098 予定通り
え?
全裸?
「うっ……、ふおおおおおおっ!」
「いやぁぁぁぁーーーーーーーーっ!」
ザンテックの興奮した叫びと、マリー姫の悲鳴が絡まった。咄嗟に両腕で体を隠してしゃがみ込む少女に対し、竜は荒い鼻息を吹かせながら凝視している。王女の濡れた銀髪が宵闇になびいた。
「ざ、ざ、ざ、ザンテックーーーーっ!」
あ、平手打ちされた。
「ち、違うっ。違うんだこれはっ」
「一日一回と! 契約はっ。そうなっているはずですっ」
「いや、その、それはっ。グリムワルドが——」
「いつまで見ているのですかっ!」
「ひぃっ!」
長い首を目一杯伸ばして全裸の姫から顔を遠ざけ、一方で姫を乗せた手を儂の方に差し出して距離をとった。その首、そのまま千切れてしまえ。
「みっ、見てないっ。もう見てないからっ」
などと、うっすら目蓋を開きながらザンテックは弁解を繰り返している。全く愚かな奴め。話が進まんではないか。
「マリー姫よ。これを纏うがいい」
仕方ないので儂の兎コートを渡してやった。サイズは足りんだろうが、とりあえずはこれでいいだろう。
「ありがとうございます。あなたも竜に辱められているのですね」
ん? どういうことだ?
と思ったのだが、コートを受け取ったマリー姫の視線は、儂の下半身に注がれている。ああ、そうだった。ゼナロリスを助けるためにズボンを脱いだままだったな。
「そんなことはない。気にするな」
「そうですか——ああ、あなたはグリム様でしたね」
「一つ、訊きたいことがある。あの男を知っているか? お前の国の貴族のようだが」
「あの男?」
へたり込んだままの蜂蜜男に気づくと、マリー姫は小さく頭を傾けた。
「知っています。夜会の場で何度か見かけたことがあります。会場ではいつも食事を取るばかりで、話をした記憶はありませんが」
「どんな奴だ? ああ、つまりは王家に進言できるほどの奴か?」
「彼が? それはありませんね。かの者の家は公爵の地位にありますが、彼自身は長子ではありませんので、そのような爵位はありません。陛下に直接お会いすることもないでしょう」
ま、そんなところだろうな。ヘラの力を知り、楽に手柄を立てるつもりだったか。そう思い立った背景は知らんが、はっきりしたのは、ヘラの願いはやはり叶わないということだ。
そして、くそっ、この蜂蜜男は幼女をただ利用した。あのアーノルドとかいう従者も含め、願いを叶える意思もないままに、ヘラを傷つけてまで戦いを強要したのだ。
そっと振り返ると、ヘラが震えていた。
「どうして……」
「ヘラよ。聞いた通りだ。お前の国の王女の言葉だ。あの男にピートを救う力はない。だがな、この儂が——」
「グリムちゃんっ!」
怒りが込められていた。儂を見つめる瞳にうっすら涙が浮かんでいる。
見ていられない。
ヘラの体を抱きしめてやった。ギュッと抱きしめてやった。彼女の震えが治まるように。いいだろう、代わりに儂が震えてやる。
「私は頑張ってきたの! おばあちゃんのために、いっぱい頑張ってきたのよ! それなのにダメなの? ねえ、どうして! アラミルン様!」
「無駄ではない、ヘラよ。お前がこうしてここまで来たから、儂らは出逢うことができたのだ。儂ならお前もピートも助けてやれる」
「そんなの、グリムちゃんには——」
「少なくとも、あの男と共にいる必要はない。奴はお前を騙していたのだからな」
のみならず、利用していた。功績を挙げることも、結局は蜂蜜男自身のためだろう。そして危険と見るや捨てようとした。ヘラが公邸から出てきたとき、コイツらは逃げようとしていたではないか。
「アラミルン様! 私は——」
「な、なんの茶番だ? マリー姫だと」
蜂蜜男が埃を払いながら立ち上がった。腰が引け、すぐにでも馬車に逃げ込めるように片足を引いている。
「ヘラよ。そ、その女の言葉が正しいとでも思っているのか? 俺は、お前の望みを叶えてやることができるんだ。お前が、相応の……いや、十分で……それは叶う。国に戻ったら叶えてやるぞ」
「でも! でも……」
「その竜の魔術か何かだ。本物のマリー姫のわけがない。馬鹿なことを信じるなっ」
「——見た目通り失礼な方ですね」
蜂蜜男に向けて、マリー姫が蔑みの視線を送っていた。
「一体、これはどういうことなのですか? 契約を蔑ろにしてまで私に何をさせたいのですか、ザンテック」
