085 わかむす派
「なっ、なんなんだお前はっ。なにを知っているっ!」
一息入れる間もなく、ザンテックが怒鳴り散らす。最初の頃の尊大な態度は何処へやら、だな。まあ無理もないが。
「なにを、と言われてもな。アイソス、頼む」
「うん、グリムちゃん」
アイソスが儂を掌に乗せてくれた。思い切り伸びをして強張りをほぐすと、アイソスの手が儂の頭に添えられた。そうだな。それだけで全身がほぐれてしまいそうだ。
「答えろ、グリムワルドっ!」
「ねえ、どうしてグリムちゃんのお友達は怒っているの? グリムちゃんが何かやったの?」
「そうではないぞ、アイソス。コイツはな、ああそうだな、自分の不甲斐なさに怒っているのだ」
「自分の?」
「ああ」
頭に置かれたアイソスの指を両手で包みながら、怒りに震える竜に嘲りの笑みを向けてやった。
「なにせザンテックは、竜の身でありながら人間の女と戦って敗れたのだからな」
「戦い? 負けちゃったの? かわいそう」
「全く哀れなやつだ。それでも、生き残ったのだから良かったのだろう。そう、生き残ったのだからな」
生き残った、を殊更強調してアイソスに微笑みかける。背後から聞こえる歯軋りが心地よいわ。
「ふふっ、良かったなあ、ザンテック。命乞いまでした甲斐があったな」
「き、きさっ……なぜ、知って——」
「それはな、当事者から直接聞いたからよ」
「……っなっ!? なんだとっ」
儂はザンテックと戦った人間の女と会っている。どこで知ったか女は儂の塒にも現れて戦いを挑んできたのだ。その時点では、ザンテックとその女が戦っていたことなど知らなかったが。
ああ、もちろん戦いにおいてはこの儂が負けるはずもない。人間にしてはなかなか強大な力を持っていたが、一蹴してやった。
「——で、とどめの一撃を喰らわせてやろうとしたときに、その女が悔し紛れに呟いたのだ。『あの竜は引っ掛かったのに』と。それで気になって問い質した。女の話を聞いてみれば、ふははははっ、なんと、敗北したのはザンテックだというではないか」
「けど、グリム殿。竜が負けるか? 人間なんかに?」
ポシェットから飛び出し、ゼナロリスもまたアイソスの掌に乗ってきた。好奇心旺盛な幼女に対するように、優しく語りかけてやる。
「そう思うだろう、ゼナ。まともにやれば、流石にザンテックとて負けることはない。だからその女は誘ったのだ。無力な娘のふりをして懐に近づき、魔術で隠し持っていた剣で急所を一突き。それで大勢は決したというわけだ」
「おお、なるほど。油断させて、ということか」
「そうだ。その一撃は奴の心をも折ったのだ。女は言っていた。ろくに反撃もしてこなかった、と。ふふっ、よほど裏切られたことが堪えたようだ。——なあ、わかむす派の若頭、ザンテックよ」
「ぐ……、お前、全て知っていた、のか……」
「ふはっ、くははははっ。聞け、ゼナ! このザンテックという奴はな、わかむす派であるがゆえに、人間の少女などに誘惑され、隙を見せ、敗れたのだっ! ふっ、なんと愚かなっ! 情けないっ! 見えすいた古典的な手に引っかかりおって。それでもわかむす派を辞めん未熟者だ。そもそも若い娘など、どこに惹かれる要素があるっ! これだから、わかむす派など認められんのだっ! ふっ、くくっ、くはははははははーーーーーーーーっ!」
「ぬがぁぁーーーーーーーーーーーーっ!」
ふっ。なにを吠えておるか。今更事実は変わらんというのに。
「ちょっと、かわいそうよ、グリムちゃん」
「そうですよ。グリムちゃんだって大して変わらないくせに」
アイソスに加えてアルビオーネまでもが口を挟むか。だが、これは良い機会なのだ。最近は『竜の集い』にも参加していなかったしな。わかむす派若頭のコイツをやり込めてやる。
「角一本差し出したお前を見て、その女は呆れたそうだ。ゆえに命までは取らなかったのだ。その程度の存在だ。若い娘など、所詮幼女を卒業してしまった存在。その心は堕ちてしまっているのだ。それをお前は身を以って知ったのではないか?」
「ぐ……、そんなことは……ない。ないんだっ! あんな若々しくて、成熟する前の、最も輝いている時期の生き物が、堕ちているなんてっ」
「最も輝いている? だから何だ? 確かに、若い娘というのはその生涯の中で生命溢れる時期なのかもしれん。だが、それの輝きが増すことはない。真に素晴らしきは、芽吹きの時期なのだ。すなわち幼女!」
「はっ、幼女など、それこそすぐに成長する。まばたきのうちに消え去る存在だ。若い娘、少女の方が、ずっと長く楽しめるものだっ!」
必死に叫んでいるが、やはりわかっていないな。愚かな奴だ。他のわかむす派の奴らも皆理解していない。何度も議論したことなのだがな。
