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第十一章「予備パイロットは今日もイキる」
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ツクヨミ、第三格納庫。
朝の点呼が終わると同時に、コウタはいつものようにスサノオの足元に座り込んでいた。黄ばんだ装甲を磨きながら、今日も一人、気取った微笑を浮かべている。
「ふっ……今日も美しい。我が愛機、スサノオ。この錆び具合がまた、歴史の重みを感じさせますな」
「何が歴史の重みだ、この雑魚」
背後から冷たい声が飛んできた。振り返ると、アイリがタブレットを片手に立っている。非番の日だというのに、彼女はいつもこうして第三格納庫に顔を出す。
「おや、少尉。今日はお休みのはずでは」
「貴方の整備記録がまだ提出されていませんので、わざわざ確認に来たんですわ」
「ふっ……整備記録など飾りです。私の愛は記録に残すまでもなく、この機体に注がれています」
「愛では機体は動きませんわ。さっさと出しなさい」
アイリはため息をつきながらも、スサノオの装甲に手を触れた。黄ばんだ表面には、コウタが丹念に磨いた跡がある。
「……まあ、以前よりは綺麗になってますわね」
「ふっ……当然です。私ですから」
「調子に乗るな、雑魚」
「雑魚とは心外ですな。私はこのツクヨミを救った英雄」
「はいはい。英雄なら英雄らしく、まずは提出書類を全部出してくださいませ」
コウタは渋々タブレットを取り出し、整備記録を入力し始めた。その様子を、アイリは少し離れた場所から見つめている。
(……本当に、戻ってきてくれたんですのね)
彼女は心の中で呟いた。三ヶ月前、次元の裂け目に消えたコウタが、斬魂刀を携えたスサノオと共に帰還してから、すでに一ヶ月が経つ。司令部は彼の帰還を「奇跡」と称えたが、パイロットとしての評価は変わらなかった。結局、彼は予備パイロットのまま、誰も乗りたがらないスサノオに乗り続けている。
「……少尉」
「なんですの」
「紅茶はまだですか」
「……自分で淹れなさい、この雑魚」
「ふっ……少尉の紅茶でなければ意味がないのです」
「…………」
アイリは顔を赤くし、くるりと背を向けた。
「……持ってきて差し上げますわ。少し待ってなさい」
「ふっ。楽しみにしております」
彼女は早足で格納庫を去っていった。コウタはその後ろ姿を見送り、静かに微笑む。
(……相変わらず素直じゃないですな)
でも、それが彼女の良いところだと、今は素直に思えた。
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2
ツクヨミ艦橋。
ユズハは艦長席で、今日も大きなあくびをしていた。
「ふわぁ……ねむい……」
「艦長、昨晩も遅くまで何をされていたんですの」
隣のコンソールからアイリが冷たく問いかける。
「えへへ、コウタくんへの手紙書いてたんだ。昨日で百五十通目だよ」
「……よく飽きませんわね」
「だってコウタくん、毎日頑張ってるから。ユズハも応援したくなるんだもん」
「頑張ってる……ように見えますの?」
「見えるよ! コウタくん、毎日スサノオ磨いてるし、模擬戦も真面目に出てるし」
アイリはモニターに目をやった。そこには、今日の模擬戦のスケジュールが表示されている。コウタの名前は、一番下にあった。
「……模擬戦、今日も最下位からスタートですわね」
「うん。でも、前よりちょっとだけスコア上がってるんだよ」
「誤差の範囲ですわ」
「それでもだよ。ユズハは信じてるの。コウタくんはいつか、絶対にすごいパイロットになるって」
ユズハの目は、真っ直ぐで、揺るぎなかった。アイリは小さくため息をつき、紅茶を一口含んだ。
「……艦長は、本当にコウタのことを信じておられるのですわね」
「うん。だってコウタくんは、ユズハのピンチに絶対に来てくれる人だから」
「……それとパイロットの技量は別ですわ」
「そうかなあ。ユズハは同じだと思うけどなあ」
その時、艦内放送が流れた。
「模擬戦、第一回戦を開始します。予備パイロット星野、第一格納庫へ」
「あ、コウタくんだ!」
ユズハは目を輝かせ、モニターに映る模擬戦の映像を見つめた。アイリも、無意識に手元の紅茶を握りしめていた。
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3
第一格納庫、模擬戦エリア。
コウタはスサノオに乗り込み、対戦相手の機体と向かい合っていた。相手は正規パイロットの訓練生。コウタより二つ年下だが、模擬戦の成績は常に上位だ。
「ふっ……相手にとって不足はありませんな」
「星野先輩、今日こそ勝たせてもらいますよ」
「ふっ……私に勝てると思っているのですか」
「先輩、模擬戦の勝率一割切ってるじゃないですか」
「……ふっ。過去のデータなど飾りです」
コウタは気取った微笑を浮かべ、操縦桿を握った。スサノオの右腕には、斬魂刀がマウントされている。青白い光は、今は静かに眠っている。
「模擬戦、開始!」
合図と共に、相手機が飛び出した。コウタもスサノオを前進させる。機体は相変わらずギクシャクとしていて、速度も遅い。
「はあっ!」
