084 接近遭遇
ポシェットの中で過ごすのも慣れたものだ。
最初は首や尻が痛くなったが、今は随分と快適だ。物資が減ってスペースに余裕ができたこともある。ポシェット自体の革も柔らかくなった。
それにゼナロリスだ。獣幼女と抱き合って寝るのは、ベッド以上の快適さなのだ。二日目くらいまではゼナロリスが興奮してしまい、落ち着いて眠れなかったからな。
ポシェットのフラップは隙間を開けてあるが、ほとんど日が差さない。幼女の体は多くの睡眠を欲している。それゆえ、儂は空の旅をほとんど寝て過ごしていた。アイソスには悪いのだが。
あの湖を出発してからも、ずっとそんな調子だ。風を受けていい具合に揺れるのがまた良い。いつまでも寝ていられる。
「ねえ、グリムちゃん。また街が見えたよ」
「ん〜〜」
ああ、何度目だろう。アイソスが声をかけてきた。そろそろ起きるか。
「ほら、今度はすごくおっきいの。人もいっぱい見えるよ」
「ふぁ……ん、ああ。そうだな」
しかし眠い。顔を覗かせると、確かに山あいに大きな街が見えた。冷たい風に当てられて、目が冴えてくる。
「あ、ほら、こっち見てるよ」
「ん? 何だ、ずいぶんと賑やかそうだな」
「お祭りでもしているのかなぁ、ねえ、グリムちゃん」
「そうだな。ああ、あれは——だが、残念ながら寄り道はできんぞ。目的を達して、そうしたら帰りに寄ろうではないか」
なるべく落胆させぬように、アイソスに先を促す。
「そっか……。じゃあ、このまま行くね。それでね、帰りに寄ろうね」
「もちろんだ。その時は二人で楽しもうな」
「うんっ」
ああ、それでいい。アイソスが関心を持たずに助かった。
街には、いるはずのない姿があったのだ。ここはすでに魔族の領域。であるのに今の街には人間の姿が多く見られた。祭りなどではないのだ、あの喧騒は。
エンデルムートが言っていたな。魔王軍は押し込められていると。よもやこの辺りまで侵攻されているというのか。それほどまでに人間は力をつけたか。あるいは魔王軍が不甲斐ないということなのかもしれんが。
強力な『聖女』が現れた、とも彼女は言っていたが、それだけではないな。
『聖女』のそばには『勇者』がいるものだ。最近出会った奴らもそうだった。あの幼女を連れた『勇者』、奴とはいずれ決着をつけねばなるまい。
ま、儂は魔王軍を追放された身だ。戦争の趨勢などどうでもいい。ただ万が一、魔王城までもが戦場になるのはまずい。少なくとも儂らが魔王に会い、元の姿を取り戻すまでは持ちこたえてもらわねばな。
「グリムちゃん。見て」
ん、今度は何だ?
「誰かこっちにくるよ」
アイソスの指差す方角に飛行する魔物の群れが見えた。まだその姿は小さいが、かなりの速度が出ている。このまま互いに進んでいけばすぐに接触しそうだ。
「アイソス、高度を取るんだ。より高く飛べるか?」
「うん。大丈夫だよ」
通過させよう。面倒事は不要だ。それに、こちらに向かってきている奴らも急いでいるだろうからな。奴らの目的は、おそらく先程儂らが通過した街だ。
「んっ……しょ」
小さな気合いとともに仰角がつく。より冷たい風が頬を打ちつけてくる。もういいだろう。ポシェットの中に戻るか。
そう思ったのだが、魔物の編隊もまた高度を変えてきた。儂らに用があるのか? 面倒臭い。しかも、この距離まで近づいてきたことで気づいた。先頭を切って率いるのは見知った竜ではないか。
このまま避け続ければ奴らも追ってこないだろう。目的があるのだろうからな。だが、逃げ回るようで少々癪に障る。
どうするか迷っている間に、竜と一団はさらに距離を縮めている。アイソスもその場に留まり、困ったように儂に視線を向けてきた。
仕方ない。とりあえず待つか。
「おう、グリムワルドじゃねえか」
竜が荒い口調でアイソスを見下ろしてきた。行軍を停止させ、わざわざアイソスよりも高く位置取っている。
虚勢だな。コイツは竜としては若い。成竜には達しているが、生きている時間は儂の半分程度だろう。それでも、太陽に輝く蒼鱗を誇示し、わざわざ威圧するような態度を取るのはコイツの血筋ゆえだ。
ザンテック・ジュ・ペリロード。面倒臭い名だ。ペリロードという竜の中でも古くから続く血筋が成せる尊大な振る舞い。人の世でいえば王家にでも相当するか。まあ、我ら竜にはそんな制度はないのだが。
「……えっとね」
「儂ならこっちだ」
アイソスを制して、儂の方から声をかけてやった。
「は? 何だこの餓鬼は?」
「知らんのか、ザンテックよ。儂は今、幼女と化している。そして我が体は幼女アイソスに貸し与えているのだ」
「は? はぁぁっ!?」
ザンテックがポシェットを覗き込んできた。その反応、儂の現状を知らんのだな。
そういえば、儂が体を入れ替えられたという事実を、どこまでの者が知っているのだろうな。四天王は当然知っているのだろうが、最近目覚めた魔王は? 他の幹部は?