「成長しない幼女などいない。わからんのかザンテック。成長してこそ幼女! その一瞬の輝きこそ幼女なのだっ! それにかわいいし」
「可愛い? 可愛いのは少女だっ。所詮幼女など、少女になる過程にすぎない。成人前の少女の方が可愛いに決まっているっ」
「いいや、幼女だ。幼女はかわいい。容姿も、仕草も、思考も、魔素も。あらゆる要素において幼女は頂点」
「なにが頂点だ。少女こそ頂点。幼女など未熟も未熟。なんの魅力も発していないっ」
「それはお前らの感覚がねじ曲がっているだけだ。幼女はかわいい。全く、竜種でありながら情けない奴らだ。未熟なのはお前らわかむす派ではないか」
「どっちがだっ。ねじ曲がっているのはお前らの方だ。それが証拠に、お前ら幼女派は少数泡沫派閥じゃないかっ! この異端がっ」
「異端だと? 幼女かわいい。幼女の素晴らしさを余すことなく理解しているこの儂を、異端だというのかっ?」
「はっ。悔しかったら、多数派を形成してみるんだな。もっとも、幼女趣味の竜などこれ以上増えようもないがな」
ザンテックは小馬鹿にするように喉を鳴らした。だが、それは大いなる過ち。見識不足だ。
あえて言葉を返さずに溜めている儂を見て、コイツは勝ち誇っている。くくっ、笑える。いや、まだだ。
「はぁ、馬鹿なんですか?」
「は? アリュ? なにを言う」
せっかく決定的な一撃のタイミングを計っていたというのに、アルビオーネがため息混じりに頭を押さえてきた。撫でるのなら許すが、それはただ掴んでいるだけではないかっ。
「いえ、あまりにも馬鹿らしくて。少女だ、幼女だ、って。竜というのは皆そんな話しかしないのですか。私、グリムちゃんだけが異常だと思っていたのですがねぇ」
「誰が異常だ、愚か者。幼女は素晴らしいものだ。それともなにか? お前は少女の方がいいとでも言うのか?」
「心底どうでもいいですが。私はグリムちゃん派ですから。ま、かわいいのは認めますけれど」
「オレも幼女がいいっ。グリムワルド様の幼女なのだからっ」
「ふっ、そうだろうそうだろう」
儂に抱きついていたゼナロリスまでもが、当然の如く賛同する。柔らかな毛並みの背中をさすってやると、その笑みは儂を蕩けさせる。すぐにでも抱きしめたく——ああ、もう抱きついていたな。よし。
「ふふっ、聞いたか、ザンテック。幼女かわいい。幼女かわいいのだっ」
「はっ、取り巻きがそう答えるのは当然だろう。しかも、竜でもない奴らだ。派閥の趨勢に影響などない。それにその獣はともかく、少女ですらない年増の言葉になんの意味があるというんだ」
ぎりっ。
ふわっ!? 儂の頭っ。何か音が?
痛い。痛いのだがっ?
「……随分と失礼な方ですねぇ。私はまだ適齢期に達したばかりなのですが。ねえ、グリムちゃん?」
「あ、アリュ。あたっ、頭離せっ。痛いのだっ」
「そもそも、女性を年齢で判断するなど言語道断。いかに竜とはいえ許せないことです」
「ふっ、悔しかったら若返ってみるんだな。ああ、若返りすぎるなよ。価値なき幼女などになってしまうからな」
「なんですって!」
「ま、待てっ。落ち着けっ。二人とも落ち着くのだっ。とにかく離せっ」
足が浮いているのだっ。幼女の首は竜とは違うのだぞっ。ゼナロリスが支えてくれなかったら首が抜けるところだったではないかっ。
「……まあいいです。後でお仕置きですからね」
ようやく解放されると、もはや立っていられずにアイソスの掌の上にへたり込んでしまった。くそっ、儂は悪くない。
「儂は悪くないっ! 幼女がかわいいだけなのだっ!」
「はぁ。また、わけのわからないことを」
「わかるだろうがっ。幼女かわいいのだっ」
「はいはい」
なんだその物言いは。乱暴な奴め。ゼナロリスが頭をさすってくれたから、なんとか落ちつくことができたが。
「……グリムワルド。お前もしかしてその女に……? ははっ、さすが異端派。部下のコントロールもできないとはな。幼女などに溺れるからそうなるんだ。ま、情けない幼女派など早晩消滅するだろう」
「勘違いするなよ、ザンテック。幼女は不滅だ。たとえ成長しても、新たな幼女は現れる。儂は余すことなく永続的に幼女と戯れるのだ」
「幼女派など不要。お前と共に異端は消え去るのみ。いや、いい加減、異端は消し去るというのもいいな」
「ならば儂は、あらゆる幼女を育もう」
なんとか再び立ち上がって、ザンテックに向けて小さな指を突きつける。そうして宣言してやった。
「儂は、世界の幼女を手に入れる。そう! あらゆる幼女をっぷぅぅぅっ!?」
な、なんだっ? 儂の頬が掴まれているっ?
