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092 幼女の願い

 くそっ。なぜこんなことに。


 先ほどまでの至福の甘味はどこへ行った。なんだこの埃臭い部屋は。物置か? 乱雑に積まれた机や椅子があるだけではないか。


「どういうことだ、ヘラ! いくら幼女とはいえ、こんなことをしては、お仕置きものだぞ。お仕置きとはな、とっても痛いものなのだっ」

「ごめんね、グリムちゃん。でも、こうしないとグリムちゃんは勝手に歩き回りそうだから、ってアーノルドが」

「当たり前だっ。お前も一緒に行くと言っていたでは——くっ」


 眩しい。ヘラが木製の窓を開けたため、外の明かりが差し込んできた。それを背負っているヘラの姿も眩しいが。


「ごめんね。本当にごめんね。応援の人が来るまでだから。私も一緒にいるから」


 その謝罪、本心なのだろう。震える声がそれを物語っている。ヘラは儂の体を懸命に運び、ソファに座らせてくれた。

 だが、わからん。いや、儂を人質にしようというのは理解できる。しかし、そもそも幼女を卒業しようかという年頃のヘラが、こんな危険な戦いの前線にいることがわからんのだ。許せんのだ。


「なぜだ。お前は、ピートの孫なのだろう? あいつから『みんななかよく』を教わったのではないのか? ピートはこんなことをしなかった。あいつは常に、争いを収めるために術を使っていたのだ。あるいは守るために。ゆえにあいつは『聖女』と呼ばれるようになったのだぞ」


「グリムちゃん、本当にピートおばあちゃんのこと知っているのね。でも、ダメなの。アラミルン様の言うことは聞かないとダメなの」


「あの醜い蜂蜜男が命じているのか?」


「私は、頑張らないといけないの。頑張って、頑張って、ピートおばあちゃんのために、頑張るの。ねえ、グリムちゃん!」


 ヘラが乱暴に肩を掴んできた。その必死な形相から、目が離せない。


「グリムちゃんはピートおばあちゃんと会っているんでしょう? 『竜の園』にいたんでしょう? でも、私はちょっとしかいなかったのよ!」


『竜の園』か。そうだな。その名は、もう聞くことはないと思っていた。かつて儂が始め、ピートと共に運営し、——そして解散した幼女たちのための場所。ヘラの親の世代の話だ。どこか食い違っている。


「だからね、おばあちゃんとも、あんまり一緒にいたことないの。おばあちゃんからは『みんななかよく』を教えてもらって、おばあちゃんの昔話を聞いて、だから私はアーノルドときたの」


 話が見えんな。幼女ゆえ仕方ないことだが、何か要領を得ない。ただ、そうか。昔話か。


「ピートは何を語ったのだ? それで、どうしてお前はここに来ることになった?」


 両腕が縛られていなければ、抱き寄せてあやしてやりたい。そうして一晩中でも話を聞いてやりたい。そうして抱きしめたまま眠りたい。そうして目覚めてケーキでも食べながら笑い合いたい。そうしてそうして——。

 とりあえず今できることは、儂を掴むヘラの腕に頬をすり寄せるくらいだ。


「グリムちゃんって、なにか変ね」

「そうか? 可愛らしい幼女だろう?」

「ん。へん。へんなの」


 少し笑ってくれた。


「なあ、ヘラ。お前と、お前の知っているピートのことを教えてくれないか」

「——うん」


 ヘラが儂の隣に腰をかけた。






 彼女の昔話には知っている内容もあった。しかし重要なのは儂がピートと別れた後の話だ。それを聞くことができた。


 判明したのはヘラの目的。彼女は『ベアトリクス』の名を取り戻そうとしていた。


 ピートは元々、儂が幼女を漁っているときに出会った、ごく普通の素晴らしき幼女だった。そんな彼女だが、のちにその功績から『聖女』と呼ばれ、『ベアトリクス』という家名を受けた。そして儂と共に『竜の園』を運営することとなった。


 ここまでは儂の知るところだ。以降のことは知らなかった。ピートとは別れたからな。当時の想いを反芻するのは辛い。だが、知る必要がある。


 国王から授けられた家名だが、とある事件により剥奪されることとなったようだ。ピートは国を追われ、失意のままに王都を離れて隣国へと向かった。

 小さな村に居を構えたピートは、しばらくして学校のようなものを始めたらしい。それが『竜の園』というものだ。王都にいた頃もその名を使用し、儂と共に同じようなことをしていたのだが、ヘラが最初に話していたのは、この新たな村での『竜の園』のことだった。


 ヘラはピートの孫にあたるが、ピートに会ったのはごく最近のことだった。ピートの娘、つまりヘラの母親はピートについてゆくことを許されなかった。そのまま王都で嫁ぎ、ヘラが生まれた。

