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095 叶わぬ願い

 は……、ふは……。


 力が入らない。体が寒々としている。溶かされてしまいそうなくらいに足を舐められているのに、あまり感じない。なんだか、頬を冷たいものが伝っている気がする。


 仰向けのままでいると、儂が飛び降りたであろう窓が見えた。あんな遠くから、翼もない幼女が飛んだのだな。なまじ飛行の感覚を知っているだけに恐ろしい。ぐすっ。怖かったのだ。幼女なのだぞ、ゼナロリスよ……。


「グリムちゃん!」


 ああ、ヘラ。心配してくれているのだな。身を乗り出して儂の方に『聖幼女の杖』を向けて——え?


 注意を促すよりも早く、杖が輝いた。


「ふ……ぁっ」

「ぐ、また——」


 温かい。幼女の温かさが、恐怖にこわばった体に染み渡る。ゼナロリスも四肢を折り、儂の足の上に頭をあずけてしまう。だが、今度はすぐに起き上がった。


「無駄だっ。オレはもう惑わされん! グリム殿の足の良さに勝るものなどないっ!」

「おお……。素晴らしいぞ、ゼナ」

「当然だっ。オレは気づいたんだっ。あの光は確かに気持ちいい。力が入らなくなるくらいに良いものだ。だがっ! グリム殿の足はっ! オレに力を与えてくれる気持ちよさなんだっ! だからオレは負けないっ! グリム殿の足があれば、オレは負けないんだっ!」


 誇らしげに胸を張り、ゼナロリスは三階の窓のヘラを見上げた。まあ、手放しに喜んでいい理由なのかはともかく。

 それに、ヘラの術の効果は先程よりも弱まっている。この術は術者である幼女の精神状態に影響するものだ。『聖幼女の杖』にはめられた『幼珠』が、使用者の精神を拡散させるのだからな。


「グリム殿。奴らはこの街の侵略者だよな。奴らはオレが片付ける。だからオレと共にいてくれ」

「え、いや、その必要はないぞ。ヘラさえ手に入ればいい。儂は早くアイソスに会いたいのだ」

「グリム殿を一刻も早く連れて帰る——オレもそう思ってここまで来た。けど、今は違う」

「ん? 何が違う」


 ゼナロリスが鼻先を突きつけてきた。真剣な目つきで覗き込んでくる。


「たった今、この街はグリムワルド様のものになったからだ」


 何を言っているのだ? 儂はこんな街に興味はない。成り行き上で来てしまっただけだ。さっさと魔王城へ向かいたいのだからな。


「————マーキングは成された。だから侵略者は排除する」


「は? マーキング!?」


 マーキングって——え!? いや。いやいやいやいや。そんなものは無い! あるわけ無い。無いのだっ!


