099 召喚嬢たち
「——うぉっ。なんだっ!?」
「きゃあぁぁっ!」
「ふぎゃっ」
儂は抱えられたまま馬上から落下していた。同時に男の腕の力が緩んだ。すかさず体をよじって距離をとる。というか勝手に転がって離れた。
それほどの強風だった。目も開けられない。薄く開いた途端に、砂埃に視界を塞がれてしまった。ああ……なんだか前にもこんなことがあったような気がする……。
オオオオオオーーーーーーッ!!
「ゼナっ、こっちだっ!」
獣のような幼女の叫びが聞こえ、腕を振り回す。すぐに体が抱えられた。目を開けることはできないが、その温かい獣毛はゼナロリスのものに違いない。
「グリム殿っ!」
風に向かって駆けているのがわかる。風下から破壊音が聞こえた。複数の悲鳴も。人も、馬も、樹々も、暴風に半ばかき消されてはいるが、長く細い悲鳴が上方へと流されているように聞こえた。
不意に風の抵抗が消えた。
「大丈夫かグリム殿っ!」
「あ、ああ。大丈夫——んひっ!?」
舐められた? 目蓋を? ああ、そうか。埃を取ってくれているのだな。
ようやく目を開けることができた。すぐそばに、幼女と竜幼女の顔が。ああ——愛しい二人が。
「グリムちゃん……ごめんね……ごめんね……」
「大丈夫だアイソス。心配をかけてすまない」
「ううん。ごめんね。わたし、またなにもできなくって……」
「いいや。捕まった儂が悪いのだ。アイソス、ゼナ、助かったぞ」
「もう片付いたようだ」
ゼナロリスが儂の背後、上空に視線を送った。追うと、そこでは吹き上がる竜巻が荒れ狂っていた。人を、馬を、馬車だったものを巻き込み、焚き火にしていた樹木を纏わせ、炎の柱のようにわずかに輝いている。
「これは……?」
「ク、クククッ。クハハハハハハハーーーーッ!」
暴風に負けぬ豪快な笑い声が轟いた。
「ザンテックか。お前の術だったか」
「ククッ。馬鹿な奴だ。あれで人質のつもりだと。お前のことなど気にするとでも思ったか。なあ、グリムワルド」
コイツは……。この儂を、幼女をなんだと思っているのだ。
「まあ、この俺の術だ。お前を巻き込まずに発動させることなど造作もない。……ククッ。クハハッ。感謝するんだなぁ、グリムワルド。貸しだ。貸しだからなっ。この俺の精緻な術のコントロールにひれ伏して感謝するのだっ。クハッ、クハッ、クハハハハハハハーーーーーーーーーーッ!!」
不快な奴め。助けられたのは間違いないのだが、この物言いは我慢ならん。一歩間違えば、儂もヘラもあの竜巻に巻き込まれ吹き飛ばされていたかもしれんのだからな。
まあいい。その増長した笑いもここまでだ。すぐに終わるのは目に見えている。
「精緻な、だと」
ザンテックを睨みつけ、顔を逸らす。そうやって奴の視線を誘導する。その掌へと。
「ククッ、その通りだ。望みならお前だけを吹き飛ばすことも————んひ?」
ふん、気づいたようだ。掌が細かく上下に震えている。目も限界まで見開いているな。再び全身の肌を露わにした王女を覗き込んで。
「……ザンテック」
「はい」
凍えるような声に、沈んだ返事を返す。そうだろうな。凍えるのも仕方あるまい。マリー姫の纏っていた儂のコートは吹き飛ばされてしまっているのだから。
「精緻な、なんだと言ったか、ザンテック?」
「ぐ、グリムワルドっ!?」
ふん。儂に構っている余裕はないのでは? それとも逃避か?
