2
第二章「雑魚パイロット、星の屑となる」
1
医務室での安らぎは、長くは続かなかった。
翌日。コウタがツクヨミの艦橋に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。クルーたちの視線が突き刺さる。それは好奇でも尊敬でもなく、明確な「敵意」だった。
「……おい、あいつだよ」
「ドリフターに突っ込んで、機体を大破させた雑魚パイロット」
「なんでまだ訓練生が正規機に乗ってるんだよ。俺たちの命がかかってるんだぞ」
コウタは気づかないフリをした。いや、本当は気づいていた。ただ、「ふっ……」で誤魔化す以外の方法を知らなかったのだ。
「おはようございます、皆さん。今日も歴史の一幕を刻みに参りました」
誰も返事をしなかった。
「ふっ……静かな朝ですな」
彼は気取った微笑を浮かべ、自分の席に向かった。背中に刺さる視線から逃げるように。
「星野訓練生」
アイリの声だった。振り返ると、彼女がタブレットを手に立っている。その表情は、いつもより硬い。
「なんです、少尉」
「……司令部から通達ですわ。貴方、本日付けで正規パイロット候補から外れました」
「…………」
コウタの微笑が、一瞬だけ凍りついた。
「ふっ……何かの間違いでは? 私はドリフターを撃退した英雄」
「機体を大破させた英雄の間違いですわ。修理費、軽く見積もっても三億。貴方の給与三百年分」
「……ぐ」
「それと、艦内のクルーから署名が集まっておりますの」
「署名?」
「『訓練生コウタを正規機から降ろせ』。三百十二名分ですわ。この艦のほぼ全員」
アイリは淡々と事実を告げた。その声は冷たかったが、目だけは、どこか痛みを帯びていた。
「……そうですか」
コウタは言葉を失った。三百十二名。ユズハとアイリ以外の、ほぼ全員。
「ふっ……しかし艦長は私を必要としている。そうですな?」
「…………」
「少尉?」
「艦長は、反対なさいましたわ。でも、司令部の決定は覆せない。艦長といえども」
その時だった。
「コウタくーん!」
ユズハが駆け込んできた。いつもの無邪気な笑顔。でも、その目は少し赤い。
「艦長。私は」
「聞いたよ。でも大丈夫! ユズハはコウタくんのこと、絶対に見捨てないから!」
「ふっ……心強いお言葉。しかし、私はもう正規機に乗れない。予備パイロットとして、予備機に回されるとか」
「……うん」
ユズハの笑顔が、ほんの少し曇った。
「でもね、機体なんて関係ないよ! コウタくんはコウタくんなんだから!」
「艦長……」
「それからね」
ユズハは言いづらそうに、指をもじもじと動かした。
「コウタくんが乗る予備機、ちょっとだけ古いんだって」
「古い?」
「うん。三十年くらい前の」
「……三十年」
「名前は『スサノオ』。昔はすごかったんだって!」
「昔は」
コウタは天を仰いだ。三十年落ちの旧式機。予備の予備。誰も乗りたがらない、機体番号すら忘れられた「ゴミ機体」。
「ふっ……なるほど。私に相応しい舞台というわけですな」
「コウタくん……」
「ご心配なく、艦長。私は孤高の戦士。機体など飾りに過ぎません。魂で戦います」
「うん! ユズハ、信じてる!」
ユズハは笑顔でうなずいた。でも、その目に浮かんだ涙を、コウタは見逃さなかった。
2
ツクヨミ最下層、第三格納庫。
そこは「機体の墓場」と呼ばれていた。現役を退いた旧式機や、部品取り用のスクラップが眠る場所。照明は半分が切れ、空気は冷たく、油と錆の匂いが漂っている。
「……これが、スサノオ」
コウタは絶句した。
目の前に鎮座する機体。白かったであろう装甲は黄ばみ、あちこちに錆が浮いている。右腕の関節からはオイルが滲み、左脚の装甲は一枚剥がれ落ちていた。コックピットのハッチは半開きで閉まらない。モニターにはヒビが入っている。
「ふっ……味わい深いですな」
嘘である。泣きそうだった。
「あら、来てたんですの」
振り返ると、アイリが立っていた。手にタブレットと、何やら工具箱を持っている。
「少尉。こんな場所に何を」
「貴方の新しい愛機の整備記録を確認しに来ましたわ」
「整備記録……あるんですな、一応」
「ええ。最後に整備されたのは……七年前ですわ」
「……七年前」
アイリは工具箱を開け、レンチを取り出した。
「何をなさるおつもりです」
「決まってますわ。整備です」
「少尉が?」
「他に誰がやりますの。整備班は全員、この機体を『動く棺桶』と呼んで触りたがりませんわ」
「……動く棺桶」
コウタはスサノオを見上げた。確かに、棺桶に見えなくもない。いや、棺桶の方がまだマシかもしれない。
「ふっ……しかし私は孤高の戦士。たとえ棺桶であろうと、乗りこなしてみせましょう」
