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チャプター 11:「熟達」

「う…………ううん」

 身体が朝の空気を覚えているかのように、薄暗い部屋で目を開ける。ぼやける両目を擦

り、毛布を退けると、ベッドから抜け出した。同室で寝息を立てるエディを起こさぬよう、

静かに部屋の外へ出てゆく。

 長い廊下を歩きながら、ハルは今日までの出来事を振り返っていた。エディの部屋に住

み始めてから一ヶ月。機関師として必要な知識を学び、それをより理解する為に空を飛ぶ。

毎日のように繰り返された訓練により、ハルは機関師という立場に徐々に慣れつつあった。

 屋外へ出ると、小川から水を汲むかのような手軽さで空間を繋げ、流れ出た水を両手で

救い顔を洗う。それを三度繰り返すと、手を払い円盤を消した。

 大きく深呼吸をすると、朝の冷えた空気が肺を満たし、頭が透き通ってゆく。畑仕事を

していた頃からの習慣であり、それはハルが一日を始める為のルーチンでもあった。

 十分に目が覚めると、次に宿舎の書庫へ向かう。訓練を終え、自由な時間になると機関

師やパイロット達で込み合う書庫も、早朝は無人だった。朝の冷えた空気、耳の痛くなる

ような静けさが、ハルの心を落ち着かせた。

 室内へ入ると、間借りしている私用の棚に歩み寄り、赤い背の本を手に取る。数歩先の

椅子へ腰掛け、内容へと目を落とし、黙読するハル。内容は機関師の基本的な対応が列挙

されている単純なものであったが、彼はそれに毎朝目を通していた。

 半刻程で読み終わり、元の棚にそれを戻すと、次にパイロットに向けた戦闘指南書を手

に取る。実技に多くの時間を割く訓練校とは違い、魔法の訓練を行う必要のないハルは、

生み出した多くの時間を座学や実践に注ぐ事ができていた。元々賢い事も手伝って、僅か

一月で必要な知識を覚え、今は相棒であるエディの事を知ろうと自発的に学習に取り組ん

でいる。

 暫く黙読していると、出入り口の扉が開き、エディが顔を出す。起きたばかりなのか、

瞳には未だ眠気が残っていた。大きなあくびをしながら、薄く見開いた双眸でハルを見つ

める。

「やっぱりここに居たのか。毎朝早いが、ちゃんと寝てるのかお前? 身体の管理も大事

だぞ」

 自分の身を案じるエディに、笑い返すハル。

「大丈夫。あの頃よりずっと眠れるくらい。母さんの身体も良くなってるって、お医者さ

んも言ってたんだ」

「そうか、良かったな」

 本を閉じると、ハルは無言で二度頷いた。

「もうご飯にする?」

「……そうだな。食っちまうか」

 同意を得たハルは、本を片付け、エディと共に部屋へと戻る。異性と同じ部屋という事

に緊張したのも束の間、お互いの事は十分に信頼しあえる関係を築く事ができていた。

 食事も当番制になっており、今日はハルが朝食を用意する番だった。キッチンに立つな

り、慣れた手つきでパンを切り、赤や白、薄緑の野菜、塩漬けの肉を挟む。その隣では、

エディが珈琲を淹れていた。この一ヶ月の間変わらない風景。

 出来上がったサンドイッチを皿に盛り付けると、先にテーブルに戻っていたエディの前

に置く。

「おっ、今日はサンドイッチか。頂きます」

「うん。どうぞ」

 静かな朝食が始まる。エディが夢中でサンドを食べる姿に、上手く出来ているようだと

安堵する。ハルも珈琲をすすり、身体を温めた。

 お互いに無言で朝食を摂っていると、先にサンドを平らげたエディが、自分の指を舐め

ならがハルを見た。

「今日は…………どうしようか」

「うん」

 講師役である筈のエディは困惑した表情を浮かべていた。頭をかきながら、自分の淹れ

た珈琲へ口をつける。

「本当に困った。ハルお前……覚えが良すぎるんだよ。あたしの心配は何だったんだ」

 ぼやくエディに、ハルは苦笑した。

「エディがとってもわかりやすく教えてくれたから」

