チャプター 22:「背水」
アルストロメリア首都から、アイリス国境へ続く国道。朝日に照らされ荒々しく走る王
家専用の馬車の中は重苦しい空気で満たされていた。車内にはオットーとシェリルの二人
が向かい合わせに乗っていたが、急ぐ馬車の騒音に対して、二人は一言も発しなかった。
宣戦布告を受けてから夜明けまで協議していた事もあり、シェリルの疲労は身体能力の
限界を超えていた。意識を手放してしまいたい欲望と戦いながら、最後の望みであるアイ
リスへの到着を待つ。
首都同士が近いこともあり、出発から三時間弱で国境まで到着する。カーテンの隙間か
ら窓の外を見ると、御者が衛兵と話している姿が映る。側面から外を見れば、地平の彼方
まで続く長大な城壁が目に飛び込んできた。
再度走り出した馬車は、城壁の内側を舐めるように進んで行く。
「いつ見ても…………凄いわね」
再度外へ目を向けると、アイリス空軍の飛行場が目に映る。駐機されているのは見たこ
ともないような大型の航空機や、プロペラのない、どのように飛ぶのかも知れない戦闘機
らしき機体。それが伊達や酔狂で並べられているわけではないと、アイリスの国力から想
像は容易い。
柵の切れ目から飛行場へ侵入した馬車は、白く大きな建物の前に停車する。御者が降り
る気配を見せ、数瞬後、開いた扉から、馬車から地面へと降り立った。
「アイリス軍総合駐屯基地へようこそ、シェリル女王陛下、オットー大臣。司令官の部屋
までご案内いたします」
待ち構えていたらしい軍服姿の男が、アイリス式の敬礼と共にシェリル達を出迎えた。
「こちらへ」
「よろしくお願いします」
男の案内について、二人は建物の中に入っていった。軍用施設という事もあり、華美な
装飾は施されていなかったが、大理石などの建材が使われ、内部は上品な雰囲気を醸し出
していた。
軍靴の響き渡る廊下を抜け、突き当りの重厚な扉をノックする男。内部から聞こえた声
に、シェリルは身を強張らせる。
「どうそお入りください」
扉を開け、入室を促した男の横を通り抜け、シェリルは室内へと入る。そこには、オリ
ーブ色の軍服を身につけ、書類を片手に窓の外を眺めているアリスが立っていた。入室し
た二人に気がついたのか、アリスの視線がシェリルへと向けられる。
「いらっしゃい。突然だったわね」
執務室中央に設けられた会談用の机を指し示し、お互いに近づくと腰掛ける。
見合う中、先に口を開いたのはシェリルだった。
「急なお話にも関わらず、このような席を設けて頂き有難うございます。本日の用件は―
―」
「ちょっとまって」
恐縮して見せるシェリルの台詞をとめ、アリスは足を組み微笑した。
「そんなにかしこまらないで? 貴女と私の仲じゃないの。先ずは、お茶とお菓子を」
それはまるで用意されていたかのように、執務室の扉が開かれ台車とメイドが入ってく
る。白磁の皿に載せられた茶菓子が並べられ、薄いティーカップに黄金色の紅茶が注がれ
た。
給仕を終えたメイドは後方に下がり、アリスはティーカップを持ち上げシェリルへ視線
を戻した。
「とても疲れた顔をしてる。先ずはお菓子を食べて、身体を休めなさい。話はそれからで
も遅くないわ。私は元気な貴女とお話がしたいの。大臣も、どうぞ?」
問題解決の為、早く話を切り出したかったシェリルだが、友人の気遣いに苦笑しながら
頷き、用意されたフォークで白いケーキへ先端を刺して行く。素直に従うのは、アリスが
頑固で、それがいつも良い選択であると知っての事だった。
シェリルは身体に染み渡る糖分と水分を感じながら、前日から水も禄に口にしていなか
った事に気がつく。石材で作られた静かな室内には、カトラリーと磁器が擦れ合う音だけ
が響き渡った。
「…………さて。それでは、貴女の用件を聞こうかしら」
カップをソーサーに置き足を組み替えたアリスが、両手を膝に乗せシェリルを見る。
シェリルも手に持っていたティーカップを置き、姿勢を正すと、正面のアリスへ視線を
向ける。
「昨日の宵に、ロベリアから宣戦布告を受けました。開戦は明日の正午。今日は、アイリ
スに停戦交渉の仲介をお願いしに来たの。アルストロメリアは今、戦争をするだけの力が
ないわ」
アリスを心から信頼した上での言葉。隣に掛けるオットーも、シェリルの大胆かつ正直
な発言に驚きを隠せない様子だった。
「…………なるほどね」
シェリルの告白に、アリスは微笑と共に何度も頷いた。
しかし、切り替わるように表情が塗り替えられ、険しい目つきでシェリルを見つめ返す。
「それは、アイリス帝国としてロベリアとの仲を取り持って欲しい、という事ね?」
「…………ええ」
「ならば、私達は協力できない。宣戦布告を受けた時点で、それは戦争状態にある事と同