「……貴方、本当に馬鹿ですわね」
「馬鹿とは心外ですな」
「馬鹿ですわ。でも」
アイリはレンチを手に、スサノオの脚部の点検を始めた。その手つきは驚くほど手慣れている。
「そういう馬鹿は、嫌いではありませんわ」
「……少尉?」
「なんでもありませんわ! さっさと手伝いなさい、この雑魚!」
「ふっ……仕方ありませんな」
コウタは微笑み、アイリの隣にしゃがみ込んだ。工具箱からスパナを取り出す。
「……少尉」
「なんですの」
「感謝します」
「…………」
アイリは顔を背けた。耳が真っ赤だった。
二人は黙って、錆びた機体の整備を続けた。格納庫には、金属音と、遠くの換気扇の音だけが響いていた。
3
その頃、艦橋では。
「どういうことですの! なんでコウタくんを降格させるの!」
ユズハが通信越しに司令部に食ってかかっていた。艦長としての威厳も何もない、ただの怒れる少女だ。
『美浜艦長。これは決定事項です。彼の操縦技量は正規パイロットに遠く及びません』
「でも! コウタくんはドリフターを倒したんだよ!?」
『貴女の指示と、蒼井少尉の理論補助があってこそでしょう。単独での戦果とは認められません』
「そんな……!」
『それに、艦内からの不満も無視できません。クルーたちは自分の命を預けるパイロットに、最低限の技量を求めています』
「…………」
ユズハは言葉を詰まらせた。艦長として、クルーの声を無視することはできない。でも。
『美浜艦長。一つだけ、申し上げておきます』
「……なんですか」
『私は個人的に、彼を完全には見限っていません。予備機で結果を出せば、再評価の余地はあります』
「……ほんと!?」
『ええ。ただし、次の出撃で同じ失敗をすれば、その時は本当に終わりです。彼はパイロットとしての未来を失います』
通信が切れた。
ユズハは艦長席に座り込み、小さくため息をついた。
「……コウタくん」
彼女はモニターに映る第三格納庫の映像を見つめた。遠くから盗み見るように。そこには、錆びた機体の前で作業するコウタとアイリの姿があった。
「ユズハ、負けないからね」
彼女は小さく呟き、拳を握った。
「コウタくんはユズハが絶対に、もう一度パイロットにしてみせるんだから」
4
整備がひと段落した頃。
アイリが無言で、二つのトレイを持って第三格納庫に戻ってきた。
「……少尉、それは」
「作業のあとは栄養補給ですわ。紅茶だけでは体に悪い」
トレイの上には、こんがりと焼き色のついた厚切りのベーコン、黄身がぷるぷると震える目玉焼き、山盛りのマッシュポテト。付け合わせには、爽やかなハーブが添えられている。艦内食堂からかき集めてきたとは思えない、堂々たる一皿だった。
「ふっ……これはまた」
「男飯、というやつですわ」
アイリは顔を背けて言った。
「紅茶に合う食事を考えていたら、こうなりました。ただそれだけです」
「紅茶に合う食事」
「ええ。ベーコンの燻製香はアッサムと合いますし、マッシュポテトのバターはダージリンともセイロンとも合います。目玉焼きは……まあ、私の好みです」
「なるほど。つまり、私のために」
「ち、違いますわ! 私が紅茶を最高の状態で楽しむための食事です! 貴方はついでです! ついで!」
コウタは微笑み、ベーコンを一口かじった。脂の香りが口いっぱいに広がり、それからほのかに、はちみつの甘さが追いかけてくる。厚みがあるのに箸で切れるほど柔らかく、噛むたびに肉汁がじわりと滲み出る。
「…………」
「どうですの」
「……美味です。心から」
「……そう」
続けてマッシュポテトを口に運ぶ。バターの風味が鼻を抜け、舌の上でとろける。紅茶を含むと、ポテトの甘みと茶葉の渋みが絶妙に絡み合い、互いを引き立てあった。
「これは……危険ですな」
「何がですの」
「この味を知ってしまうと、もう宇宙食には戻れなくなる」
「ふん。貴方が雑魚でなければ、毎日でも作って差し上げますのに」
「……今、さらっと重要なことを言いましたね、少尉」
「な、なんのことですの! 私は何も言ってませんわ!」
アイリは顔を背けたまま、耳を真っ赤にして紅茶を啜った。
「……ごちそうさまです、少尉」
「どういたしまして、ではありませんわ。私は自分のために作っただけです」
「ふっ。では、貴女の紅茶のために」
「……ええ。私の紅茶のために」
二人は黙ってトレイを囲んだ。格納庫には、遠くの換気扇の音と、時折スパナの落ちる金属音だけが響いている。
油と錆の墓場で、ベーコンの脂と紅茶の湯気だけが、ひどくあたたかかった。
5
数日後。
コウタは艦内の片隅で、一人、支給品の宇宙食を口に運んでいた。無味無臭に等しい栄養ブロック。それを、まるで美食のように優雅に咀嚼する。
「ふっ……この虚無こそが、孤高の戦士の糧です。しかし」