「そうは言ってもだな。まさか一月で済むとは夢にも思ってなかったよ。今までの奴だっ

て話が通じない事もあったってのに……まあ、そのお陰で実飛行の訓練が沢山できたから

な。本当に良かった」

 サンドを噛みながら、ハルはエディの話に相槌を打った。

「それで、今日はどうする? 基礎的な知識は十分身についているようだし、これ以上は

実際に飛んで覚える事ばかりだ。隊の飛行訓練が無いなら、今日も一日飛ぶか?」

 座学以外の時間は、戦闘機動の訓練かアルストロメリアの地形把握に費やされていた。

有効な連絡手段が少ない現代において、現在位置の報告と敵機の位置や数は最も重要な情

報で、遭遇した場合、報告は機関師の仕事になる。機関師にとって、地形把握と測位盤の

扱いは必須技能であり、ハルがそれに慣れるよう、二人は毎日のように練習を繰り返して

いた。

 ハルは声を出して相槌を打った。

「そう……だね。もしもハンクさん達の訓練が無いのなら、離陸と着陸を重点的に訓練し

ておきたい。隊が滑走路を使うなら、その前に離陸して、今日は南方を覚えたいな」

「わかった。それなら早速行こう」

「うん」

 お互いに食べ終わった食器を水の張られた樽の中に入れ、身支度を始める。部屋の隅に

掛けられたカーテンを閉め、着替え始めたのはハル。エディはハルが子供のせいか、目の

前でも平気で着替え始める為、ハルは宿舎で余ったカーテンを借り、簡易更衣室を設けた。

 灰色のつなぎを身につけ、腰のボタンで腹囲を調整していると、突然カーテンを開き中

を覗き込むエディ。

「ど、どうして突然開けるの?!」

 動揺するハルに、相手の銀髪美人は嫌らしい笑みを浮かべた。

「こんな隅でコソコソ着替えやがって。男は堂々としてろよ」

 ハルは頬を赤らめ、ふくれ面でエディを見る。

「女の人の裸は見ちゃいけないって母さんが言ってたんだ。エディは、もっと慎みを持っ

て!」

「うっ…………わ、わかってるよそれくらい」

 着替え終わり、手袋とゴーグルを持って外へ出ると、自分と同じ着衣で仁王立ちしたエ

ディの姿があった。

「よし、行くぞ」

「うん」

 揃って部屋を出ると、そのまま宿舎を後にし、敷地内の機関室へと向う。休む事無く黒

煙と蒸気を吐き出すその建物も、ハルにとって見慣れたものへと変わっていた。

 機関室内に常駐しているキースの姿は見当たらず、代わりに、ボイラーの整備を行って

いる作業員と話すハンクの姿があった。エディが歩み寄ると、それに気がついたのか振り

向き手を上げるハンク。

「よう。二人とも早いな」

「こいつにつられてな」

 二人に並んだ途端、ハルの髪はエディに弄ばれた。しかし、子ども扱いされる事にも慣

れていた為、特に抵抗もしない。

「キースの旦那から聞いてるぞ? 二人とも随分熱心に訓練しているそうじゃないか。い

よいよ、入隊も現実的になってきたか?」

「フフッ……そうだな。次の試験には合格してやるよ」

 微笑しながら腕を組んでいたハンクだが、途端に険しい表情でエディを見た。

「単独での訓練でも、機体に対する熟練度は上がる。だが、ドッグファイトとなると話は

別だ。こいつは経験と、それから来る勘や感性がモノを言う」

 したり顔で頷くエディは、ハンクと同じように腕を組む。

「ならば、アルストロメリアの英雄が、戦闘の経験を積ませてくれるのかな?」

 エディの切り替えしに、ハンクは腹を抱えて笑った。

「あっはははははは! …………いいだろう。今日は待機の予定だったが、付き合おう。

メルを呼んでくる。待ってろ」

 機関室から出てゆくハンクを見ていたエディが、ハルへと視線を移した。その表情は、

今まで見たことがないほど強張っていた。

「ハル、気を引き締めろ。あたし達二人の初陣だ」


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