義。国家間の諍いに干渉せず、誰の肩も持たないのがアイリスの立場なの。せめて、それ
よりも前なら…………」
シェリルは最後の希望を絶たれ、極度の緊張から眩暈を覚える。もしもランタナからの
燃料が届かなかったなら、最悪の状態で戦争が始まり、導き出される結果は、建国史上最
悪の惨事。
焦点も定まらない程心を乱したシェリルの頭を優しく梳くのは、いつの間にか立ち上が
っていたアリスだった。その手は不思議な安心感を持ち、シェリルの心を静めてゆく。
呼吸が整い始めた頃、アリスは空いた右手を顎に当て、目を薄めながら思案する。
「それにしても変ね。アルストロメリアの航空隊は確か、定数が24。ロベリアも24の
筈。それに、貴女のお兄さんも居るじゃない。戦争を推奨したいわけではないけれど、戦
えないどころか、十分すぎる勝機があるように見える」
アリスの見解に、シェリルとオットーは揃って肩を落とした。
「戦闘機を運用する燃料がないの。今まで供給してくれていたランタナも、納期が遅れて
いるのにもかかわらず連絡がない。裏でロべりアと結んでいる可能性があるわ。もしそう
なら、私達はなすすべなく蹂躙されるでしょう」
「なるほど、ね」
震える声で理由を吐露するシェリルの頭に、再度手を伸ばしたアリスは、したり顔で友
人へ顔を近づけた。
「それなら、手はあるわ」
「えっ? それはどういう……」
シェリルが聞き返す前に執務用の大きな机へ歩み寄ったアリスは、端に置かれた紙を数
枚めくり、その後、透明な板の取り付けられた奇妙な機械へと手を伸ばす。いくつかのボ
タンを押し込むと、紐でつながれた部品を手に取り、耳に当てた。
黙って様子をうかがっていると、突如透明な板に髑髏のような顔が映し出される。
「もしもし? スカル?」
『ああ! どうしたんだいマイハニー』
よくよく見てみると、板に映し出されていたのはアリスの夫であるスカル殿下だった。
どこからともなく、しゃがれた声が聞こえる。
「バビアナの視察はどう?」
『もう終わったぜえ。あとは土産を持って帰るだけさ』
満足げに頷いたアリスが、映し出された男の顔に近づいた。
「貴方にお願いがあるの。そこは確か、まだ石炭を生産できる炭鉱があったわよね? 今
から削岩用の機械を使って採掘してくれない? ああ、ちょっと待って」
手に持つ部品の穴を左手で押さえたアリスが、シェリルへ視線を向ける。
「どれだけあればいいの?」
「あ、あの……えっと…………200トンあれば」
状況に付いていけないシェリルとオットーを他所に、アリスは話を進める。
「200トン生産して。陸軍を動員していいわ。褒章が沢山出ると言って作業員を募って。
あの採掘機の生産能力なら、10時間もあれば掘れるはずよ」
『わかった。けどよお。今更こんなものを掘り出してどうするんだ?』
「ペイロードは77トン…………これから輸送機を三機回すわ。石炭は輸送用コンテナに
乗せて空輸します。輸送先は、アルストロメリア空軍基地」
髑髏顔の男は、あて先を聞いた途端にケタケタと笑い出した。
『おいおい、いいのかい? 他国の軍事に関わってもよお』
悪戯な笑みで、再度シェリルへと目を向けるアリス。
「いいのよ。大事な友人に越冬の為の燃料を送るだけ」
『クカカカッ! そういう事にしておくぜえ。それじゃあ早速作業に取り掛かろう』
「お願いね」
部品を本体に戻すと、板の映像が消える。アリスはその場で腕を組みシェリルを見た。
「調達の算段はついたわ。明日の正午にはアルストロメリアに送り届けられるでしょう」
会話の内容を反芻し、シェリルはようやく意味を理解した。アリスへと駆け寄り、強く
抱きしめる。
「なんて言ったらいいか…………本当にありがとう。お陰で民も兵士も救える……わ……
……」
緊張から開放された為か、足元から崩れたシェリルは意識を失う。
咄嗟に抱きとめたアリスは、立ち上がったオットーと目が合う。それは喜びと共に、疑
いの色を含んでいた。
「何故、我が国に支援を?」
理由を汲み取ったらしいアリスは、表情を緩め三度頷く。
「勿論、戦争を長引かせたくないからよ。疲弊した状態での終戦は多くの難民を生み、治
安も大幅に悪化する。早期終結の打算もあるわ。それに」
「――それに?」
「暴君なら兎も角、善政を敷いていると評判のアルストロメリア。親友の頼みだもの。出
来る限り助けてあげたい。私個人としてね」
納得できる答えであったのか、オットーは真剣な表情のまま相槌を打つ。
シェリルを抱え、部屋で一番大きなソファへ寝かせると、アリスは再度オットーへ向き
直り、無邪気な子供のような笑みで人差し指を口に当てる。
「けれど、兵士達をタダ働きさせるわけにはいかないわ。うちの石炭はとても高いのよ?
覚悟しておいて」