 失態により『聖女』の地位を剥奪されたピート。その存在はヘラの家では隠されていた。だが、ふとした話のきっかけでヘラは知ることになった。そうして、妨害されながらもアーノルドという協力者を得て自らの祖母に会いに行った。


 そこでピートから『彼女の失態』の話を聞き、怒りと使命感に囚われた。ヘラは「私がおばあちゃんを助ける」と誓ったのだ。具体的には、もう一度『ベアトリクス』の家名を得ること。

 それには、かつてのピートに負けない功績が必要だった。幸い、ヘラはピートの力を受け継いでいる。不可能ではないだろう。


 そうしてヘラは、幼女ながらに魔族との戦いに志願した。その検分をするのがアラミルンとかいうあの醜い蜂蜜男だ。ゆえに、ヘラは蜂蜜男に力を示さねばならないし、従わなければならない。






——なんとも不憫なことだ。この儂が解放してやりたい。


 幼女の願いは聞き届けてやりたいものだ。しかし、これは違う。儂にはわかる。これはピートが望んでいることではないはずだ。


「ピートは、何と言ってお前を送り出した?」


 ヘラは首を横に振った。

 そうだろうな。幼女を戦いへ向かわせるなど、許すはずがない。なにも告げなかったか、無理矢理振り切ったかはわからんが。あるいは、ピートはかつての自分を思い出したのかもしれん。


「おばあちゃんは、かわいそうなの」


 ヘラは呟くように口にした。


「隣の国の小さな村で暮らしていたの。あんまりね、きれいなお家じゃなかったし、お洋服もあんまり……」

「今のピートは、幸せではないということか。あいつは後悔していたか?」

「おばあちゃんはいつも笑っていたよ。でもね、昔のお話をしてくれるときはね、もっと嬉しそうだったの。楽しそうにお話ししてくれたの。だから、きっと今はイヤだと思うの」


 沈んだ声だ。儂の方を見ることもなく、ヘラは膝の上でギュッと拳を固めた。その手には杖が握られている。儂がピートに与え、ヘラが受け継いだ聖幼女の杖。


「おばあちゃんはね、すごいんだよ。私に見せてくれたの。おばあちゃんの『みんななかよく』は、とってもすごいの。ちっちゃな光だったんだけど、すごいの」


「小さな、光……?」


「うん。小さくても、今の私なんかよりもずっとずっとすごくって、私まで気持ちよくなるの。そんなおばあちゃんが悪く言われて、あんなところにいなきゃいけないなんて、イヤなの。だから私が頑張って、おばあちゃんにはまた幸せになってもらいたいの」


「そうか」


 現状は理解した。しかし、どうしたものか。


 ヘラは語り終え、疲れ切ったようにうなだれてしまっている。窓から見える景色は、ここが少なくとも一階ではないことを教えてくれている。飛び降りるわけにもいかん。


 このまま数日程度待つしかないのか。待ったとして、解放されるのか?

 ザンテックたちはどう動く? あの『みんなだいきらい』があると覚悟の上で、強引に攻め入って来るか? アルビオーネたちは儂を救出しに来るだろうか。ヘラに頼み込めば、ともに脱出してくれるだろうか——。


「儂がここにいれば、それは叶うのか?」


「無事に帰ったら、アラミルン様が王様に頼んでくれるの。ご褒美に私を貴族にしてくれるの。おばあちゃんが『ベアトリクス』っていう家名をもらったみたいに。それでね、おばあちゃんと一緒に暮らすの。だからグリムちゃん。お願い」


 俯いていたヘラが、ようやく儂を見てくれた。

 切実な表情だ。とはいえ、彼女の願いが叶うとは思えない。いかにヘラたちが魔族の街を攻略しようと、追い出した『聖女』を迎え入れるだろうか。人間の組織は、とりわけ上流階級という奴らは面倒な策を張り巡らすものだ。


 それでも。


 そうだな。幼女だ。鼻先が触れんばかりの距離にいる幼女の願いを、無碍にできるわけがない。


 苦しむアイソスの姿が浮かんだ。なんだか、もう何日も会っていないような気がする。会いたい。アイソスは怪我をしているはずだ。会いたい。会いたい——が、すまない、と心の中で謝罪していた。


「喉が渇いたな……」

「え?」

「ああ、腹も減った。先ほどのパンケーキはもうないのか?」

「え、ええ? 残っていると思うけれど、グリムちゃんさっき食べたばかりだよね?」


 ヘラは眉をひそめた。


「もっと食いたいのだ。いいだろう、ヘラ」


 戸惑いながら、ヘラは立ち上がる。目が細められた。


 力強くうなずいて、彼女は部屋を出て行った。

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