チャプター 19:「伏魔殿」
「次から次へと。よくもこれだけの代案を思いつくものだ」
皇帝の職場である執務室で、皇帝アーニー・クロフォードはアルストロメリアからの書
簡に嘲笑していた。机上には今までに送られてきた親書が並べられている。
「ふう…………どうしたものか」
ため息と共に最新の書簡を机に放り投げ、応接用のソファへと掛け思案する。アーニー
は実のところ侵略にそれほど乗り気ではなかった。戦争ともなれば、訓練とは比較になら
ない程の莫大な費用がかかり、万が一長期化した場合は占領の旨みがほぼなくなってしま
う。その上、無事占領が完遂できた場合にも、前政権支持者、過激派による領主への攻撃
もありうる。
しかし、ロベリアが水害によって食糧難に陥っている事も、それによって経済活動が停
滞し、財政が悪化している事も事実。アルストロメリアに厳しい条件を突きつけなければ
ならない事も為政者の責任であり、戦争回避の為、それに応えて欲しい願いもあった。
何より、主戦派の筆頭であるマーカスを抑える事が何よりの難問だった。軍国主義の中
でも慎重な施策を好むクロフォード家とは違い、マーカスが当主を務めるブレイン家は急
進派として有名で、領土拡大こそが国家を豊かにする唯一の方策であると信じて疑わない。
故に、軍備の拡張も完了に近い時期である今、マーカスが開戦の口実を血眼になって探し
ているであろう事は容易に想像できた。
静かな室内に、ノックの音が転がり込んだ。
「入りたまえ」
音を立てて開いた扉から入室して来たのは、軍服に身を包んだマーカスだった。親睦パ
ーティから、毎日のように侵攻を進言されていたアーニーとしては、辟易とした感情が湧
き出てくる。
しかし、平時には余裕のある表情が多いマーカスには珍しく、険しい表情でアーニーへ
頭を垂れた。
「御報告致します。本日正午頃、アルストロメリア国境付近へ偵察に向かわせた戦闘機が
撃墜されました」
突拍子のない部下の報告に、アーニーの思考が停止する。しかし、ふと我に返るとマー
カスへ向け厳しい視線をぶつける。
「…………どういうつもりだ! この貴重な時期に戦力を失うなど…………アルストロメ
リアと交戦した事実さえ用意できればよいと言った筈だ! 何故やられるようなパイロッ
トを向かわせた!」
激しい叱責に、マーカスはただただ、頭を下げ恐縮してみせる。アーニーは計画に狂い
が生じる事を最も危惧していた。周到な計画を用意している理由も、そうでなければ落と
せないからである。ロベリアの軍部が考えている以上に、アーニーはアルストロメリア空
軍を評価していた。
部屋が静まると、マーカスは険しい表情のままゆっくりと頭を上げ、姿勢を正す。
「陛下、大変申し上げにくいのですが。万が一の事を考え、偵察に向かわせたのは序列一
位のパイロットです。隊を率いる長であり、現空軍で最も経験を積んだ人間でした」
「…………何?」
アーニー報告の内容から、マーカスが何故厳しい表情であるのか、凡その理由が見えて
きた。自分の首筋から噴き出した玉の汗が背中を伝い落ちる。
「パイロットは戦死。機関師は極めて危険な状態ですが生存しています。その男からの報
告では、敵機の船体にアルストロメリアの国章が描かれていたとの事です。私の記憶、交
戦資料から、アルストロメリアの空軍で国章を纏う戦闘機は旗機のみ」
「――ウィザード。ハンク・アルストロメリア」
二つ名と共に、思い当たる男の名を口にする。マーカスはアーニーの発言に黙って頷い
た。
「私の想定では、勝てないまでも逃げ切る事は可能であると考えていました。今までの戦
闘から、ハンクは敵国の領空まで追って来ない事はわかっておりましたので。しかしなが
