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第二十五章「女神の怒り、星を揺るがす」
1
ツクヨミ、第三格納庫。
深夜。コウタは今日もスサノオのコックピットでシミュレーションに没頭していた。零式のゴーストとの戦いは、すでに日課となっている。誰にも邪魔されず、ただ己のロマンと向き合う時間。彼にとっては至福のひとときだった。
「ふっ……今日こそ、お前を超えてみせましょう」
彼は操縦桿を握り、仮想空間に浮かぶ零式を見つめた。
その時だった。
「コウタくん!」
格納庫の入り口から、ユズハの声が響いた。いつもの無邪気な調子ではない。怒りを孕んだ、低く鋭い声だった。
「……おや」
コウタが振り返る間もなく、コックピットのハッチが外から無理やりこじ開けられた。そこには、仁王立ちするユズハと、その後ろで腕を組むアイリの姿。
「コウタくん、ちょっと降りてきて」
「ふっ……艦長、私は今、重要な——」
「降りてきて」
有無を言わさぬ声だった。コウタは仕方なくコックピットから這い出た。そして格納庫の床に降り立った瞬間、ユズハが彼の胸ぐらを掴んだ。
「コウタくん! あんた、ユズハのこと好きなんだからね!」
「……は?」
「なんで勝手に行方不明になるの! なんで帰ってきてすぐにまた籠もるの! ユズハ、毎日毎日心配してたんだからね!」
「ふ、ふっ……艦長、落ち着いて——」
「落ち着けるわけないでしょ!」
ユズハの目には涙が浮かんでいた。彼女はコウタの胸ぐらを揺さぶりながら、怒りと悲しみをぶつける。
「半年以上も行方不明になって、やっと帰ってきたと思ったら、今度は毎日毎日シミュレーションに籠もって! ユズハ、コウタくんと一緒にご飯食べたかったんだよ! お話したかったんだよ! 手紙だって毎日書いてたのに!」
「て、手紙……?」
「そうだよ! コウタくんがいない間、ユズハ毎日手紙書いてたんだから! 百五十通以上あるんだから!」
コウタは言葉を失った。ユズハの剣幕に、いつもの「ふっ……」も出てこない。
「艦長、少し落ち着きなさい。私からも言わせていただきますわ」
アイリが一歩前に出た。その手には、いつもの紅茶のカップはない。代わりに、分厚いタブレットを握りしめている。
「星野訓練生。貴方、ここ一週間のシミュレーション記録、すべて確認させていただきましたわ」
「ふっ……少尉、あれは私の——」
「黙りなさい、この雑魚」
アイリの声は静かだったが、その冷たさは格納庫の温度を数度下げたように感じられた。
「貴方は毎晩毎晩、誰にも見えない『敵』と戦っているつもりになっているようですが、データ上は単なるソロ演習ですわ。周りの訓練生たちは『星野先輩がまた変なことをしている』と笑っていますのよ」
「ふっ……彼らには見えていないだけです。私の前には確かに——」
「見えていませんわ! 誰にも! モニターにも! データにも!」
アイリはタブレットをコウタの胸に押し付けた。
「私は貴方を信じようと努力してきましたわ。『ロマン』だの『気合』だの、わけのわからない言葉も、貴方が言うなら何か意味があるのだろうと。でも、貴方は私に何も説明しない。ただ一人で籠もって、勝手に満足している。私は……私は……」
アイリの声が震えた。
「私は、貴方のことが好きだから、ずっと待っていたんですわ。半年以上も。紅茶だって、貴方がいつ帰ってきてもいいように、毎日淹れ続けてきました。なのに貴方は……!」
「少尉……」
コウタは二人の顔を交互に見つめた。ユズハは涙目で彼を睨み、アイリは唇を噛みしめて俯いている。
「ふっ……」
彼は深く息を吐き、そして静かに微笑んだ。
「……申し訳ありませんでした」
「……え?」
「私は、自分のロマンに夢中になるあまり、お二人の気持ちをまったく考えていませんでした」
コウタは優雅に一礼した。
「私は星野コウタ。孤高の戦士。しかし、その戦士を支えてくれる女神たちがいることを、忘れてはいけませんでした」
「……コウタくん」
「ふっ……お二人がいなければ、私はただのイキリ雑魚です。そして、お二人がいるからこそ、私は戦い続けられる」
ユズハの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「……ばか。コウタくんのばか」
「ふっ……よく言われます」
「でも……でも、ユズハ、コウタくんのこと大好きだもん。許すもん」
「ふっ……ありがとうございます、艦長」
アイリはまだ俯いていたが、その口元は微かに緩んでいた。
「……私はまだ許していませんわ」
「ふっ……そうですな」
「紅茶、淹れて差し上げますわ。その代わり、ちゃんと説明していただきます。貴方が毎晩何と戦っているのか、包み隠さず」
「ふっ……承知しました」
アイリは顔を上げ、少しだけ笑った。その目にはまだ涙が浮かんでいたが、それはもう怒りの涙ではなかった。
2
スサノオの足元。三人はレジャーシートを敷いて座っていた。アイリが淹れた紅茶の香りが、格納庫に静かに漂っている。
「……零式のゴースト、ですって?」
アイリは紅茶を一口含み、眉をひそめた。
「ふっ……私が異世界で作り上げた、もう一つの愛機です。なぜかその残影が、シミュレーション空間に現れるのです」
「でも、モニターには何も映っていませんわ」
「ふっ……私にしか見えません。おそらく、零式の破片が私の魂と共鳴しているのでしょう」
「零式の破片?」
コウタはポケットから、小さな金属片を取り出した。継ぎ接ぎの装甲の欠片。それがほんのりと温かいことに、ユズハとアイリも触れて気づいた。
「……本当に温かいですわね」
「ふっ……この破片が、私と零式を繋いでいるのです」
「でも、なんでその零式とやらはコウタくんを攻撃してくるの?」
ユズハが首を傾げて尋ねた。
「ふっ……私が、本来の自分を忘れているからです。言い訳ばかりで、真剣に戦おうとしない私に、零式は怒っている」
「……そうなんだ」
「ええ。だから私は、毎晩零式と戦っている。いつか、本来の自分を取り戻すために」
アイリはしばらく考え込み、そして紅茶をもう一口含んだ。
「……わかりましたわ」
「少尉?」
「貴方が真剣に何かと向き合っているのなら、私はそれを応援しますわ。ただし」
「ただし?」
「これからは、ちゃんと私たちにも報告なさい。毎晩どこで何をしているのか、誰と戦っているのか。いいですわね」
「ふっ……承知しました」
ユズハも笑顔でうなずいた。
「ユズハも! コウタくんが頑張ってるなら応援する! でも、たまには一緒にご飯食べようね!」
「ふっ……もちろんです」
「約束だよ!」
「ふっ……約束しましょう」
三人は顔を見合わせ、小さく笑った。
格納庫の片隅では、零式の破片が静かに、しかし確かな温もりを放ち続けていた。まるで、コウタの成長を見守るかのように。
第二十五章 了
『彗星の指揮官は今日も無茶を言う』 続く




