088 この心に安寧を
幼女。
その素晴らしさを構成する要素はいくつもあるが、中でも格別なのは幼女の発する波動だ。それを受けたとき、儂の心は揺さぶられるのだ。
そんなものは無い?
それは違う。幼女に限らず、命ある存在は目に見えずとも様々なものを放っているのだ。匂いや体温といったわかりやすいものから、感情のように受け手が推察するものまで。
そういったもののうちの一つが『幼女』だ。幼女は『幼女』を放っている。ゆえに幼女なのだ。であるのに、それを感じ取ることができぬ者ばかりだ。退化してしまっているのだろうか。嘆かわしい。
その受容は深化するのだ。『幼女』を感じる度に、より求めるようになるのだ。広く、深く、その感受領域はどこまでも拡大する。
ゆえに、浴びたい。『幼女』を。もっと。もっと。もっと——。
そんなことを思い浮かべながら、閃光を浴びていた。それは、心地良い光。温かな陽光と同質で、活力を与えてくれる。アイソスの掌の上で自然と腕を広げていた。
光はすぐに消えた。目が眩んでしまったが、視界を取り戻すと空中には先程と変わらずに魔獣が浮いていた。
「グ、オオオオオオオオーーーーーーッ!」
ザンテック? なぜ咆哮を上げている? 全身に力を込めて震わせている姿は苦しんでいるようにしか見えんが、そのような攻撃などなかったはず。
「そ、そうだ。アイソス。アイソスはなんともないか?」
「うん。ちょっとまぶしかっただけだよ」
瞬きしながら、何事もないというふうに答えた。しかし、アイソスの首元では、巻きついていたアルビオーネがゆっくりとその拘束を解きつつあった。
「アリュ?」
「……え? へぇぇ……」
何かおかしい。アイソスの首から肩、胸へとアルビオーネが滑り落ちてゆく。まるで力が抜けてしまったかのように。
「アルビお姉ちゃん? どうしたの?」
ついに地面に降りてしまったアルビオーネは、そのまま動かない。苦しんでいる様子はない。むしろ、ザンテックの配下たちと同様に穏やかな表情を浮かべており、くつろいでいるようにすら思える。
先程の閃光が原因か。だが、儂らに影響はない。アルビオーネやザンテックの配下の様子はおかしいが、悪い効果ではないように思える。これは、そうだな。幼女の素晴らしさを堪能しているときの儂のようだ。
ゼナロリスはポシェットの中から出てこないためわからんが、深刻な事態ではなさそうだ。ザンテックだけが苦しんでいる。
「キサ、マ……。これは、こんな、もの……オォォォォォォーーーーッ!」
「もう一度だ! やれっ!」
ザンテックが上空の魔獣に向かって吠え、飛び上がる。ほぼ同時に、人の声と共に再び閃光が迸った。
「く……グォ……」
真っ白い視界の中、ザンテックの低い唸り声が聞こえた。重い着地音が大地を揺らし、アイソスの上にいる儂まで揺さぶられた。
二度目も儂にはなんの影響もない。いや、一度目と同様の心地良さだけだ。その原因がわかった。ようやく見えた。
あの魔獣の背に幼女がいたのだ。あとなんかもう一人いる。
その幼女が短かな杖をかざしていた。黄金の髪と純白の法衣をなびかせ、不安定な魔獣の背にしがみつきながらもその瞳は——。
ああ、あの眼差しを知っている。穏やかで、無邪気で、純粋な幼女の瞳。かつて儂に向けてくれていた黄金の瞳は、儂と同じもの。本物の聖幼女。
「——ピート」
意識することなく呟いていた。吸い寄せられる。そうだ、あの閃光。あの波動。あれは、かの聖幼女のものではないか。
幼女と目が合った。儂の呟きが聞こえたわけではないだろう。はっきりとはわからんが、何かを口にしたように見えた。共に魔獣に乗るもう一人へと声をかけると、幼女を戴く幸運な魔獣が儂の方へと近づいてくる。