ら、ロベリア領空に逃げ込む前に撃墜されたようです。接近から被撃まで二分と持たなか
ったとか……」
背中だけでなく、額から流れ落ちた汗が硬直したままの目に流れ込む。
軍事国家の元首であるアーニーですら恐れる男、ハンク・アルストロメリア。しばしば
引き起こされる国境付近の諍いに介入し、陸軍が貧弱であった頃のアルストロメリア防衛
作戦を成功させてきた英雄である。ハンクは一度として被弾した事がないとまでいわれる
無敵のパイロットだった。
胸元から取り出したハンカチで額の汗を拭い、沈静の為深呼吸を行う。息を吐く頃、十
分に落ちついたアーニーは、僅かに険の取れた表情でマーカスを見た。
「相手がハンクならば、責める理由はない。天災に見舞われたようなものだ。しかしそれ
ならば、より確実にハンクを封じる手立てが必要となる」
「はい。侵攻の作戦は既に用意しておりますが…………確実な実行には、アルストロメリ
アへの燃料供給を絶つ必要があります」
厳しい表情から一転、アーニーは勝ち誇ったような笑みで背中に手を回す。
「それは心配ない。あれから再度ランタナの外交官と協議した結果、アルストロメリアに
輸出する予定だった石炭を全てこちらに回してもらえる事になった」
「――それでは!」
「ああ。先方は炭鉱の落盤事故を理由にアルストロメリアへの輸出を断るとまで言って来
た。ククッ…………傑作だろう! アルストロメリアとの契約を反故にしたくないと言い
ながら、こちらが鉄を出せると言った途端これだ」
マーカスは今までの表情が嘘のように、狂気の笑み、飢えた瞳でアーニーを見つめる。
「流石は皇帝陛下! 私はこの時を待っておりました。これで心置きなく戦ができます!
我がロベリア帝国軍は直ぐにでも戦場へ赴き、敵を撃滅し、広大な領土と多くの隷民を陛
下に献上して見せましょう!」
興奮状態のマーカスを宥めるように手を挙げ、同じような邪悪な笑みを浮かべる。再三
の申し出を断られ続けた事もあり、この時、アーニーの心中で侵攻の意思が固まった。
「落ち着きたまえ。急いては武功も逃げていくというものだ。アルストロメリアの石炭を
十分に消費させ、かつ、補給の手段を取らせる前。これこそが最善の機。ランタナへの鉄
鋼輸出に色をつける代わりに、アルストロメリアへの報告を月末まで引き伸ばす約束を取
り付けた。開戦するならば、この機をおいて他にない」
マーカスは落ち着きを取り戻しながらも、未だ攻撃的な笑みを残し、手を胸に当てる。
「失礼致しました。陛下の仰る機、でしたらば。我々もそのように調整いたしましょう」
「頼む。して…………侵略の概要はどのようなものだ。疲弊した国など手に入れる価値は
薄いぞ?」
マーカスの狂気が薄れ、その表情は忠臣のものへと変わる。
「ご安心ください。計画では、一両日中に首都を陥落させる手筈でございます。先ずは、
北方より戦闘機18機…………いえ、17機を出撃させ、敵主力部隊をひきつけます。時
期からして、燃料は枯渇寸前であり、敵は定数の半分も運用することができない筈です。
かのハンクと言えど、数の暴力は易々と突破できますまい」
アーニーが無言で頷きながら続きを促す。
「その後に、護衛機と共に重爆撃機ストロングホールドを離陸させ、南方、アイリス国境
付近を飛行し、主要軍事施設へ爆撃を敢行。首都防衛機能を破壊します。同時に戦闘機の
動力機関も破壊され、アルストロメリア空軍は機能を停止。敵残兵は後発の歩兵部隊に鎮
圧させます。あとは如何様にも」
マーカスの作戦を聴き終えたアーニーは、高笑いの後派手に手を叩いて見せた。
「妥当な案だ。お前に作戦の指揮は任せた。司令官として存分に腕を振るうがいい」
「有難うございます」




