094 一番大切なモノ
儂を震わせ、気持ちよくさせてくれる輝き。それが背中から前方へと駆け抜けた。そのまま光はゼナロリスを包む。
次いで儂を追い越したのはヘラだ。崩れ落ちたゼナロリスを押しのけ、男の傷を術で癒す。
「助かったぜ、ヘラ。さすがだな」
「大丈夫、アーノルド?」
幼女の波動に喜びを感じながらも、それに我が身を委ねることができない。『みんななかよく』を受けたゼナロリスが、男の足元で脱力しているのだ。
男が腰の剣を抜いた。
「やっ、やめろぉぉっ!」
「俺らは、こうして魔獣を狩ってきたんだぜ」
くっ。だめだっ。させるかっ。
この体を投げ出し、ゼナロリスに覆いかぶせる。
「グリムちゃん、どいて」
「ヘラ、やめろっ! コイツは、ゼナは儂の大切な幼女なのだっ!」
「何を言っているんだ、お前は」
「グリムちゃん、それはダメっ。魔獣なんて許さない」
ヘラが鋭い目つきで儂を見下ろしている。先の戸惑いとは違い、明確な怒りが表れている。傍らの男も、隙あらばその剣先を振り下ろそうと構えていた。
「私ね、魔獣は嫌いなの。おばちゃんが言ってた。おばあちゃんが追い出されたのは、魔獣のせいなんだって」
く……、それが理由か。だが、そんなことは関係ない。
今、はっきりわかった。ヘラの術がピートに及ばない理由は、この怒りだ。
『みんななかよく』は、言葉通り『みんな』仲良くなのだ。ピートは魔獣に対してこの術を使っていたが、それは争いを治めるためだ。決して一方的に殺害するためではない。村を襲う魔獣の群れに対しても、この術で双方を無力化しただけ。その上で、ピートは魔獣をあやすように手懐けていたのだ。
「忠告したんだがな。まさか救出に来るとはね。ま、ヘラの術の前では無力だ」
「もちろんです。アーノルド、早くとどめを」
「だ、そうだ」
男が肩をすくめる。いつでも手を下せるとでもいうように。
「どかないと、お前ごとでもいいんだぜ」
「ちょっと、それはダメっ!」
「ああ、冗談さ。お前たち、コイツを連れて行きな」
儂の体に手が伸びてくる。いつの間にか廊下には兵士たちが集まってきていた。ダメだっ。このままではゼナロリスがっ。なんとか助けなければっ。
「ヘラっ、やめるんだっ! お前はピートのようになりたいんだろう! ピートはこんなことはしない! 無闇に命を奪うようなことはしないのだっ!」
ゼナロリスを強く抱きしめながら叫ぶ。
「グリムちゃん。私がおばあちゃんみたいになりたいのはね、おばあちゃんを助けたいからなの。おばあちゃんを助けることができたら、それで私は嬉しいの」
首筋を掴まれた。近づく兵士を睨みつけ、幼女の喉を唸らせる。出てくるのは幼女のかわいい声だけだ。一切怯むことない兵士によって儂の体が起こされる。
ぐっ、まずいっ。このままゼナロリスから離されたら。なんとか目覚めさせねば。正気を取り戻せば、こんな奴ら如きゼナロリスの敵ではないのだ。
何か、何か手段はないのかっ。
「ゼナっ! 起きろ、ゼナぁぁぁぁっ!」
儂の叫びに、ゼナロリスは気怠そうに頭を振るだけ。半ば眠っているかのような状態のままだ。
「ほら、離れな」
「やめろぉぉぉぉぉぉっ!」
くそっ、くそっ。この幼女の体がっ。どれだけ暴れても抵抗できない。こんな目の前で、儂の幼女を失うなど、許せるものかっ。
「ゼナーーーーーーっっ!!」
絶叫していた。手足を振り回し、あらんかぎりの抵抗をした。それなのに、儂の、儂の幼女の体に刃が——。
ぽすっ。
——ソレが、男の剣を止めた。止めるだけの勢いがあったわけではない。虚をつかれて、思わず動きを止めただけだ。ソレは剣に当たってゼナロリスの頭に落ちた。
儂のブーツ。足を振り回したせいで脱げたブーツだ。
あ。
今だ。迷いなどない。伸ばした足がかろうじてゼナロリスの鼻先に届いた。
「起きろ、ゼナーーーーっ! お前の一番はなんだっ! 幼女か! それとも、幼女の足かぁぁぁぁっ!」
ぴくり、と狼の鼻が動いた。その間に、襟首を掴まれながらもズボンを脱ぎ捨てる。
「褒美だっ! ゼナっ! 今ならいくらでも許すっ!」
舌が覗いた。獣の頭がゆっくりと動く。ぱすっ、と尾が床を叩く音が聞こえた。とろけたような瞳が焦点を結ぶ。
「……お、おお……」
ウオオオオオオオオオーーーーッ!
歓喜の叫びが轟いた。
「くっ」
男が慌てて剣を引き、再びゼナロリスに向かって振り下ろす。
だが、遅い。ゼナロリスはすでに——
「——ふひゃぁぁぅぅっ!?」
あしっ!?
覚悟していたが、足ぃぃっ!?
咥えられたままゼナロリスが攻撃を躱してっ、しゃぶられながらっ、ひいっ、兵士から引き離されてっ。
「ほれのらっ、ほのはひは、ほれのらぁぁっ!」
咥えながら話すなっ。一旦離せっ。
「ゼナっ、脱出だっ。早くっ!」
「ひぃや! じゅるっ、ほひふらは、ほれのふひふははほふはっはほはっ!」
「何言ってるかわからんっ! いいから脱出しろっ。お前も落ち着いて舐めたいだろうがっ」
「——っ!!」
ゼナロリスの動きがピタリと止まった。瞳に力が宿る。ふぅ、と牙の隙間から熱い吐息が通り抜けて、咥えられていた儂の足を鳥肌立たせた。
「ゼナ————ぃひいぃぃぃぃ〜〜〜〜っ!」
は!? 急に駆け出すなっ。しかも咥えたままっ。
あたっ、頭がっ、床を擦ってぇっ。痛いっ。何かぶつかって、痛いっ。貴様、儂を引きずるなどっ、無礼——
ひいっ!?
跳んだっ? 跳んでいるのか? チラリと窓枠が見えたぞっ。ここ、三階くらいではなかったか!?
「ひゃ……ぁぁ……」
ああ——浮いてる。儂の体が浮いている。浮いているのに落ちていて、これは、羽ばたきを止め、自由落下を楽しむときの感覚——。
ではないっ。これ、儂の方が先に落ちるのではっ。地面に激突するのではっ。大丈夫か? これ大丈夫なのかゼナロリスっ。
ぼふっ。
あ——。不意に体が回転したかと思うと、温かな獣毛の感触があった。それに小さな衝撃。着地したときには、ゼナロリスの背中の上にいた。
「は……うぅ……」
それも束の間。脱力してしまい、その背からずり落ちてしまった。
仰向けに寝そべった儂が感じたのは、背中から伝わる地面の冷たさと、足から伝わる獣の舌の温かさだった。




