チャプター 25:「空中要塞」
船尾が損傷した事により、不自然な振動が機体を伝わる中、ハルの心は驚くほど静かだ
った。エディを信頼し、何度も死の危険に晒されながらも、敵機を初めて撃墜した時のよ
うな恐怖は不思議と感じない。
索敵を続けながら、父は戦場でこんな気持ちだったのではないかと夢想する。
「…………あれは?!」
穏やかな時間も束の間、前方に敵機らしき機影を確認する。距離が離れているのか、中
央を飛ぶ機体は酷く大きく見える。
「あれは…………」
「あれだ。多分、な。行こう」
背後に座るエディの声は、珍しく動揺の気味があった。
だがハルは、その理由を直ぐに理解する。
「大きい…………」
中央を飛ぶ茶褐色の敵機は、通常戦闘機とは比べ物にならない、宙に浮いている事が信
じられない程の体躯だった。巨大な艦船に翼を取り付けたような形状で、その翼は戦闘機
を横に10並べても余るほどの長さ。あまりに巨大な船体を飛行させるためか、駆動する
プロペラは延べ24。そして、胴体部分に取り付けられた無数の火器。
それらは、一斉に前を向いた。
「エディ!」
「ああ!」
頼りない機体を限界まで酷使し、殺到する鉛の嵐を潜り抜ける。その火力は戦闘機の比
ではなく、空が埋め尽くされる程の猛火を巧みに回避するエディ。
更に、護衛らしき戦闘機が接近し、後方へ迫ってきた。ただでさえ猛烈な攻撃の中、戦
闘機との格闘戦までこなさなければならず、エディの双眸は人間の限界近くまで酷使され
る。
前進、下降、旋回、上昇、旋回。
全ての動作が息継ぎなしに繰り出され、絶望的な機体の差を対等な状態まで持って行く
エディ。天地がめまぐるしく巡り、キャノピーの硝子越しに聞こえる弾丸の飛翔音が恐怖
を煽る。
必死に機体を操作するエディとは対照的に、ハルは全方位から襲い掛かってくる慣性重
力に耐え、動力の供給だけは絶やすまいと門の前方に差し出した左手へ意識を集中する。
静と動。役割は違えど、二人は己の戦場で必死に戦っていた。
しかし、後方で金属を打ち付けるような大きな音が聞こえ、機体に響く不快な振動が更
に強くなった。
「これは…………マズイ」
エディの漏らした一言に、ハルの心臓が縮み上がる。咄嗟に振り返ると、空を見回しな
がらも、焦燥をあらわにするエディの顔を見た。
「尾翼の部品が…………脱落して……しまった。このまま、では……旋回すら……………
…クソッ! 離れるわけにも!」
話しながらも可能な限り機体を振り回し、敵機の照準先から必死に逃げ回る。既に攻め
るどころではない状況である事は明白である。しかし、一度取り付いたからには、再度距
離を取る隙に敵の火砲によって集中砲火される危険が高い。至近距離で最低限の対空砲を
捌きながら、逃げ続けるエディの選択は正しい。
「クソッ、クソッ! まだ…………まだだ!」
しかし、幾度も敵戦闘機の機関砲撃に晒され、逃げる力すら無くなった二人の機体へ、
更に損害を与えてゆく敵機。主翼にも被弾が増え始め、エディの操縦能力が仇となったの
か、破損した箇所から次々に破片が落ちてゆく。
生身に怪我はないものの、戦闘機同士の戦いに於いて、死は一瞬で訪れる。キャノピー
を弾丸が掠めて行く度に、ハルは恐怖に抗う為歯をくいしばった。
敵艦船を舐めるように飛びながら逃げ続ける中、機内に再び聞こえた軍靴の音。
『本部機関室より! 蒸気機関の準備、完了したとの事です!』
「了解…………しました! エディ!」
報告を聞き次第、弾かれたように振り向くハル。未だ機体は縫い目なく空中を舞ってお