「グリムちゃん? もういいでしょう。なんだか会話が噛み合っていないようですし。これ以上聴きたくもありません」
「あ、あうっ? なひほいふぅぅ?」
「さ、もう行きましょうね。アイソスちゃん、お願い」
「いいの?」
よくないっ。儂はもっとコイツに——と、いや待て。別にザンテックに用はなかったな。呼び止められたのは儂らの方だった。
「ふぅ。そうだなアイソス。もう行くか」
「うんっ」
アイソスが翼を動かし始めた。浮遊感が生まれる。そうだ、最後に。
「ザンテックよ。お前を倒した後に儂のところへ現れた女のことだがな。言い忘れたが、儂は取引をしたのだ」
「あ? 待て。逃げるなっ。まだ話は終わっていないっ」
「見逃す代わりに、女に命じたのだ。『生贄で油断させて竜を倒した』と吹聴することをな。それも『幼女を生贄に捧げた』と伝えろとな」
「っなっ! なんだとぉぉっ!」
「そうだ。お前は幼女に敗れたのだ。ふふっ。人の世ではどう伝わっていることやら」
「お、おまっ、お前はああああああああああああっ!」
激昂したザンテックが飛びかかってきた。足を掴まれ、アイソスは無理矢理地上へ押しとどめられた。
「お前はっ! 俺をっ! なんてことをおおおおっ!」
「離せザンテック。アイソスに気軽に触れるなと言っただろうが」
「うるさいっ! お前ら異端派はそこまでするのかっ! この俺を、ううっ、俺が幼女などにぃぃっ。いくら幼女派が少ないからといって、この俺を……おおおおぉぉっ!」
なんだコイツ、泣いているのか。それほどまでに悔しいか。だが、幼女の素晴らしさに気づけば、そんな気持ちは消し飛ぶ。幼女に敗れるなど、むしろ本懐。
「くそぉぉっ! 幼女派め! 少数派のくせにっ! おかしな奴らはいずれ消えると思っていたのにっ。ううううううううっ……」
「それは違うぞ、ザンテック」
「……あ?」
地面に両手をつき、それこそ幼女のように泣き喚いていたザンテックに対し、穏やかに声をかけてやった。
「幼女派は不滅だ。つい先日も目覚めた奴がいる」
「目覚めた……?」
「そうだ。期待の新竜だ。この儂が導いてやったのだ。あの若者を」
「う、嘘を言うな。そんな奇異な奴がいるはずがない。いてたまるかっ」
「信じられぬか? いや、認めたくないだけであろう。だが、次回の『竜の集い』を楽しみにしておくのだな」
『竜の集い』とは、言葉通り、竜たちが集まり情報交換を行う場だ。
首を傾げるアイソスに、そう教えてやった。
竜という存在はえてして孤独だ。強大な力を持つ者ほど、他者との関わりを断っている。いや、正確に言えば、この世界に存在するのは『対等な関係を築くに値しない』者ばかりゆえに起こる孤立だ。
始まりは仲の良い数頭の竜だった。それが徐々に広まり、いつしか定期的に開催される『竜の集い』という寄り合いとなった。
魔王軍に属している竜、人の国に寄り添う竜、いずれにも属さぬ竜。立場は様々だが、そこで行われるのは、世の代理戦争でも、世界を裏から支配するような謀などでもない。
それは、ただの近況報告だ。どこそこへ行っただの、こんな宝を見つけただの、新たな魔術を開発しただの、他愛もない話だ。
敵対する立場にある者たちですら「あの時の戦術は——」などと客観的に語り合っている。
そんな中で、目下、数百年以上続いている熱い話題が『生贄について』だ。
その話自体は常にあったようだ。だが、この儂が参加するようになってからは、必ず白熱した議論に発展する。
すなわち、『幼女』か『少女』か、だ。
残念ながら、我が幼女派は少ない。皆わかっていないのだ。嘆かわしい。我が幼女を紹介してやったこともある。それでも奴ら『わかむす派』は理解しなかった。感じることができなかった。奴らの感性は退廃しているようだ。
竜の集いのたびに、なんとかその感覚を呼び覚ましてやろうとしているのだが、奴らは認めない。意固地になっているだけかもしれんが。
ともあれ、それゆえに儂は嬉しかったのだ。先日、エンデルムートの息子ディウネドが目覚めたことが。
「——ひとり増えたくらい何だと言うんだ。俺たちわかむす派は盤石。むしろ、そいつを正常な道へ引き戻してやるっ」
虚勢だな。所詮多数派というだけの、竜の威を借りるなんとやら、だ。
「ふん。わからん奴だ。裏切られたばかりだというのにな」
「く……、勲章だっ! それがどうした。今は違う。俺は成長したのだ。そう、新たなステージへと登ったのだっ」
「なんのことだ?」
ザンテックが一歩引いた。体を起こし、首をもたげ、何かを振り払うように翼を打つ。最初の時のように、尊大とも思えるような笑い声を響かせた。情けなく泣き喚いていた獣が、一転、人の畏怖する竜へと変貌した。
「見るがいい、グリムワルド。まだ誰も知らない、俺が開発した術を」
高らかに宣言すると、ザンテックの詠唱が大気を震わせた。