「い、いや……。グリムワルドに……」
そうだな。説明せねばなるまい。王女を直視することもできないザンテックなど黙っていればいい。
「マリー姫よ。ピート・ベアトリクスを知っているか? かつてお前の国にいた『聖女』の名だ」
「ピート、ですか。……ええ、聞いたことはあります。私が生まれるよりも前の話ですね。我が国に仕え、そして災厄をもたらし追放されたと聞きます」
「おばあちゃんはそんなことしていないの! おばあちゃんは悪くないのよっ!」
ヘラが儂を振り払って叫んだ。裸体に兎のコートを巻きつけただけの王女に詰め寄る。
「ここにいるヘラはな、そのピートの孫にあたる幼女だ。端的に言おう。ヘラはピートの名誉の回復を求めている。お前ならそれが可能か?」
「名誉——。いえ、それは難しいでしょうね。私はかの事件のこともピート・ベアトリクスという人物も直接は知りません。ですが、下された決定を覆すことなどできないでしょう。それほどの過去の話であれば尚更」
「そんなっ! ねえ、おばあちゃんは悪くないの! みんなを助けたのよ! それなのに、それなのに——」
「ヘラ」
声を詰まらせる彼女の肩にそっと手が添えられた。いつの間にか近寄っていたヘラの従者、アーノルドとかいう奴だ。
「残念だ。こうしていても、お前の望み通りにはならない、か」
「アーノルド……」
「けどよ、少なくとも、ここから無事に帰らないとなぁ」
「——あ?」
男の腕が儂の肩に伸びた。引き寄せられ、その腕が首を圧迫してくる。
「ぐ……、きさ、なに、を……」
「当初の予定通りさ。お前がいれば竜たちは手を出せないんだろ? 安心しな。安全な場所まで逃げることができたら解放してやるからさ」
冷たい鉄の感触が頬を撫でた。次いで痛み。頬を伝う感覚。
「貴様ぁぁっ! 儂のっ、幼女の肌に傷をつけてくれたなぁぁっ!」
「グリム殿っ!」
「グリムちゃんっ!」
「止まれっ!」
刃先を突きつけられる感覚。動けない。駆け寄ろうとしたゼナロリスとアイソスも動きを止められてしまう。男がじりじりと後退してゆく。
「アーノルド……? どうして……」
「生きて帰らなきゃ、その先なんてないだろ?」
「でも……」
「ま、後で癒してやりな」
二人は小さく言葉を交わす。だが許せん。いくらヘラの癒しの術があろうとだ。幼女の、アイソスの体を傷つけて、ただで済むと思うな。
「よ、よくやった、アーノルドよ。さあ、早く」
「……アラミルン様。真偽はともかく、ここは無事に帰還することが先決です」
「そ、その通りだ。魔物共を抑えろ」
背後で馬車の扉が閉まる音がした。奴など逃しても構わん。重要なのはヘラだ。彼女をコイツらから引き離すのだ。
この男に寄り添うヘラは儂の方を見ていない。『聖幼女の杖』を握る拳が震えているのがわかる。俯く表情は、迷いをたたえている。
「ヘラよ。お前が帰るべきはピートのところだ。他のどこでもない。それがピートの望みではないのか?」
「聞く必要はねえぞ、ヘラ。お前は最初に決心したように動くんだ」
ヘラは答えない。儂のこともこの男のことも見ていない。動かぬヘラの腕を男が引いた。行くぞ、と小さく声をかけ、ヘラの返答も聞かずに歩き出す。
「だめっ! グリムちゃんを連れて行かないで! お願い!」
「アイソスっ、落ち着け。儂は大丈夫だ」
「グリムちゃん! いやだ! グリムちゃんを返して!」
竜の悲痛な叫びが大気を震わせる。儂の胸の奥を震わせる。アイソスには叫ぶことしかできない。ゼナロリスも幼女らしからぬ殺意のこもった視線を向けているだけだ。
なんとも情けない。そして腹立たしい。この儂が、心配されるなど。
だが、どうする?
兵士たちが恐る恐る動き始めていた。馬にまたがったまま馬車を中心に集まる。あの蜂蜜男の号令があれば、一斉に走り出すだろう。
「本当にお前に価値があったんだなぁ。助かったぜ」
「黙れ。ヘラを利用する貴様も許せん。よもや、貴様がヘラの想いを縛っているのではなかろうな」
「さあね」
肩をすくめると、儂を拘束したまま片腕でヘラを馬上に導いた。続いて自らも。
「では、行かせてもらうぜ。コイツが大事だったら、そこで黙って見送るんだな」
手綱が振るわれ、馬の脇腹が小さく蹴られた。
馬は動かなかった。
代わりに、突風が駆け抜けて儂らを馬上から引き摺り下ろした。




