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チャプター 21:「畏怖」

 ふと、視線を落とす小説から顔を上げ、窓の外を眺める。宿舎の外では、訓練を終えた

らしい航空隊の面々が整列し、その向こうでは、一日の仕事を終えた太陽が眠りに就き始

めていた。

 机に乗せたしおりを手に取り本へ挟むと、それを机へと放り、両手で目を解す。ぼやけ

た視界で天井を見上げながら、エディは今後の事を思案した。

 ハルがその気になってくれるならば、それに越した事はない。しかし、何ヶ月もかけて

心身を鍛えている陸軍の兵士とは違う。多感な年頃でもあるハルがどのような答えを出す

のか、エディには予想もつかなかった。自分にできる事と言えば、ただ黙って決断を待つ

事のみ。もしもハルが決断する為に自分に何かを問うなら、誠心誠意それに答えようと考

えていた。

 天井の木目まで見え始めた頃、飲み物を淹れようと立ち上がる。炉へ薪を入れ、魔法を

行使しようと手先にマナを集め、一瞬で発現した発火魔法により薪へ火を移す。

「おっ…………おかえり」

 火に掛けた薬缶が音を立て始めた頃、部屋の扉を開けて入ってきたのはハルだった。

「うん。ただいま」

 それは些細な変化。しかし、エディの目に映るハルは、まるで別人のようだった。部屋

を出て行った、弱くか細い姿は影も形もなく、足音にすら気力が感じられ、自分のベッド

に近づいてゆく相棒を、ただじっと凝視する。

 ハルの姿に気を取られていた為に、彼女は薬缶から湯が吹き零れていることに気がつか

ない。

「それ…………大丈夫?」

 ハルに指摘され、意識を取り戻したエディは慌てて薬缶を取り上げ、濡れた布巾へつけ

る。その様がおかしかったのか、ハルは口を押さえて笑っていた。

「どうしちゃったの? らしくないよ」

 静かに、嬉しそうに笑うハルの姿に苦笑する。

「らしくないのはお前の方だよ。出て行った時と雰囲気が違う。一体どうしたんだ」

「エディは凄いね。わかっちゃうんだ」

 エディの指摘に、ハルは苦笑しながら自分の後頭部を撫でた。

「実は…………母さんに会ってきた」

 ハルの一言に、ドリッパーを回す手が止まる。正式に入隊してしまうまで会わないと聞

いていただけに、驚きを隠せない。

 しかし、母と話した事でハルの心境に変化がもたらされたとしか考えられなかった。

「そう、か。どうだったのか聞かせてくれよ…………ああ、飲むか?」

「うん」

 挽いた豆を二人分袋にあけ、湯の温度を確かめながら注いでゆく。硝子の容器に二人分

の珈琲が溜まる頃には、室内に嗅ぎ慣れた香りが広がっていた。

「どうぞ」

「…………ありがとう」

 互いに椅子へ腰掛けカップへ口をつけると、あわせたように喉を鳴らす。揺れる珈琲と

立ち上る湯気を眺めながら、エディはハルの言葉を待った。

「まずは…………ごめんなさい」

「……うん?」

 予想外の謝罪。それが意味する所がわからず、首を傾げ続きを促す。

「あの時、僕は自分の感情だけを吐き出していた。エディの気持ちなんて、少しも考えて

いなかったんだ。引きたくもない機関銃の引き金を引かせておいて、ね。本当にごめん」

 ハルの意図がようやく理解できたエディは、感涙の感情を苦笑に代え首を振る。

「それがあたしの仕事なんだ。気にする事はない」

 笑いで誤魔化そうとするも、ハルは真剣な眼差しで見つめ返してきた。

「エディの気持ちを無視できるわけがないよ。僕は母さんに言われて初めて気がついた。

見ていただけの僕以上に、手を下さなければならなかったエディは辛かったんだ、って。

だから」

 自分を見つめる14歳の少年の瞳は、水晶玉のように透き通り、一点の曇りもない。