「ザンテック様」
「あ……いや、これは。これはその、ついでに、というか——ではないっ。そうではないんだ、マリーっ。これは、そう、気流の調子がっ」
「見ないでもらえますか」
「は、はいっ!」
一回転するのではないかという勢いで首を背け、ザンテックは夜空を見上げた。マリー姫の小さなため息が聞こえた。
「あのコートはグリム様からの借り物だったのですが?」
「そ、そうですね……」
「私のことを辱めるために、他の者まで悲しませるのですか、あなたは」
「それは違うっ。グリムワルドなど——」
「見ないで」
「ひゃいぎゅっ!」
お、本当に一回転したな。首を回す方向を間違ったか。柔軟な奴だ。
というか、マリー姫の言う通りだ。儂のコートなのだぞ。気に入っていたのだぞ。なんてことをしてくれたのだ。
それに——アルビオーネの姿がよぎる。これは、きっと、ああ……お仕置き案件なのでは……。
「ところでザンテック様。ひとつ頼みがあるのですが、よろしいですか?」
「……うけたまわります」
「では、シアン様を呼んでもらえますか」
「シアン? あ、ああ。大丈夫、大丈夫だ。今日はまだだから」
「それではお願いします」
ザンテックは無言で頷いた。ねじれた首を戻して詠唱を始める。術は、もう一方の掌に新たな少女を召喚した。
闇に溶け込むような黒髪が召喚の竜巻の残滓に揺れている。淡いベージュ色の簡素な衣の縁が同様に靡く。
周囲を窺うように首を巡らす彼女と目が合った。深く暗い沼を思わせるような漆黒の瞳だ。
「ここは……? ああ、そっか」
少女は納得と諦めのようなため息を漏らした。
この術はやはり召喚なのだな。普通に生活している彼女たちを、空間を隔てて呼び出している。
夜着を身に纏ったこの少女も、その姿でくつろいでいたのだろう。マリー姫は、まあ、湯浴みの最中だったのだろうな。儂が要求したこととはいえ災難なことだ。
「それで、なぜそのような姿なのかなぁ、マリー姫」
シアンと呼ばれた少女の言葉に、マリーは無言で小さく首を振った。対照的にザンテックは風を巻き起こす勢いで頭を遠ざける。
「私のことは構わないでください、シアン姫。それよりも、貴方にお願いがあるのです」
「お願い?」
「ええ、貴方にとって有益かと思います」
二人は密やかに話を続けている。その内容は聞き取れない。ザンテックも関与することなく固まったままだ。
その間にヘラに目を向けると、彼女はアーノルドとかいう奴隷のそばで立ち上がれずにいた。混乱しているのかもしれん。膝をつきながらも、『聖幼女の杖』だけはしっかりと握りしめている。
「ヘラ、儂と共に来るのだ」
歩み寄る儂にゼナロリスが付き従った。儂を人質にし、傷を負わせたあの男にあからさまな殺意を向けている。
「ゼナ、抑えろ。気持ちは嬉しいが、それではヘラが怯えてしまう」
「けど、アイツは」
「今更抵抗はしないだろう。さあ、ヘラ」
幼女の腕をとって立ち上がらせると、ヘラは倒れるように儂に寄りかかってきた。無論、抱きしめる。きゅうっと抱きしめる。
「グリムちゃん……私、どうしよう……」
「心配するな、ヘラ。お前はまだ幼女なのだ。そのように思い悩むことはない」
「でも、おばあちゃんのことを助けたくって……」
「儂はお前を助けたいのだ」
回された腕から震えが伝わる。肩に乗せられた幼女の顔から小さな声が漏れる。密着した全身から悲しみを滲ませる。
それらを受け止めると、同調する悲しみと少しの喜びに包まれた。
「お前には安らぎが必要なのだ。『みんななかよく』は魔獣に使用するのではない。お前に必要なことなのだぞ」
「そう……かな……」
「そうだ。それはピートにとっても、だ。ピートに必要なのはお前ではないのか、ヘラ。お前といるだけで十分なのではないのか。お前と共に過ごすだけで、それがピートの、お前の幸せだろう?」
「……」
ヘラは声を出さずに小さく喉を鳴らした。抱きしめる全身から力が抜けたように感じた。ああ、肩が冷たく温かい。
「ピートと一緒にいてやれ。それだけでいい」
「…………うん」
小さく頷くと、堰を切ったようにヘラは泣き声をあげた。




