない! 手紙なんか絶対にもう書かない! ぜーんぶコウタくんの黒歴史にしてやる! 量産する! 艦内放送で毎日朗読してやるんだから!」
「そ、それは困りますぞ、艦長……!」
「うるさい! コウタくんのばか! 雑魚! イキリ! 記憶喪失! 孤高の戦士気取り! ふっふっふー! って感じの!」
「ふっ……女性を泣かせるとは、私も罪な男ですな」
コウタが気取った微笑を浮かべ、優雅に髪をかき上げながら呟いた——その瞬間。
「なにイキッてんだぁ!」
ユズハがコウタの胴に飛びつき、そのまま両足を絡めて頭からマットに叩きつけた。轟音と共にコウタの体が地面に沈む。見事なフランケンシュタイナーだった。どこでそんな技を覚えたのか、誰も知らない。アイリが紅茶を吹き出し、技術者たちが固唾を呑んで見守る中、コウタは仰向けに倒れたまま、天井を見上げていた。
「……うっ」
彼の口から、かすかな声が漏れる。
「……幸せ、です」
ユズハの顔がみるみる赤くなり、次の瞬間、彼女は倒れたコウタに馬乗りになって胸ぐらを掴み、拳を振り上げた。
「ばか……ばか!」
「ぐっ」
「ばかばかばかばかばかばかばかばかばか!」
「ぐっ……ぐっ……!」
ユズハは声を枯らしながら、コウタの胸を何度も叩いた。その一撃一撃に、彼女の溜め込んだ想いが込められている。コウタはされるがまま、天井を見上げていた。痛いはずなのに、なぜか彼の口元は微かに緩んでいる。
「……ふっ。本気で怒った艦長も、美しいものですな」
ユズハの手が止まった。彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔でコウタを見下ろし、小さく震える声で尋ねた。
「……ばか。コウタくんのばか」
「ふっ……よく言われます」
アイリは紅茶を一口含み、静かに呟いた。
「……死にませんのね、この男は」
その時、整備場の奥からしわがれた声が響いた。
「……あんたら、なにやってんだ」
リュカだった。煙草をくわえ、呆れ果てた顔で三人を見下ろしている。
「あんたら、なんでここにいるんだ。こんなガラクタだらけの場所で、よくまあ毎日毎日騒げるもんだ」
ユズハは涙を拭い、まだ少し震える声で言った。
「……ユズハたち、ここにいるのが好きだからだもん。コウタくんもいるし、アイリちゃんもいる。リュカさんだっている。だからここにいるんだよ」
リュカは何も言わず、煙を吐き出した。その目が、ほんの少しだけ揺れたように見えたのは、気のせいだろうか。
「……好きにしろ」
彼はそう言い残し、背を向けて去っていった。
ユズハは立ち上がり、倒れたままのコウタを見下ろした。
「……ユズハの気持ち、少しはわかった?」
「ふっ……痛いほど理解しました」
「ほんと?」
「ええ。私は、艦長の想いをずっと無視していた。孤高の戦士を気取って、一番大切なものから目を背けていた」
ユズハの目に、再び涙が浮かんだ。でも、今度は怒りの涙ではなかった。
「……ばか」
「ふっ……よく言われます」
「でも、ユズハ、ちょっとだけスッキリした」
「ふっ……それは何よりです」
アイリは空になった紅茶のカップを置き、小さくため息をついた。
「……やれやれ、やっと終わりましたわね。では、私は次の紅茶を淹れてきますわ」
「あ、アイリちゃん! ユズハも飲みたい!」
「……仕方ありませんわね」
三人は顔を見合わせ、小さく笑った。
整備場の片隅で、あの「原型」が静かに佇んでいる。右腕のない空っぽの機体は、今日も何も語らない。でも、三人の絆が少しだけ深まったこの夜を、優しく見守っているように思えた。
第三十一章 了
『彗星の指揮官は今日も無茶を言う』 続く