「グ、グッ、グァァァァァーーーーッ!」
それをザンテックの咆哮が押し留めた。咆哮は詠唱へと変わる。時折歯を食いしばりながら、絞り出すように紡がれた詠唱は、ザンテックの掌に小さな竜巻を生んだ。
「——来い! 我が召喚嬢、パティ!」
竜巻の中から少女が現れる。喚ばれたのは、先程の王女マリーとは趣の異なる少女だった。
褐色の肌を持つ、野山を駆け回っていそうな健康的な肢体だ。飾られたドレスなど何の役に立つ、とばかりにその衣服は簡素。というか、あまり布が無い。アルビオーネ同様、上半身は胸を覆うのみ、あとは腰回りだけだ。
ネックレスやブレスレットの類も身につけてはいるが、精緻な加工を施されたものではないな。原石、あるいは木彫りといった、自然を思わせる飾りばかりだ。
「よお、ザンテック。どした——んわっ!?」
パティという名の少女が、驚きに体をくねらせた。それはそうだろう。召喚されるなり、竜に鼻先をこすりつけられ、惜しげもなく晒している肉体を舐めまわされたのだから。
というか、コイツは何をしているのだ?
「う、ううっ、くそぉぉっ!」
「おいおい、なんだよザンテック。どうしたんだ、いったい?」
「う……はあっ、パティ、パティぃぃっ……」
「はいはい、わかったよ。大丈夫だ」
少女はザンテックの頭をポンポンと叩いたり撫でたりしながら、大丈夫だ、と繰り返している。泣きじゃくる我が子に対し、全てを理解し包み込む母。竜と少女の関係にそんな印象が浮かんだ。
「俺の、中にっ、おぞましいやつが——」
「ああ、安心しなよ。このパティさんがいるからな。いつものように慰めてやるからな」
「あぁ……パティ……パティ……」
……何を見せられているのだ、儂は。
呟きながらザンテックは少女を舐めまわしている。最初は驚いていた少女も、されるがままで、ザンテックの好きに任せていた。
「どう? 落ち着いたかい、ザンテック?」
「う……ああ、ああ。もう、大丈夫だ。俺の中の、邪悪なものは消えた。——ご苦労だったな、パティ」
「お安い御用さ」
落ち着いたザンテックは、態度を一変させたが、それも「いつものこと」とでもいうように少女は受け入れている。
「ふっ、あんなもので俺を惑わそうなど笑止。このザンテック・ジュ・ペリロード、そこらの魔獣と同等だと————うわぁぁっ!?」
突然首をのけぞらせて、驚愕の声をあげた。ずっと少女に注がれていた視線が、彷徨う。コイツには映ったのだろう。儂の姿が、覗き込んでいたアイソスが、動きを止めて凝視していた魔獣と人間たちの姿が。
「お、お、お、お前らっ、いつからっ!」
「ずっとだが? 召喚する前からだが? なあ、アイソス」
「うん。なんだかね、ちょっとグリムちゃんみたいだったよ」
「いやいや、アイソス。儂はあんなに泣きじゃくったりしないぞ」
「え〜、そうかなぁ」
「そうだとも。嬉しさのあまり涙をこぼすことはあるがな」
ふふっ。そうか。なるほどな。
「これが『わかむす派』の真実か。いやいや、これでは人間の女などに負けるのも無理ないことだな」
「こ、これはっ。奴らが怪しげな幼女の幻影などを見せるから——」
「あ? なんだと。ザンテックよ、お前は何を見ていた? お前だけが苦しんでいたようだが?」
「そっ、それはっ。——言う必要などないっ!」
ザンテックが後ずさる。掌の上の少女に視線を落とし、詠唱を始める。
「パティ、お前はもう用済みだ。帰れ」
「はいよ。またな、ザンテック」
あっけらかんと手を振りながら、少女は竜巻の中に消えていった。
しかし、これは。ふふっ。貴重なものを見せてもらったわ。




