089 みんなだいきらい
「どうしてっ? 全然効いていないの?」
ザンテックの醜態に心満たされていると、上空からの可愛らしい悲鳴に意識を引き戻された。そうだ。そうだった。幼女がいたではないかっ。
金髪幼女は表情を曇らせている。背後で幼女を支える男を振り返り、何やら訴えているようだ。
「仕方ねえなあ!」
男が声を張り上げた。片腕で幼女を支えながら見下ろし、剣先を儂らに向けて突きつけてきた。
「お前ら、この街を奪い返しにきたんだろう? だが、無駄だ。大人しく帰った方が身のためだぜ! もっとも、この街ごと破壊するって言うなら、可能かもしれないけどなあ!」
「ハッ、人間如きが何をほざく。貴様らの怪しげな術など俺には効かん。すぐにこの手で切り裂いてやろう!」
お、立ち直ったかザンテック。よくも偉そうな物言いができるものだな。あの人間もお前の無様な姿を見ているというのに。
「ああ、確かにな。お前ら竜には効かないのか。けどよぁ、コレは効くだろう。竜に効かなくても、他の奴らにはなっ」
男が剣を引いた。その切っ先は鞘の中ではなく——
「き、貴様っ! 何をしておるかーーーーっ!」
コイツはっ。幼女を!
切りつけおったなぁぁぁぁっ!!
金髪幼女の腕から血が滴る。純白の法衣を朱に染め、手を伝い、握り締めた杖を濡らす。それでも幼女は小さく口を動かしただけ。ただ少しだけ顔を歪め、杖の先にはめられた宝玉を向けてくる。宝玉が幼女の血を吸い込んだ——ように見えた。
許せん! 許せるものかっ!
「アイソスっ、あいつを——」
「……っ、みんなだいきらいっ!!」
悲痛な声だった。あんなに眉間に皺を寄せ、涙を浮かべ、それでも毅然と立ち尽くし幼女は叫んだ。
周囲が赤く染まった。幼女の血のような赤い霧が杖先から発生し、儂らの視界を閉ざす。それはほんの僅かな間だけで、すぐに風に攫われるように消えた。
再び目にしたのは、変わらずに血を流す幼女と、それを笑顔で抱きしめている男の姿。
くっ……、幼女が傷ついているっ。許せん。あの男めがっ。この儂が、成敗してくれるわあぁっ!
オオ……オオオオーーーーッ!
グアァァァァーーーー!
儂の憤りに同調するように、魔獣の叫び声が響いた。休んでいたザンテックの部下どもが起き上がっている。安らぎなど吹き飛ばし、奴らが露わにしているのは怒りだ。魔獣本来の、本能的な衝動が発散していた。
「う、うう、ううあぁぁぁぁっ!」
「アリュ!?」
呻き声は儂の足元からも聞こえた。眠っているようだったアルビオーネが声を震わせ、伸び上がるようにして全身を変化させていた。アルビオーネのもう一つの姿、白く輝く大蛇の姿だ。
「グリム……ワルド、さま……。グリムワルドさまぁぁぁぁっ」
直立に近いくらい体を立てた大蛇は、アイソスの頭部に迫る。舌舐めずりしながら、覆いかぶさるように竜を見下ろしてきた。緩く開いた口先から涎が滴っている。
「え? アルビお姉ちゃん? やめてっ」
こっ、この糞蛇がぁぁっ。アイソスの身体を絡めとりおったなっ。
儂を乗せてくれているアイソスの手が揺れた。アルビオーネは縄のように腕と翼ごと竜の体に巻きついている。アイソスに向ける瞳は戯れではない怪しい光を放つ。それはっ鼠を締め上げる蛇の——。
コイツは。コイツはぁぁっ、本気で。
「アリュぅぅっ! 貴様ぁぁぁぁっ!」
睨みつける蛇の瞳が儂に向けられた。理性が感じられない。儂のことも餌だとしか思っていないかのような冷徹さだ。怒りに囚われながらも背筋が震えてしまう。
「グリムちゃん!? だめえぇぇっ!」
儂を遠ざけようとアイソスが体をよじる。儂を気遣ってか、その動きは緩慢だ。だが、そのせいで糞蛇を引き剥がせない。いかにアルビオーネが本気で締めかかろうと、本来なら竜の力で対処できないはずがないのに、だ。
「ううううううううーーーーっ」
「ひゃぁっ?」
蛇身が波打つ。絞り上げるような動きに、アイソスが小さな悲鳴をあげた。それ以上の悲鳴をあげたのは、アイソスがぶら下げていた巨大な竜のポシェットだ。中に収めた木箱の軋む音が聞こえてくる。
「お、ぐ、ぐるぅぅぅぅぅぅ……。オオオオオオーーーーッ!」
ポシェットから紅の狼が飛び出し、アイソスの腕を駆け上がった。蛇がそれに気づき、両者が睨み合う。戸惑いながらも語りかけるアイソスとの間で、視線が交錯した。
「どうしたのっ、ねえっ、やめて——いやあぁぁぁぁぁぁっ!」
「ゼナーーっ! 何をしているーーーーっ!」
貴様、噛んだなっ! アイソスにっ! 儂の幼女にっ! 本気で食いつきおったなぁぁっ! 儂のっ、儂の幼女にぃぃぃぃっ!!