り、腹部に込められた力の影響で、会話も切れ切れである。
「敵の戦闘機から逃げられる回避機動を取ってほしい。数秒でいい」
「それじゃあ、敵艦船の……グッ…………火砲が! 狙い撃ちにされるぞ」
「大丈夫。僕に考えがあるんだ。信じ、て」
めまぐるしく動く景色の中、ほんの一瞬、エディと目が会う。その後、数秒の沈黙が場
を支配する。
「…………わかった! やってみよう!」
「うん!」
エディの了承が取れた所で、口を門へ近づける。
「ダムの伝令の方! 円盤を動かします! 離れて!」
『了解であります!』
全ての準備は完了した。兵士が離れて行く音を聞きながら、ハルは精神を集中させる。
身体は無数の重力にかき回されながらも、心中は水を打ったように静まっていった。
負荷を掛けている影響か、破損箇所は愚か機関部にまで違和感が出始めている機体を巧
みに操り、後部へ張り付いた敵機へと近づいてゆく。近すぎれば回避する前に撃墜され、
離れすぎれば回避機動を取った瞬間に狙い撃ちにされる。
絶妙な距離感覚で敵機に接近して行くエディの腕を信じ、その時を待つ。
「…………よし。行くぞ!」
一か八か。機首を目一杯引き上げ、機体が急激に失速する。敵機が下方を潜り抜ける中、
ハルの目は敵艦船の砲塔を捉えていた。
左手に意識を集中させ、ダム側の円盤を移動させるハル。それによって戦闘機へ差し込
まれていた動力軸は抜き取られ、機体が完全な無動力状態になる。
「お、おいハル! このままじゃ――」
「大丈夫」
即座に門を開けると思いきや、ハルはキャノピーに手をつき、二人を向いた2門の砲塔
へ意識を向ける。
「ごめんなさい」
座標を正確に指定し、敵の砲が真正面を向いた瞬間。それぞれの砲口正面に円盤を出現
させる。火を噴きながら砲弾が発射されると、それはお互いの円盤を潜り抜け、互いの砲
塔を攻撃しあった。
ハル・エリオットにのみ許された、究極の防御手段である。
「…………エディ! クラッチを切って!」
「わ、わかった」
生まれて初めて自ら手を下した罪悪感を抑えながら、次の動作へ移る。クラッチが切れ、
ホイールが自由になった状態で、門へ触れマナを流し込むハル。
門が開かれるも、軸は顔を出さない。
「キースさん! 動力を!」
敵機が旋回し、再度迫ってきている中叫ぶハル。機体は飛行する事もおぼつかない程で
あり、操縦ができない現状ではエディの操縦技術も無意味である。
相手から応答がないまま、ハルは敵機に釘付けになってきた。
旋回を終え、ゆっくりと、慎重に後方へついた敵機の銃口が二人へ向けられる。
「キースさん!」
「旦那!」
刹那、二人の叫びに応えるように蒸気機関の動力軸が突き込まれ、再び生を受けた事に
歓喜し、震える戦闘機。
『ハル! エディ! 無事か!』
「はい!」
自機の速度を予想した上で3速を選択したエディは、クラッチを離し八重歯を覗かせた。
「よくもまあ…………やってくれたな!」
蒸気機関から供給された回転動力はクロムモリブデン鋼のホイールを経由し、多段の変
速機を経た上で、プロペラへと送り込まれる。
本来の力を取り戻した銀翼の戦闘機は、弾丸の雨をすり抜け、高らかに舞い上がった。
「機体が軽い…………これなら!」
機体の破損は広がる一方だが、本来の推力を取り戻した事により、機体は驚くほど軽や
かに空を駆け抜ける。流れるような動作で変速機を動かし、瞬く間に5速まで加速する機
体。
上昇、下降、反転、旋回、制動。
