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桜の坂 ― 春から始まる、静かな恋  作者: 縁側×野良猫
第一章 春

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第1部 桜の坂 第三話

その日の帰り道は、

 いつもと同じはずだった。


 同じ道を通り、

 同じ景色を見て、


 ただ家に向かうだけ。



 それでも、

 どこか少しだけ違っていた。



 風が、

 少しだけ柔らかい。



 すれ違う人の声も、

 どこか遠くに聞こえる。



 意識しているわけではないのに、


 何かが、

 静かに残っていた。



 坂のことを思い出す。



 花びらの動き。


 靴紐。


 短い会話。



 どれも、

 はっきりした記憶ではない。



 けれど、

 消えていく感じでもなかった。



 少しだけ、

 空を見上げる。



 桜はまだ咲いている。



 満開に近い色。



 ふと、

 足を止める。



 理由はなかった。



 ただ、

 止まった。



 それだけだった。



 少しだけ間を置いて、

 また歩き出す。



 歩幅が、

 少しだけゆっくりになる。



 合わせているわけではない。



 それでも、

 自然とそうなっていた。



 住宅街に入ると、

 人の気配が減る。



 音も、

 少なくなる。



 足音だけが、

 静かに続く。



 その音を、

 聞いていた。



 やがて、

 家が見えてくる。



 いつもと同じ場所。



 変わらない景色。



 玄関の前で、

 一度だけ立ち止まる。



 それから、

 靴に視線を落とした。



 靴紐は、

 ほどけていなかった。



 少しだけ見つめてから、

 扉を開ける。



 中に入ると、

 いつもの空気があった。



 それに、

 自然と馴染んでいく。



 その夜、

 特別なことは何もなかった。



 いつも通りに過ごし、

 いつも通りに眠る。



 ただ、



 目を閉じたとき、



 桜の花びらが、

 ゆっくりと落ちる。



 その光景だけが、

 ほんの一瞬、残った。


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