脳裏に浮かぶのは、ユズハの焦げたハンバーグと、アイリの香り高い紅茶。あの時のベーコンの脂の甘さが、まだ舌の奥に残っている気がした。
「……たまには、負け戦も悪くない」
その時だった。
「コウタくーん!」
ユズハが駆け寄ってきて、彼の手から宇宙食をもぎ取った。
「艦長、何を」
「こんなの食べてちゃダメだよ! コウタくんはこれから特訓なんだから、ちゃんとしたごはん食べないと!」
彼女は背後に隠していた包みを、勢いよく差し出した。開けると——中から現れたのは、少し焦げて、形の崩れたハンバーグだった。
「……これは」
「ユズハが作ったの! 艦内食堂の調理長に教えてもらって、ちょっと焦げちゃったけど!」
コウタはそれを見つめ、そっと箸で一口、口に運んだ。タレは少ししょっぱくて、表面は固く、でも中からは肉汁が溢れてくる。
「……どう?」
「ふっ……美味です。歴史に残る味です」
「ほんと!? やったー! じゃあ毎日作ってあげるね!」
「毎日」
「だってコウタくん、ユズハの艦で戦うんでしょ? だったらユズハがコウタくんのこと、ちゃんとごはんで強くするんだから!」
彼女はそう言って、無邪気に笑った。艦長としての威厳も計算もなく、ただまっすぐに、彼を想って。
「……艦長」
コウタは俯き、前髪で目元を隠した。
「……感謝します」
「えへへ。いいよいいよ! ユズハはね、コウタくんが強くなってくれるなら、それだけで嬉しいんだ!」
彼女はぴょんと跳ねると、艦橋へと駆け戻っていった。コウタはハンバーグの乗ったプレートを見つめ、それからゆっくりと、もう一口を口に運んだ。
(孤高の戦士は、こんなに温かいものを食べていいのだろうか)
そんなことを考えながら。
6
三日後。
スサノオの整備は、なんとか完了した。アイリの尽力と、なぜかこっそり手伝いに来たユズハのおかげで、最低限の動作はするようになった。右腕の関節からは相変わらずオイルが滲んでいるし、モニターのヒビもそのままだが、飛ぶことはできる。
「ふっ……見違えましたな」
コウタは腕を組み、スサノオを見上げた。黄ばんだ装甲は磨かれ、多少はマシに見える。気のせいかもしれないが。
「動くだけマシと思いなさい、この雑魚」
「少尉、貴女は本当に私に厳しい」
「当然ですわ。私は貴方の……」
アイリは言いかけて、口を閉じた。
「私の?」
「……なんでもありませんわ! さあ、試運転です。乗りなさい」
「ふっ……了解しました」
コウタはスサノオのコックピットに乗り込んだ。ハッチは相変わらず完全には閉まらない。隙間風が入ってくる。操縦桿を握ると、ガタガタと震えた。
「……ふっ。味わい深いですな」
エンジンを起動する。異音がした。何かが軋み、何かが外れる音。でも、なんとか動いた。
「ツクヨミ艦橋よりスサノオへ。試運転、開始してくださいませ」
通信からアイリの声が流れる。
「了解。スサノオ、発進します」
機体がゆっくりと浮上する。右に傾いている。水平が取れない。コウタは必死に操縦桿を調整した。
「……ふっ。想定内ですな」
想定内なわけがない。手は汗でびっしょりだ。
「コウタくーん! がんばってー!」
ユズハの声が通信に割り込んだ。艦内放送を使っているらしい。格納庫のスピーカーからも彼女の声が響く。
「艦長、通信は戦術用途に」
「えー? でもユズハ、コウタくんのこと応援したいもん!」
「……はあ。まあいいですわ。スサノオ、そのまま第一格納庫まで移動なさい」
「了解」
コウタはスサノオをゆっくりと前進させた。ガクン、ガクンと機体が揺れる。速度はカグツチの三分の一以下だ。
格納庫の片隅で、整備班のクルーたちがスサノオを見ていた。その視線は冷たい。
「……おい、動いてるぞ、あの棺桶」
「どうせすぐ壊れるさ」
「つうか、なんであんな雑魚がまだパイロット面してんだよ。さっさと辞めちまえ」
聞こえていた。でも、コウタは気づかないフリをした。
「ふっ……私を妬む声など、心地よいBGMですな」
彼は気取った微笑を浮かべ、スサノオを進めた。機体はギシギシと悲鳴を上げながら、ゆっくりと、ゆっくりと、第一格納庫へ向かっていく。
その背中を、ユズハとアイリは、それぞれ別の場所から見つめていた。
「……コウタくん」
ユズハは艦長席で、小さく拳を握る。
「絶対に、ユズハがもう一度、コウタくんを輝かせてみせるから」
「……馬鹿」
アイリは第三格納庫の片隅で、誰にも聞こえない声で呟く。
「私は、貴方がどんな機体に乗っても……貴方のことを……」
彼女は最後まで言えず、ただスサノオの消えていく後ろ姿を見送った。手には、冷めた紅茶のカップと、明日の献立を走り書きしたメモが握られていた。
第二章 了




