チャプター 20:「懺悔」
入隊試験から六日。暇を出されるも、農業を営んでいた頃から休む事などなかったため、
ハルは時間の使い方に悩んでいた。同室のエディと言えば、怒るでも嘆くでもなく、どこ
からか持ち込んだ娯楽小説を読み耽っている。
ハルが選択できた事といえば、基地内を散歩する事、セスに整地用のローラーを取り付
け、滑走路の整備を手伝う事。そして、現在ハルが向かっている母の見舞いへ足を運ぶ事。
医療棟、母の病室を二度ノックすると、入室を許す母の声が返ってくる。暫く聞いてい
なかったアビーの声に顔を綻ばせ、静かに中へ入っていく。
「先生かしら? 今日はとてもいい天気で、身体の調子も――」
窓の外を見ながら喋り始めたアビーは、入ってきた人間がハルである事に気づき、口を
止める。
専門医とは何度も会っていたハルだが、母と面会する事は避けていた。決心が揺らいで
しまう事を恐れ敢えて会おうとしなかったハルも、弱った心を預ける最後の希望はやはり
母だった。
「母さん。調子は、どう?」
静寂を破る、最初の言葉。
アビーは強く息を吸うも、目を閉じ顔をしかめ、ゆっくりと息を吐き出した。その頃に
は表情もほぐれ、今までと変わらない、優しい笑顔でハルを見る。
「調子はとてもいいわ。先生も看護の方々もとてもよくしてくれるし、栄養のある食べ物
も食べられる。胸の痛みも段々取れ始めたの」
アビーの微笑に、ハルは俯きながら近くの椅子へ座る。そして、母の表情を気にしなが
ら、慎重に口を開いた。
「母さん。怒ってる、よね」
ハルは、ガルドが自宅へやってきたあの日に、母は全てを直観していたのだと考えてい
た。アビーを避けていたのも、叱責される事や、自分がこれからするであろう事を咎めら
れるのではないかという恐怖が大きい。
しかし、アビーはいつもと変わらない、おっとりとした雰囲気のままだった。目を閉じ
首を横に振ると、俯くままのハルを眺め微笑する。
「怒ってなんかいないわ。それよりも、何故ハルが軍隊へ入る事になってしまったのか。
ここへ来た頃はそればかり考えてたの」
母の口調が穏やかな事に、ハルは表情をうかがうようにゆっくりと顔を上げる。
「毎日絶望していたわ。もしも貴方が戦場へ出て、あの人のように帰って来なかったら、
って。でも、ここで過ごすうちに、何故なのか段々とわかるようになってきたの」
ハルは黙ったまま、話す母の声に耳を傾ける。
「ねえ、ハル? 貴方は私の身体を気遣って入隊を決めたのではなくて?」
「それは…………」
再度俯いたハルに噴き出すアビー。自分の想像と違う反応に、ハルは安堵すると共に疑
問符を浮かべた。
「貴方を責めたいわけではないのよ。私はやっと、貴方の言葉を信じることができたのだ
から」
「僕の、言葉?」
「そう。貴方はいつも、嫌な顔一つせず仕事も、私の看病もしてくれた。ずっと不安だっ
たの。私を気遣ってくれていると言って、心の中では、私から開放されたいんじゃないか、
って」
母の告白に、ハルは必死の形相で抗議した。
「違う! 僕にとって母さんはたった一人の家族なんだ! 僕は」
ハルの口を止めたのは、シーツから出たアビーの右手だった。優しく息子の唇を押さえ
ると、再度首を横に振る。
「いいの。貴方の気持ちは本当に良くわかった。息子に尽くされて、それを信じられない
なんて、母親失格だわ。こんな私を愛してくれて本当に嬉しい」
俯くアビーの笑顔に悲しみが添加される。口を止めた母の言葉を、ハルは静かに待った。
「でもね。もっと…………自分を大事にしなさい。貴方が私を気に掛けてくれるように、
私もハルが幸せになってくれる事を望んでる。もしも、どうしても辛くなってしまったら
逃げ出してもいいのよ」
ハルは自分のシャツを強く握りしめ、力いっぱい首を振った。
「そんなの駄目だよ。もしも僕が逃げたりしたら」
「私はどうなるかわからないわね。でもいいの。貴方が、ハルがつらい思いをするよりは
ずっといい」
「そんな、こと。できるわけないよ」
アビーは涙を浮かべ身を震わせる息子の髪をあやすように撫でた。
「もしも、という話よ。強制しているわけじゃない。けれど、何か辛い事があって、私の
所に来たのではないの?」
確信を突かれ、目を見開きアビーを見るハル。止まっていた呼吸を再開すると、ぽつり
ぽつりと吐露を始める。
「実は――――」
ハルは戦闘機乗りの見習いとして、エディと共に訓練を続けていた事、数日前の試験で
敵機と遭遇してしまい、人を殺めた事を告白する。ハルが吐き出すように語る中、アビー
は黙って相槌を打った。
「僕は、とても酷い事をした」
「そうね」
母の正直な感想に、思わずうなだれる。自分のしでかした事を改めて認識させられ、乾
き始めていた頬を再度涙で濡らす。
「貴方は本当に酷いわ。一緒に戦った子…………エディさんと言ったかしら。貴方はその
子の気持ちを考えた事があるの?」
「…………えっ?」
母が何に対して憤っているのかわからず、困惑しつつ母を見上げる。
「エディさんは、人殺しを楽しむような子なの?」
「そんなことは絶対にない。とても優しい人だよ」
「それなら、彼女がどんな気持ちで殺めたのか。貴方なら想像できる筈」
ハルは言葉を失う。あまりに身近で、自分の師であり、心身共に強く美しいエディの気
持ちは考えた事もなかった。
「とても辛く苦しい思いをしている筈よ。男の子に生まれた貴方が励ましてあげなさい。
きっとハルなら、それができるわ」
「で、でも」
今日、ここへ来た理由。最も恐ろしい疑問を、静かに口へ導く。
「母さんは、僕が人殺しになっても嫌わないでいてくれる?」
ハルからの問いに、アビーは眉一つ動かさず我が子を見つめた。
「それがハルの選んだ道ならば、私は咎めません。それは、自分の大事な場所や人、心を
護る為の戦いなのだから。それを否定してしまったなら、あの人が守ろうとした行為も否
定する事になる」
アビーの言葉に、ハルは胸のしこりが解け落ちてゆく感覚を覚えた。両手を握りしめ、
決心した瞳は強い光を帯びていた。
「母さん、ありがとう。宿舎に戻るよ。エディに謝らなくちゃ」
上品に手を重ね、アビーは何度も頷く。
「また来るよ」
「ええ」
踵を返したハルは、確たる足取りで病室を後にした。




