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桜の坂 ― 春から始まる、静かな恋  作者: 縁側×野良猫
第一章 春

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第1部 桜の坂 第二話

 坂を上りきると、

 風が少しだけ弱くなった。


 さっきまで舞っていた花びらも、

 ここではゆっくりと落ちていくだけだった。



 そのまま、

 歩き続ける。


 振り返ることはしなかった。



 それでも――



 なぜか、

 後ろに人の気配が残っているような、

 そんな感じがした。



 さっきの人。



 名前も知らない。


 もう顔も、

 はっきりとは思い出せない。



 それなのに、

 完全に消えてしまう感じではなかった。



 歩きながら、

 足元を見る。



 さっき結び直した靴紐は、

 しっかりと整っていた。



 ほどけていない。



 当たり前のことなのに、

 少しだけ安心する。



 階段を上がる間の、

 あの短い時間。



 会話はほとんどなかった。


 ただ、

 同じ方向に歩いただけ。



 それだけなのに、

 空気が少しだけ違っていた気がする。



 言葉にするほどではない。


 けれど、

 なかったことにもできない。



 そんな感覚だった。



 坂の上の道は、

 ゆるやかに続いている。


 人通りも、

 さっきより少しだけ増えていた。



 日常の中に戻っていく感じ。



 その中に、

 自然に混ざっていく。



 誰かとすれ違い、

 誰かが前を歩いている。



 特別なことは何もない。



 いつも通りの、

 春の午後だった。



 それでも、


 ほんの少しだけ、


 さっきまでとは違っていた。



 歩く速度が、

 少しだけ落ちていた。



 急ぐ理由はなかった。



 それでも、

 そうしていた。



 しばらく歩いてから、

 ふと足を止める。



 道の端に、

 桜の花びらが集まっていた。



 風に流されて、

 同じ場所に重なっている。



 少しだけしゃがみ、

 一枚を指で拾う。



 薄い色。


 軽い重さ。



 指の上に乗せても、

 ほとんど感触がない。



 少しだけ見つめてから、

 そっと手を離す。



 花びらは、

 すぐに地面に戻った。



 それでいい気がした。



 また、歩き出す。



 さっきのことは、

 もう考えていなかった。



 考えなくても、

 どこかに残っている。



 思い出というほど

 はっきりしたものではなく、



 ただ、

 少しだけ印象に残った出来事。



 それだけだった。



 そのまま、

 いつもの道を進んでいく。



 振り返ることは、

 最後までなかった。


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