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096 我を忘れて

 あ、あ、ああ、ああああああ————。


「アイソスっ!」

「グリムちゃん!」


 巨大な黒竜が公邸の庭に降り立った。優雅さなど邪魔だと言わんばかりの荒々しい着地に、足元を掬われる。それでもっ、よろめいてしまってもっ、とにかく足を動かした。駆け出していた。


「アイソスっ。アイソスぅぅっ!」


 大きな手が迎えてくれた。見たこともない笑顔が受け入れてくれた。


「ふあっ、ふあぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ」


 なんだ? なんだこの安心感? 言葉にならない。ただただ涙が溢れる。あふれでて、とまらない——。


「グリムちゃん、よかった。よかったね」

「ああ、あぁぁっ。あぅぅっ」

「うん、うん」


 あたたかい。なでられてる。なぜこんなにうれしくて、うれしいのに、なぜないてしまうのだ?


「ごめんね。怖かったよね。もう大丈夫だからね」

「ゔん……ゔん……」

「グリムちゃん、いい子だよ。がんばったね」

「うぅ……」


 しがみついた竜の頭が頼もしくて、涙を舐めとってくれる舌が温かくて。余計に声を張り上げてしまう。


「……こわく、ひぐっ……なかった……」


 勝手に泣き声を上げる喉を押さえつけ、伝えた。怖いなんてあるはずない。この儂が、こんなことで。なのに、なぜ? 今、震え、涙を流しているのだ?


「そっか。グリムちゃんはすごいよ。わたしがダメだったのに」


 それは違う。かぶりを振った。


「グリムちゃんが連れて行かれちゃったのに、わたし、何もできなかったの。こわくて、こわくって、何もできなかったの。だから、ごめんね」


 言うな。言わないでくれ。お前は何も悪くないのだ。思い切り首を横に振った。涙で貼りついた髪が解けるほどに振った。


「……ありがと、グリムちゃん。うれしい」


 儂も嬉しい。ずっとこうして、触れ合っていたい。それが儂の幸せなのだ。安心できることが幸せなのだ。


 長いことアイソスの顔に抱きついていた。少しずつ、心の乱れが落ち着いてきた。すると、思い出された。


 ああ、そうだ。


 もっとひとつになりたい。そうなのだ。先程、寸前までいったではないか。『みんなだいきらい』の混乱の中、寸止めされたではないか。


 そうだっ!


 もう、我慢できない!


 求める心が止まらない。儂を包み込んでくれているアイソスの手。目の前にあるのだ。


 今だ。今やるしかないっ。


「——コネクト」


 戸惑うアイソスが認識する前に、幼女の掌の奥に竜の爪を導く。爪先に存在する魔力回路の一端、それを幼女の魔力回路と接続する。この身体の魔力を伸展させ、竜の体へと送る。

 同時に、この体由来の魔力は伝えてくれる。竜の肉体の動きを。アイソスの心の機微を。


「う、う、ウオオオォォォォーーーーーーーーーーッ!!」


 天に向かって咆哮を轟かせた。それは、不安と悲しみを吹き飛ばし、歓喜と快楽を響かせる、最強の竜の叫び。


 ああ、気持ちの良いものだ。街全体を震わせ、周囲の平原を波立たせ、それでも足りん。もっと響け! 儂の、儂とアイソスの喜びを世に伝えるのだっ!


「ふぅっ」

「ぐ、グリムちゃん……? わたし——」


 不思議そうにアイソスが覗き込んでくる。ああ、そうだった。わずかに我を忘れてしまっていたようだ。『勇者』ヒューロと戦ったときに体験済みだと思ったのだが、そういえばアイソスにはなぜかその時の記憶がないのだったな。


「感じるか、アイソス。儂のこの想いを。儂はお前を感じているぞ。心から喜んでいるお前の気持ちが伝わってくるのだ」


「わたし……わかるよ。なんだかね、嬉しいのが入ってくるの。気持ちいいのがグリムちゃんから感じるの」


「それは良かった。儂らは今、ひとつに繋がっているのだ。ゆえに、こんなこともできる」


 魔力回路を経由して翼を動かす。街の上空に飛び上がると、竜の瞳には、公邸の裏手から逃げつつある兵士たちの姿が映った。茫然と見上げるヘラやゼナロリスのことも鮮明に見える。さらには、儂の咆哮に反応したのだろう街の住人が街路に飛び出し、あるいは窓からこちらを仰ぎ見ている様も。