 エディの全身が鳥肌立ち、息を止め次の言葉を待つ。

「僕は、エディの力になりたい」

 全身の血が沸き立つとはこの事なのだろう、とエディは思った。ハルの発した、たった

一言の答えに、直観は確信へと変わる。

「ああ、ああ! あたしはお前の……その言葉を、その目を待っていたんだ。やろう。旦

那、機関室の皆、ハンク、隊の仲間たち、女王陛下。そして、お前の親友や母さんの為に。

戦おう」

 椅子から立ち上がり、ハルの目の前まで顔を寄せる。それでも尚、欠片も動揺した様子

のないハルが、エディを真っ直ぐ見つめ返していた。

「うん。もう、迷わない。エディを信じるよ」

「ああ!」

 立ち上がった二人は、しっかりと握手を交わし、お互いの肩を叩く。

 ここに、新たな戦闘気乗りが誕生した。

「ククッ。本当に嬉しいよ。これで、もうあんな思いをしなくて済む」

 つい口を滑らせたエディは、自分の発言が失敗であった事に気がついた。

「あんな、思い?」

 息を呑む。しかし、ハルの決断に応える為にも濁すわけにはいかないと決心する。それ

は、エディにとって古傷から膿を抉り出すかのような行為だった。

 仲間を皆殺しにされたあの日。

 体験した出来事を思い出す度、速くなる鼓動を抑えようと胸を掴み、自然に滲み出る涙

を堪える。

「だ、大丈夫?!」

 ハルに椅子へ導かれ、数度の深呼吸で徐々に気持ちが落ち着いてゆく。

 息を荒げながら、エディは自分の体たらくを嘲笑った。戦闘気乗りに固執する理由も、

全ては自分の劣等感を払拭する為の行為でしかないのだと再認識する。

 ようやく胸が楽になり、自分の手を握るハルへ視線を落とした。

「ありがとう。もう、大丈夫だ」

「だ、大丈夫なんかじゃないよ!」

 ぼやけた自分の視界を回復させるべく、左手で涙を拭いハルの頭を撫でる。最後に一つ

深く息を吐くと、ゆっくりと口を開く。

「あたしが戦闘気乗りになった理由は、二年前のアルストロメリア防衛戦にある。あの時

…………あたしはメイジでありながら、一人の仲間も救う事が出来なかった。それまでの

一年で成果が出せた事もあって、あたしは完全に油断してた」

 再度こみ上げてきた涙が頬を伝い、自分の身につけるローブにシミを作っていった。

「あの日、初めて実戦投入された敵の戦闘機に仲間を虐殺されたんだ。一方的に、無慈悲

に。いくら魔法を行使しても、まるで歯が立たなかったよ。たった一機にな。あたしの存

在意義は完全否定された。もう、あの場で死んでしまえば良かったって――」

 自分の台詞を止めるように、ハルがエディの身体を抱きしめていた。

「そんな事、言わないで。もう二度とそんな思いはしなくていい。今のエディなら、ただ

の一人だって死なせやしないよ」

 湿気を帯びた夏の空気の中でも、ハルの体温は不思議と不快ではなかった。抗うことな

く、腕は自然とハルの背中に回される。

「そうだな。あの時ハンクに救われた命。次は、あたしが助ける番だ」

 音のなくなった室内で、二人は日が沈むまで静かに抱き合っていた。

「うん…………?」

 部屋へ誰かが近づいてくる音を聞き、エディが咄嗟に立ち上がる。親しい関係ではある

ものの、ハルと抱き合っている姿は他人に見られたくなかった。

 扉を開けて中へ入ってきたのは、焦燥感を露にしたキースの姿。

「どうしたんだ。旦那」

 並び立ったハルとエディが、キースと相対する。

 一度目を閉じたキースが、再度目を見開き、二人を交互に見つめた。

「ロベリアから外交官が強制送還されてきた。皇帝からの宣戦布告をもってな。明後日の

正午、開戦だ」


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