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093 救出

 予想通りだ。これは予想通りの展開。


 当然だろう。儂は今、後ろ手に縛られているのだ。そんな状態でパンケーキを食べるなどできようものか。


 ならば。


「はい、グリムちゃん。あ〜ん」

「あ〜ん。……ふむっ」


 うむ。幸せ。しあわせだっ。


 幼女がパンケーキを小さくちぎって、口に運んでくれる。いや、それはパンケーキではない。幸せの元素。この儂の心を満たしてくれる源なのだ。


「はい、ジュースだよ」

「ん」


 木製のコップが傾けられた。流石にこれはそのまま飲むしかないか。

 だが知らないのか、ヘラ。親から教わっていないのか。ぴーちゃんのようなグリフォンはな、母親から子供へと、口移しという方法で給餌するのだぞ。


「はい、あ〜ん」

「あ〜ん」


 でも、よき。


「はい、あ〜ん」

「あ〜ん。……んちゅっ」

「きゃっ!? だめよグリムちゃん。それは指だからね」


 知ってる。大丈夫だ。先っぽだけでいいのだ。幼女の指なのだからな。こんなものを目の前に、抑えられようものか。

 それに、ああは言ったが、実際お腹はいっぱいなのだ。だから、その指をしゃぶっているだけで満足なのだ。


「ん! ん〜っ」

「グリムちゃん? 赤ちゃんみたいだよ」


 失礼な。


 幼女だ。











 風が冷たい。開け放されたままの窓から吹き込んでくる。儂の山よりもかなり北方に位置するこの街は、普段の気温も随分と低いようだ。陽もかなり傾いてきているしな。

 それでも、半身は温かい。隣には儂に体を預けて眠り込んでいるヘラがいる。祖母ピートから受け継いだ杖を抱きながら、静かな寝息を立てていた。


 その眠りを妨げたくない。動けない。目の前に金髪幼女がいるのに。縛られた儂にできるのは、同じように頬を寄せることくらい。ふやふやな頬とぷっくりとした唇、閉ざされたまぶたにかかる柔らかな金髪。やはりどれもピートにそっくりだ。

 極めつけは、その体に秘めた『幼女』だ。幼女たちは皆温かい。体温だけでなく、その内から発せられる『幼女』が。これまで百も千も幼女と触れ合ってきた儂だが、ピートほどの心地よい波動を感じさせる幼女は稀だった。ヘラはそれに近い。


 今の儂の感覚は、竜の体だった頃とは違うのかもしれん。だが忘れん。この心に浸透する光の感じ方は、姿が変われども変わらん。

 幼女の期間は短い。だからこそ尊く、だからこそ今のこの瞬間を出来る限り長く感じていたいのだ。


 ならば。


 ちょっとくらい舐めてもいいよな。


 慎重に、慎重に。ヘラが起きてしまわないように。ふふっ。良い。いけるではないか。


 ならば次は。こう、はむっと。


「……ぅん……っ」


 おっと、まずいな。抑えねば。ふうっ、しかし難しい。本当は撫であげて、抱きしめて、覆いかぶさりたいのだ。なのだが、せめてものの想いでする行為、抑え切れようか。


 ああ、体が熱くなる。外からの風が心地よく感じる。やはり幼女。儂の幼女にしたい。ヘラが目を覚ましたら、宣言しようではないか。






 そんな至福の最中だった。扉の向こうから、低く抑えられた声が聞こえた。


「——グリムワルド様」


 ん? この声は。


「ゼナか。助けに来てくれたのだな」

「匂いを辿りました。街中を巡って、やっと見つけました。遅くなってしまい申し訳ありません、グリムワルド様」


 妙にかしこまっているな。責任を感じているのか。ゼナロリスだけではないが、ヘラの『みんなだいきらい』に囚われてアイソスを襲ったからな。


「皆無事か? アイソスはどうしている」

「アイソスは、傷を負って……オレが、オレが未熟だから……」

「無事なのか! おい、ゼナ。はっきり答えろ!」

「——大丈夫です。深い傷ではなく、今はあの場所で休んでいます」


 そうか。ひとまずは良かった。ヘラが話した通り『みんなだいきらい』の効果はすぐに切れたのだろう。あの狂騒が、相手を死に至らしめるまで続くものでなくて幸いだ。


「では、ゼナよ。早くアイソスのところまで儂を連れて行くのだ。その扉は鍵がかかっているようだが、お前なら問題ないだろう」

「……」


 答えが帰ってこないな。何を黙っているのだ?