「許さんぞ、貴様らぁぁぁぁっ! この儂が——うおぉっ!?」
もがき暴れる竜の掌の上では立っていることもままならん。苦しみに身をよじるアイソスは、もはや儂の存在も忘れてしまっているかのようだ。
許さん。だが、くそっ、しがみついていなければ落とされてしまう。
大蛇と狼が互いを威嚇している。一旦解放された竜の体からは血が滲んで見える。一滴の血に、儂の視界が赤く染められる。悲痛な竜の叫びに、心が揺さぶられる。竜の如く幼女の喉が鳴ってしまう。
くそっ。何故だ。何故こんなことが起こっているっ。
だめだ。抑えられん。これが許されるかっ! アイソスを傷つけるなど、そんな世界があってたまるかっ。
燃え上がる。全身が。幼女の肌よりも熱く。
「ぐ——、く、アイソスっ! 後ろだっ!」
苛つかせる喧騒は、周囲からも聞こえていた。ザンテックの配下の魔獣たちも互いに争っている。あるいはザンテックとも。そいつらの数匹がこちらに頭を振った。
グゥゥゥゥゥーーーーッ!
ゴアァァァァーーーーッ!
飛来する小型の魔獣を白蛇が一飲みにした。別の一匹に狼が飛び乗り、その背から首筋に牙を埋めた。だが、絡みつかれたままのアイソスに、残りの二匹の攻撃は対処できない。
「いやぁぁぁぁーーーーっ! やだっ、やだっ、やだぁぁぁぁぁぁっ!」
魔獣の牙が、強靭な後肢の鉤爪が、竜の体を穿っている。アイソスはただ振り払うように体をよじる。
アイソスに戦いなどできない。そんなことは『勇者』と対峙した時にわかっている。いかに強靭な竜の体をもってしても、そこに在るのは幼女なのだっ。
「いぃぃぃぃぃぃぃーーーーっ」
儂を支える腕に新たな魔獣が噛みついた。コイツは、アイソスを傷つけるだけにどとまらず、不遜にも腕に舌を這わせてきた。血走った魔獣の瞳が儂をとらえ、歪んだ。
許せん。
許せん。許せん。許せん、許せん、赦せん赦せんゆるせんゆるせんゆるせんゆるせんゆるせんゆるせんゆるせん————。
もういい。
もう限界だ。
——滅ぼす。
コネクトで全てを滅ぼしてやる。
暴れるアイソスの指にしがみつきながら、なんとかその指先に掌を当てる。
今のアイソスとコネクトしたところで、その身体を上手く操ることができるかわからん。だが、それしかない。儂だけが、アイソスを助けられる。
この怒りを以て、全てを制圧してやる。
鋭い竜の爪先を感じながら魔力を幼女の腕に巡らせた。そのまま掌に力を込め、竜の爪を受け入れる。幼女の魔力回路を竜と繋ぎ——。
「——こっちだっ!」
「ぬあぁっ!?」
風を切る音と共に声が聞こえたかと思うと、儂の体がアイソスの掌から離れた。その距離が急速に広がる。
風圧に煽られ、瞼を開いていることができない。冷たい大気を頬に受けながら、体が上へ上へと引かれる感覚に襲われる。
気づけば、羽毛を持つ魔獣の背で儂の体は抱え上げられていた。




