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第三章「孤高の戦士、星の彼方へ」
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1
スサノオが実戦に駆り出されたのは、それからわずか二日後のことだった。
警報。艦橋に鳴り響く赤い光。モニターには、見慣れた虹色の影。
「ドリフター……! しかも三体ですわ!」
アイリの声が艦橋に響く。三体。前回の戦闘で、正規機カグツチですら一体をどうにか退けただけだ。今のツクヨミの戦力では、まともに相手にならない。
「総員、戦闘配置! 正規パイロット全機、出撃準備!」
ユズハの声が飛ぶ。いつもの無邪気さは鳴りを潜め、艦長としての鋭さがあった。
「艦長! 正規機は三機とも前回の戦闘で損傷、現在修理中です! 出撃可能なのは予備機のみ!」
「予備機って……スサノオだけ?」
「……はい」
艦橋の空気が凍りついた。クルーたちの視線が、モニターの隅に映る第三格納庫に向かう。そこには、黄ばんだ装甲の旧式機が一機だけ。
「ふっ……なるほど。歴史の一幕に、私の名を刻む時が来たようですな」
通信からコウタの声が流れた。相変わらずの気取った口調。でも、その声はほんの少しだけ震えていた。
「コウタくん! ダメだよ! スサノオじゃ……!」
「艦長。私以外に誰がいるんです」
「……っ」
ユズハは言葉を詰まらせた。そうだ。他に誰もいない。正規パイロットは全員、前回の戦闘で負傷して医務室だ。動けるのは、予備パイロットに降格されたコウタだけ。
「……行かせてください、艦長」
「でも……!」
「ふっ……ご心配なく。私は孤高の戦士。たとえ棺桶であろうと、乗りこなしてみせましょう」
それは嘘だった。コウタは心の中で震えていた。手は汗で濡れ、膝は笑っている。でも、引くわけにはいかなかった。引いたら、もう二度とパイロットには戻れない。それ以上に――ユズハとアイリの顔が浮かんだ。二人に、これ以上情けない姿を見せたくなかった。
「……わかった」
ユズハは唇を噛み、そして言った。
「スサノオ、発進を許可します」
「了解。スサノオ、出撃します」
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2
宇宙空間。三体のドリフターが、虹色の触手を揺らめかせながら迫ってくる。
コウタは操縦桿を握りしめた。スサノオはガタガタと震え、あちこちから異音がする。モニターのヒビはそのままだ。右腕の関節からは、相変わらずオイルが滲んでいる。
「ふっ……まずは一体目、参ります」
スラスターを吹かす。機体がギクシャクと前進する。速度は遅い。正規機の三分の一以下。
「星野訓練生! 無理ですわ! 戻りなさい!」
アイリの声が通信に飛び込む。その声は、いつもの冷たさとは違っていた。必死だった。
「少尉。私は」
「貴方の機体では、ドリフターの触手すら避けられませんわ! 速度も装甲も、全てが足りない!」
「ふっ……データなど飾りですよ、少尉」
「データが全てですわ、この……!」
アイリは言いかけて、言葉を詰まらせた。通信越しに、小さく息を呑む音が聞こえる。
「……雑魚」
「ふっ。慣れております」
コウタは薄く笑った。そして、スサノオをドリフターの群れへと進めた。
一体目の触手が迫る。コウタは操縦桿を倒した。機体がゆっくりと旋回する。遅い。遅すぎる。触手がスサノオの左脚をかすめた。
「ぐっ……!」
警報。左脚装甲、損傷。機体が大きく傾く。
「コウタくん!」
ユズハの声が響く。
「左! 今すぐ左に!」
「しかし……!」
「なんとなく! ユズハを信じて!」
コウタは歯を食いしばり、左に機体を傾けた。触手が目の前を通過する。しかし、その先には別の触手が待ち構えていた。
「くっ……!」
回避が間に合わない。触手がスサノオの右腕を直撃した。
「右腕損傷! 武器システム、機能停止!」
機体が激しく揺れる。コックピットに火花が散る。コウタは必死に操縦桿を握り直した。
「まだです……! まだ……!」
スサノオはボロボロになりながらも、なんとか一体目のドリフターの頭頂部に接近した。電磁パルスを放つ。直撃。ドリフターが大きくしゃっくりをし、後退していく。
「一体目、撃退……!」
しかし、喜ぶ間もなく、二体目と三体目が迫ってきた。スサノオは既に満身創痍だ。右脚から煙が上がり、左腕の装甲は完全に剥がれ落ちている。
「星野訓練生! もう十分ですわ! 戻りなさい!」
アイリの声が、今にも泣き出しそうだった。
「……少尉。私は」
「死ぬ気ですの!? この馬鹿!」
「ふっ……私は孤高の戦士。死など恐れません」
嘘だった。死ぬのは怖い。めちゃくちゃ怖い。でも、ここで逃げたら、自分が自分でなくなる気がした。
「コウタくん……!」
ユズハの声が、涙で震えていた。
「お願い……帰ってきて……! コウタくんはユズハのパイロットなんだから……!」
「……艦長」
コウタは小さく微笑んだ。
「ふっ……私は、貴女の所有物ではありませんよ」
「コウタくん……!」
「でも、まあ」
彼は操縦桿を握り直した。
「悪くない、気分です」