自在に機体を繰り、敵機を翻弄する。もはや、この空でエディを捉えられるパイロット
は居なかった。脅威となっていた艦船の対空砲ですら、速さを取り戻したエディに追いつ
けない。
「先ずは、一機目」
逃げ惑う敵機に迫る悪夢の如く、魔法のように背後へつき、躊躇なく引き金を引く。
撃ち出された弾丸は、いとも容易く敵機を砕いた。
「次は、あいつか」
残りの一機を目で追うエディの姿は威圧的ではあったものの、彼女がそうせねばならな
い理由を理解している為に、恐怖は感じなかった。
「…………終わりだ」
澱みない動きで敵機へ張り付いたエディは、撃墜した相方の敵機と同じように、敵戦闘
機を空の灰塵へと変えてゆく。
続けて狙ってきている艦船の弾幕を泳ぐように回避しながら、エディは護衛機を全て討
ち取る事に成功する。
「エディ。残弾が…………」
しかし、敵最大の攻撃兵器を前に、別の危機が迫っていた。
「残り何発だ」
マナ供給を絶やさぬよう左手の位置を確認しながら、両端に備えられた機関砲の弾倉へ
目を向ける。残弾を視認する為に設けられた切れ目から目盛を読み取り、顔を上げた。
「左右に、16発ずつ」
ハルの報告に、エディは顔をしかめる。
「こいつを止める事は難しいか…………いや」
何か閃いたのか、ハルはエディの選択を信じ、身体を固定する掴み手を握った。
「くうう…………?!」
旋回の後、真上から攻撃を試みたのは、敵艦船の艦橋だった。急降下の強烈な慣性重力
により、内臓が浮き上がる形容し難い不快感に耐えるハル。
撃ち放たれた弾丸は敵船体に着弾するも、旋回しながら様子をうかがっても損害を与え
られた様子はなかった。
「流石に中枢部は頑丈に作ってあるか」
さも他人事のように考察するエディに、ハルは痺れを切らせた。
「そんな事! このままじゃ――」
「まあ、焦るな相棒」
振り向いたハルが見たのは、驚くほど冷静に見返すエディだった。
「あたしに秘策がある。ベルトを締め直しておけ」
言い放った後、エディは再度敵艦船の上方へ移動する。
「先に、後片づけだ」
狙いをつけたのは、艦船上方に用意された対空砲。未だこちらを向く事が出来ない砲手
目掛け、ありったけの残弾を打ち込む。
遠方からも、硝子が破れ、砲身に十分な損傷を与えた事が確認できた。
「さて」
「一体何を…………」
ハルが制止する前に、エディは敵艦船と併走するように変速機を合わせ、ベルトを外し、
キャノピーのロックを外した。戦闘よりも遅いとはいえ、艦船と併走する戦闘機の飛行速
度は200マイル近い。高度もあり、夏の空気ではないかのような冷たい暴風が機内へ流
れ込んでくる。あまりの風圧に、ハルは呼吸もままならなくなる。
「エディ! 何を!」
奇行に走り始めた相棒の操縦士は、あろう事か機体から身を乗り出していた。操縦桿を
右足で器用に操り、機体を水平に保ち続ける。
そして、合わせた両手を口に近づけると、それに青白い光がまとわりついた。
暴風に耐えながら両手を左右に広げ、エディが下を向く。
「ハル! あたしのとっておきを見せてやる!」
ハルに宣言した後、艦船へ追いすがるように黒雲が上空を走る。
「これが! 練電の魔女の奥の手だ!」
エディが光を纏った両手で刈り取るように腕を振るうと、黒雲から発せられた無数の稲
妻は、狙ったかのごとくプロペラを打ち抜いてゆく。次々に発せられる雷光に、砕け散る
プロペラ。風の音に負けない程の轟音が響き渡る。
推進力を失った事により、瓦礫を振りまきながら、ロベリア最大の艦船は大地へ落ちて
いった。