 待ち切れずに立ち上がり、ヘラを起こさないようにそっとソファを離れて扉の前に歩み寄ってみる。


「どうした、ゼナ。早くしろ。ここの人間に見つかっては面倒だろう?」

「オレは……グリムワルド様の言いつけを守れず……。オレは未熟なままで、グリムワルド様を危険な目に合わせて……」

「気にするな。アイソスを襲ったことであれば、不問だ。あれは幼女の術なのだ。むしろ、かかって然るべきものなのだ。喜んで受けるべきものなのだ」


 顔向けできない、とでも思っているということか。ゼナロリスの忠誠が伺われるな。それでも、今はここを脱出することが先決だ。


「いいか、ゼナ。お前が未熟なことなど今更だ。だからこそお前は努力してきたのだろう。自分に恥じるというなら、今まで通り、この先の働きを見せてみろ」


「ウ……ウゥ……」


 返答代わりに獣の唸り声が届いた。その響きが強まる。いや待て、コイツはまさか。


 バゴォォッ!!


「ふわっ!?」


 扉が弾け飛んだ。その衝撃音に尻餅をついてしまう。床に転がった儂の上に、真紅の毛皮があった。


「あっ、ありがとうございます、グリムワルド様っ! オレは、オレハァァーーーーッ!」


 儂にまたがったまま、狼は遠吠えの如く咆声を響かせた。


「ぜ、ゼナ……?」

「はあっ、はあっ、はあっ。けど、今回は、オレはっ。グリムワルド様の幼女だったのにっ。幼女ではなくなってしまったんだっ!」

「は? まさか幼女の姿になれなくなったのかっ!?」

「違うっ。けど、戻ってしまった。オレの意思ではなく、幼女から無理矢理戻ってしまったんだ。オレは、グリムワルド様の幼女になると誓っていたのにっ。う、ううっ、ウオォォォォォォォォーーーーーーーーッ!!」


 なんだ。ならば良し。幼女の姿になれなくなったわけではないのだな。


「お前の幼女はまだまだ弱い。精進しなければな、ゼナ」

「おおっ。オレは頑張るっ。グリムワルド様のために、絶対の幼女になるんだっ!」

「その意気だ、ゼナ。とりあえず、この縄を切ってくれ」


 うつ伏せになってやると、儂の手首を縛る縄はあっさりと食いちぎられた。これでやっと自由だ。


「では行こう、ゼナ。それと、彼女も一緒に行くぞ」

「彼女?」


 ヘラはすでに目を覚ましていた。まあ、あれだけ派手に音を立て、吠えていたからな。ソファから離れ、聖幼女の杖を握りしめたまま儂らを見つめている。ゼナを前にしても恐怖を見せず、儂が舐めまくり、はむっとした頬を引き締めて緊張している。


「ヘラ、儂と一緒に行くよな? お前はアイソス——いや、あの竜に会いたがっていただろう」

「グリムちゃん。どうして?」

「どうして、とは何だ。何を不安な顔をしている。お前は会いたいのではないのか。ピートと共に過ごした竜と。そうしてピートのようになりたいのではないのか?」


 ヘラの『みんななかよく』はピートに比べると弱い。というか薄い感じだ。魔術の才能の違いだろうか。素晴らしいものであることには変わりないのだが。

 ヘラ自身が語ったように、ピートの術はずっと濃く、深く、広い。魔獣や魔族といった魔素に敏感な生物だけでなく、一般的な人間の心にも作用し、穏やかにするものだ。ヘラの『みんななかよく』でも十分な効果はあるが、残念ながら、当時のピートにはまだまだ及ばない。


 だからこそ、ヘラは祖母に力を授けたという竜——グリムワルドに会いたい。儂はそう推察していたのだが。


「私は……だって、もう少しなの。もう少しで、おばあちゃんと一緒に暮らせるのよ」

「心配するな。儂が全て面倒みよう。ピートさえよければ、ピートも一緒にな」

「そんなこと、グリムちゃんにはできないでしょ」


 ヘラが口を尖らせている。怒ったような表情もかわいい。是非とも欲しい。


「グリムちゃんは選ばれたの? おばあちゃんみたいに、あの竜に選ばれたの? だからそんなことを言うの?」

「お前も選ばれる。いや、すでに選ばれている」


 小さな口が少しだけ開いた。戸惑っているのか、すぐに唇は真一文字に引かれた。幼女らしからぬ意思のこもった表情だ。


「ありがとう、グリムちゃん。でもね、私はね、おばあちゃんみたいになりたいけど、でも、違うの」

「何が違う」

「なにって、えっと、だからね」


 どういうことだ? 言葉で表現できないのか。あるいは、言いたくないのか。さっきからコロコロと表情が変わる。ヘラ自身も混乱しているのかもしれん。


「——ヘラっ!」


 答えを待つ儂の背後から男の声がした。廊下にヘラの従者の姿が見えた。儂がその男を認識したときには、すでにゼナロリスが駆け出していた。


 オオオオオオオオーーーーーーッ!


「ぐっ!」


 男がゼナの爪撃に吹き飛ばされ、壁に背中を打ちつけられる。胸に深い傷が見えた。儂が声をかけるまでもなく、膝をついた男の首めがけてゼナロリスの牙が迫る。


 閃光が迸った。

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