相手機の模擬弾が、スサノオの左肩をかすめた。警告表示がモニターに浮かぶ。
「くっ……! ふっ……想定内です」
コウタはスサノオを旋回させ、斬魂刀を抜いた。青白い光が刃を包む。しかし、模擬戦用に出力は制限されている。ドリフターを斬り裂いたあの威力は、今は出せない。
「遅いですよ、先輩!」
相手機が背後に回り込む。コウタは振り返ろうとしたが、スサノオの動きは鈍い。模擬弾が機体の背面に命中した。
【判定:被弾。残機数ゼロ。勝者、訓練生】
「……ふっ」
コウタは操縦桿から手を離し、天井を見上げた。
「……今日も負けましたか」
通信から相手の声が流れる。
「星野先輩、ありがとうございました!」
「ふっ……次は負けませんよ」
「はい! でも先輩、前より動き良くなってましたよ」
「……おや」
「特に、最初の旋回。あれ、なんか読みにくかったです」
「ふっ……当然です。私ですから」
通信が切れた後、コウタは一人、コックピットで微笑んだ。
(……少しは、マシになってるようですな)
彼はスサノオの操縦桿をそっと撫でた。
「……お前のおかげです、スサノオ」
機体は何も答えない。でも、斬魂刀の青白い光が、ほんの一瞬だけ強くなった気がした。
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4
食堂。
コウタがトレイを持って席に着くと、すでにユズハとアイリが待っていた。
「コウタくん! お疲れさま!」
「ふっ……ご心配なく。今日も歴史に残る名勝負を繰り広げてきました」
「うん! 見てたよ! 最初の旋回、すごく良かった!」
「……よく見ておられましたね」
「当然だよ! ユズハはコウタくんの専属応援団長なんだから!」
ユズハは無邪気に笑い、ハンバーグを頬張った。アイリは紅茶を飲みながら、ちらりとコウタを見る。
「……今日は一勝もできなかったそうですわね」
「ふっ……勝ち負けなど飾りです」
「飾りではありませんわ。予備パイロットのままでは、いずれクビになりますわよ」
「ふっ……私をクビにできるものなら、してみるがいいでしょう」
「……本当に、その自信はどこから来るんですの」
アイリは呆れながらも、口元が微かに緩んでいた。
「でも、アイリちゃんも見てたんだよね。コウタくんの模擬戦」
「なっ……! べ、別に、たまたまモニターに映っていただけで……!」
「ふーん? たまたまねえ」
「うるさいですわ!」
コウタは二人のやり取りを見ながら、静かに微笑んだ。
(……この時間が、私のロマンです)
彼は心の中で呟いた。パイロットとしての評価は低い。模擬戦ではいつも負ける。周りからは「雑魚」と陰口を叩かれる。でも、ユズハとアイリがいる。この二人が、自分を信じてくれている。
それだけで、十分だった。
「……コウタくん」
「なんです、艦長」
「ユズハね、やっぱり言いたいの」
「……なにをです」
「大好きです。ユズハのお婿さんになってください」
「ぶっ……!」
コウタは飲みかけの水を吹き出しそうになった。
「ふ、ふっ……艦長、ここは食堂ですぞ……!」
「いいの! ユズハ、みんなに知ってもらいたいんだもん!」
「……少尉、なんとかおっしゃってください」
「……わ、私も、同じ気持ちですわ」
アイリは真っ赤な顔で俯きながら、小さく呟いた。
「……もう、知りませんわ。私の気持ちなんて」
コウタは二人の顔を交互に見て、深いため息をついた。
「……ふっ。お二人とも、本当に私のような雑魚パイロットでよろしいのですか」
「コウタくんは雑魚じゃないもん! ユズハの最高のパイロットだもん!」
「……私は、貴方が雑魚でも構いませんわ。むしろ、雑魚だからこそ、放っておけないんです」
コウタは天井を見上げ、そして静かに笑った。
「……ふっ。では、今はまだ、このままでいさせてください。私はまだ、孤高の戦士。お二人の女神に見守られながら、もう少しだけ、ロマンを追い求めたい」
「……もう、コウタくんってば」
「……本当に、馬鹿ですわ」
でも、二人の顔は笑っていた。
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5
第三格納庫、夜。
コウタは一人、スサノオの足元に座っていた。手には、アイリがくれた紅茶のカップ。温かい湯気が、静かに立ち上っている。
「……ふっ。今日も一日、終わりましたな」
彼はスサノオを見上げた。黄ばんだ装甲。継ぎ接ぎだらけの機体。右腕には、斬魂刀。青白い光が、闇の中で静かに輝いている。
「スサノオ。私はまだ、予備パイロットです。模擬戦ではいつも負ける。誰も私を本物のパイロットとは認めない」
「……」
「でも、私は諦めません。なぜなら――」
彼は紅茶を一口含み、微笑んだ。
「私には、帰るべき場所がある。待つ人がいる。そして、お前がいる」
スサノオは何も答えない。でも、その装甲が、ほんの一瞬だけ、優しく輝いた気がした。
「ふっ……明日も頑張りましょう。歴史の一幕に、私たちの名を刻むために」
コウタは立ち上がり、スサノオに背を向けて歩き出した。その背中を、斬魂刀の青白い光が、静かに見送っていた。
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第十一章 了