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3
二体目のドリフターが、虹色の触手を伸ばしてきた。
コウタはスラスターを全開にした。スサノオが悲鳴を上げる。エンジンが焼き切れそうだ。機体のあちこちから火花が散る。
「ふっ……これで最後ですな」
彼はトリガーを握った。電磁パルス、残り一発。二体同時は無理だ。一体を倒せば、もう一体にやられる。
「……どちらを選びますか」
一瞬の迷い。そして、コウタは決断した。
「艦長。アイリ少尉」
「……はい」
「……なんですの」
「ふっ……歴史の一幕に、私の名を刻みましょう。二人の女神に愛されし、孤高の戦士の名を」
「なにを言って……!」
アイリの声が途切れた。
コウタはスサノオを、二体のドリフターの間に突っ込ませた。そして、電磁パルスを――機体ごと、自爆させるように放った。
「コウタくん!!」
ユズハの絶叫が通信に響く。
瞬間、スサノオを中心に、強烈な電磁パルスが拡散した。二体のドリフターが同時にしゃっくりをし、後退する。三体とも、次元の裂け目に消えていく。
しかし。
「スサノオ、機体反応消失……!」
オペレーターの声が艦橋に響く。
「ち、違う……消失じゃない……! 位相の波に巻き込まれて……!」
「どういうことですの!?」
「高次元境界膜が不安定化しています……! スサノオは……ドリフターと一緒に、次元の裂け目に……!」
アイリはモニターを見つめた。そこには、虹色の光に包まれながら、ゆっくりと消えていくスサノオの姿があった。
「……星野訓練生」
「コウタくん……!」
ユズハが艦長席から立ち上がり、モニターに駆け寄った。
「いや……いやだ……! コウタくん! コウタくん!!」
彼女はモニターに縋りつき、叫んだ。涙が止めどなく溢れる。
「ユズハの……ユズハのコウタくん……! 返して……! 返してよ……!」
アイリは立ち尽くしていた。手に持っていたタブレットが、床に落ちる。画面が割れる。
「……嘘ですわ」
彼女は小さく呟いた。
「嘘ですわ……そんな……だって、私はまだ……貴方に……」
アイリは膝から崩れ落ちた。冷たい艦橋の床に、涙が落ちる。
「……なにも……言えてないのに……」
彼女は声を押し殺して泣いた。誰にも聞こえないように。でも、嗚咽は止まらなかった。
艦橋のクルーたちも、誰一人として言葉を発しなかった。あれだけコウタを「雑魚」と罵っていた者たちも、皆、俯いている。
「……捜索を」
ユズハが、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
「捜索を……続けて……! ユズハは……ユズハは諦めないから……!」
「艦長……しかし、次元の裂け目に飲まれた機体の捜索は……」
「それでも! なんとなく……! なんとなく、コウタくんは生きてる! ユズハにはわかるの!」
彼女の声は震えていた。でも、その目だけは、艦長としての強い意志を宿していた。
「……了解しました。捜索を継続します」
オペレーターがうなずく。
ユズハはモニターを見つめた。虹色の光が消えた虚空を。そこにはもう、何もなかった。
「……コウタくん」
彼女は小さく呟いた。
「絶対に……絶対に見つけるからね。ユズハのコウタくんなんだから……」
アイリは床に座り込んだまま、割れたタブレットを見つめていた。画面には、コウタの整備記録が表示されたままだ。最後のチェック項目に、彼が書いた一言。
『全て問題なし。なぜなら私だから』
「……馬鹿」
アイリは涙で濡れた声で呟いた。
「こんな時に……そんなこと書いて……本当に……本当に馬鹿ですわ……」
彼女はタブレットを胸に抱きしめ、声を殺して泣き続けた。
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4
その頃。
コウタは、何もない空間に浮かんでいた。
いや、何もないわけではなかった。虹色の光が、四方八方を取り巻いている。まるで、虹の海の中にいるような感覚。
「……ここは」
声は出せなかった。体も動かない。ただ、意識だけがぼんやりと存在していた。
(私は……死んだのか……?)
わからない。でも、不思議と恐怖はなかった。ただ、温かい光に包まれているような、不思議な安らぎがあった。
(……ユズハ艦長。アイリ少尉)
二人の顔が浮かんだ。無邪気に笑うユズハ。冷たく毒舌を吐きながらも、いつも自分を気にかけてくれていたアイリ。
(ふっ……私は孤高の戦士。女など不要……だったはずなのに)
彼は心の中で苦笑した。
(……今は、もう一度、会いたいと思ってしまう)
意識が薄れていく。虹色の光が、コウタの体を包み込み、どこか遠くへと運んでいく。
どこに向かっているのかは、わからない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
(……私はまだ、死んでいない)
遠くで、誰かの声が聞こえた気がした。
「コウタくん……!」
ユズハの声。
「……馬鹿」
アイリの声。
コウタは、意識の片隅で微笑んだ。
(ふっ……うるさいですな、二人とも)
そして、彼の意識は、虹色の海の深くへと沈んでいった。