「ぜ、ゼナっ! それはっ、それは——」

「大丈夫だ。オレが守る。オレはグリムワルド様の幼女だからっ」

「そうではなくっ! 儂はそそそんなことをした覚えはっ」

「無意識のうちにここが欲しくなったんだな。オレは嬉しいぞっ。さあ、オレの働きを存分に見てくれっ」


 いや、だから……。ああ、コイツに匂いの誤魔化しは効かないか……。


「グリム殿、乗ってくれ。共に行けば恐れるものなどないっ」


 四肢を折ってゼナロリスが伏せた。足に力が入らないのだが、これならばなんとか跨ることができるか。


「大丈夫なのか、ゼナ?」

「もちろんだ。背中がちょっと冷たいだけだ」


 いや、そういうことではないのだが……。なんだか振り落とされる未来しか見えん。いつぞやの山を下ったときのように。


「無理をするなよ。ヘラさえ確保できればいいのだ。そうすれば残りの奴らなど問題ではない」

「あの金髪幼女か。けど、あいつの術は危険だと思うぞ。オレはグリム殿の足があれば大丈夫だけど、他の奴らはあの誘惑に耐えられないだろう?」

「儂が説得する。あの術は本来、このような使い方をするものではないのだ。ゆえにゼナよ、ヘラには手を出すなよ。彼女は儂の幼女なのだからな」

「……わかった」


 どこか不満げな返答だな。そんなに暴れたいのか。それとも術にかかってしまった鬱憤でも晴らしたいと思っているのか? そんなことはさせん。


「では、行け、ゼナよ」


 立ち上がったゼナロリスの首にしがみつき、ふと思い出す。獣幼女姿のときにしていた黒いチョーカーが無い。変化したときに外れてしまったのだろうか。


「おい、ゼナ——」

「出てきたぞ、グリム殿」


 ゼナロリスが見つめる先、屋敷の玄関からヘラが現れた。薄暗い夕闇の中でも判別できる鮮やかな金髪を揺らし、聖幼女の杖を握りしめて歩いてくる。


「行かないで! グリムちゃん、行っちゃダメっ!」


「捕まえるか、グリム殿?」


 ゼナロリスが振り返った。いつでもできる、という自信を感じる。しかし、無理矢理というのもなるべくなら避けたい。ヘラは理解していないのだから。

 押さえつけるように狼の横顔に手を当て、向き直らせる。


「ヘラよ。お前の望みはわかった。ピートと共に暮らしたいのだろう。彼女の名誉を回復したいのだろう。儂と共に来るのだ。そうすれば、願いは叶う」


「何言っているのっ! ねえ、ここにいて! もう少しなの。もう少ししたら他の兵士が来て、私たちは帰るの。無事に国に帰ったら、アラミルン様がおばあちゃんのことも良くしてくれるのよっ。だからっ」


「それは無いな」


「お願い! グリムちゃん! 私と一緒にいて! その魔獣と一緒でもいいからっ! じゃないと、私、おばあちゃんを喜ばせてあげられないの!」


 辛い、な。必死な幼女の姿が胸に響く。だが、受け入れることはできない。ヘラの言葉は実現しないことだとわかるからだ。


 あの蜂蜜男がそんな権力を持った貴族なのだとしてもだ。

 ピートのことはもう何十年も前の話だ。今も健在だというピートの力を見せれば、彼女は再び受け入れてもらえるかもしれん。それでも、そこまでの話になるだろう。


 全てがヘラの望み通りになる、というのも確かに有り得る。ピートは再び聖女として敬われ、そんな彼女とヘラは幸せに暮らす。それは叶うのかもしれん。


 ひとときの間は。


 間違いなく長続きしない。ピートの力は健在。ヘラも同じ力を使える。ならば、それを放っておくか? そんなはずがない。現にこうしてヘラの力で魔族領の街を攻め奪っているのだ。


『みんななかよく』も『みんなだいきらい』も戦場で使用すれば絶大な効果を発揮する。魔族との戦いは続くのだ。要請は断れないだろう。仮にピート本人が名誉の回復を望んでいないとしても、受けた恩義には応える奴だ。

 結果、ヘラの望みは叶わない。


「グリムちゃん!!」


 悲痛な叫びだ。これ以上聞きたくもない。儂はヘラと共にいたい。だが、それ以上に願うのは、この聖幼女ピートに連なる者を、金髪幼女を、かわいい笑顔を、悲しませたくないということだ。


「グリム殿、奴らが逃げるぞ。いくつもの臭いが離れていく」


 ゼナロリスが鋭く囁く。夕闇が視界を狭めている。儂には見えなかった。ヘラの表情さえ少しずつ朧げになりつつあるのだ。


「向こうを追うか?」

「——そうだな。ヘラは儂が説得しよう。ゼナは奴らを頼む」

「わかった。それなら」


 ゼナロリスが体を沈めた。儂を気遣うように振り返り——茜色の空を見上げた。


 そこから愛しき声が降り注いだ。


「グリムちゃ〜〜んっ!」






お読みいただきありがとうございます。

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【次 回 予 告】

幼女と幼女と幼女、それに幼女。もはや無敵。

歓喜にとろけるグリムちゃん。


それはともかく。

金髪幼女ヘラちゃんの願いを叶えるために、グリムちゃんが迫る。


『これが幼女だ!』



次回、


幼女と王女


全五話です。

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