 いいだろう。見るがよい。この儂とアイソスの姿を。


「我らを照らせ、幸せの光よ」


 光が街を包んだ。闇の帳はひとときの間消え、一体となった竜と幼女を浮き彫りにする。そうだ。喜びを表すは光。そうだったはずだ。


「ゆくぞ、アイソス。力を抜くのだ」


 魔術の光が消え、過去の感傷を振り切る。代わりに想うは現在の幼女だ。幼女だっ。


 伝わる戸惑いに少しだけ心が緩む。

 儂は竜の体を操り身を翻す。きりもみ状に回転しながら地面を目指し、寸前で反転、上昇する。

 元の位置に戻ると、今度は縦に体を回転させる。空中で連続して前転している形だ。尻尾を抱くように丸め、その速度を増加させる。

 弾かれたように垂直に天に昇り、波打ち、体をくねらせながら水平飛行。体を反転させ、お腹を上にしての背面飛行。


 いわゆる曲芸飛行だ。アイソスもいくらかはできていたが、ここまで自在ではない。

 それには翼をはじめとした体全体の使い方だけでなく、魔力による制御も必要なのだ。ただの遊びではない。魔力のコントロールの訓練にもなる飛び方だ。


「す、すごいね、グリムちゃん!」


 何が起こっているかわからずに茫然としていたアイソスも、背面飛行の頃には落ち着いていた。いや、はしゃいでいた。


「そうだろうそうだろう。幼女たちにも人気だったのだぞ」

「これ、グリムちゃんがやっているんだよね? わたしもできるかなぁ」

「もちろんだ。この感覚を覚えるのだぞ」

「うんっ」


 よし。よき。喜びの幼女の波動。それをダイレクトに伝えてくれるコネクトは、やはり至高。これまでのコネクトでは、そんな余裕はなかったしな。

 それに、これで三度目だ。より深く、強固に繋がっている感覚がある。儂とアイソスの魔素が、繋がった魔力回路の中でより均一に混ざり合っていた。


 そんな飛行をしばらく続けたのち、一旦空中で止まった。


 ちょっと……いやかなり気持ち悪い。かつて幼女を乗せて飛んだ時には、魔術である程度の平衡を保たせていたのだったな……。

 ああ、うむ。はしゃぎすぎた。意識を竜の体に集中している間はよかったのだ。それを緩めたら、うぷっ……。


「ど、どうしたの、グリムちゃん?」

「う……大丈夫、だ……」


 あ。迫る竜の顔を見て、閃いた。


 今ではないか? いささか自作自演だが、今再び竜の体に干渉し、その瞳で幼女を体を眺める。

 かわいい。弱っていて、ああだめこれ、放っておけない。この舌で癒してやらないと。


 ふふっ。ふははっ。そうだ。今だ。なんと久しぶりのことか。竜の体で幼女と戯れるなど。

 ふうっ、ふうぅっ。ああ、震えが止まらん。いい。いいっ。ふふ……


「ふ、ふははははははは————」

「何をやっているんだお前はーーーーっ!」


「——ふぎゃ!?」

「きゃっ!?」


 あ、あたま? はたかれたっ!?


「だっ、誰だっ————って、ザンテックか」


「お前はっ。勝手に街に入って何かと思えば、幼女と遊んでいるだとっ」

「あ、あのね。だって光が見えたから。グリムちゃんがいると思ったの」

「警告されただろうがっ。あの術を街で使われたらどうなるっ」

「ごめんなさい……。でもね、グリムちゃんがね……」

「黙れっ」


 アイソスが身を竦めるように顔を背けた。振り上げられたザンテックの腕を、儂の操作で受け止める。


「二度は許さんぞ、ザンテック」

「あ? なんだと、グリムワルド」

「アイソスの好意を否定するばかりか、幼女に手をあげるなど、この儂が許さん」

「何が幼女だっ! お前がそんな姿でいるからだろうがっ!」

「ふん。儂のことはいい。それよりもだ。そう、ええと——」


 ああ、そうだった。ヘラを放っておいてしまったな。アイソスと会えたことに、コネクトできたことに心奪われていた。


「お前は向こうの兵士どもの足止めをしろ。彼女は儂が相手をする」

「お前が? 今のお前に何ができる」

「どんなことでも、だ。儂の幼女だからな。あの術も使わせない。ゆえに、お前は兵士を抑えろ。逃すな。それと殺すな。奴らには聞きたいことがあるからな」

「この俺に命令する気か?」


 随分と荒ぶっているな。まあ、凄んだところでなんとも思わん。むしろ滑稽に思える。


「ならばお前に幼女が扱えるとでも? ——ああ、そうか。またパティちゃんに泣きつくのだな」


「——っ!? お、お前はっ!」


 ふっ。愚かな。もはやコイツは頭が上がらんだろう。全身をわななかせている姿、心地いいわ。


「どうした? 行け。逃すなよ」

「くっ、くそおぉぉぉっ!」


 それでいい。では儂はヘラを。


 金髪幼女をいただくとしようか。

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