エンデルムートは四天王時代の伝手で知っていたのだろう。考えてみれば、雑兵にまで知らせることはないとは思うのだが、これを主導したのがあのヤンデルゼだからな。ありえなくもない。
「フッ、ハハッ、フハハハハハハハハーーーーッ」
突然、竜は首をのけぞらせて嘲笑を響かせた。その笑い声が、背後に控える魔物たちへ波紋のように広がってゆく。
「なんだコイツら。不快だな」
「まあ、落ち着けゼナ。無知な弱者の振る舞いだ」
「けど、いいのか」
馬鹿にされている、とでも思ったのだろう。事実そうなのだろうが、気にすることはない。隣に並んだゼナロリスの頭を、落ち着かせるように撫でてやった。
「ふっ、ついにそこまで堕ちたか、グリムワルド」
「昇り極めたのだ。貴様らにはできなかろう。そして理解もできまい。この素晴らしさが」
「ああ、できないなぁ」
薄ら笑いを浮かべ、ザンテックは鼻息を吹かせた。
「ま、お前には相応しいか。そんな小便臭い餓鬼の姿が」
「なっ、なんだとっ! ちゃんと穿き替えておるわーーーーーーっ!!」
あ。
ではない。
ザンテックが身体を引いている。呆気にとられたような表情が、次第に元の尊大なものに戻ってゆく。
「ふっ、お前まさか——」
「グリムちゃんはね、ちゃんとお着替えしてるよ。まだひとりじゃできないだけなの」
「あっ、アイソスっ!?」
それはフォローではないっ。くっ。思わず反応してしまった。だめだっ。これ以上この話を続けてはっ。
そ、そうだっ。ザンテックといえば。
「ときにザンテックよ。お前、角は無事生え変わったようだな」
「……なにっ」
竜の表情が一変した。視線が上向く。
ザンテックの頭には大小多数の角が生えている。かつて、そのうちの長大な一本を失ったのだ。それを『研究の為』と話していた。
嘘だ。
人間や他の種族の間では、魔力のこもった竜の角や鱗を利用することがある。それゆえに特別敵対していなくとも、奴らは竜を襲う。無論、返り討ちにするのが常だが。
奴らが手にできるのは、せいぜいが儂らの活動域に落ちた、古くなり剥がれた鱗や爪牙だ。あまりいい気分ではないが、抜け落ちた幼女の御髪を拾うことを考えれば、まあ、納得できなくもない。
ザンテックは自ら角を折り、魔術の研究に使うと言っていたが、実際は研究などしていない。
儂は真実を知っている。奴が自ら角を折ったというのは間違いではないが。ただ、折らされたというだけだ。
「なあ、ザンテック。自らを傷つけてまで行った研究とやら、その成果を教えてくれないか」
「……なぜ教える必要があるんだ。それもお前なんかに」
「そう邪険にするな。ペリロード一族の力を以ってすれば、さぞ素晴らしい結果が出たのだろうと思ってな。なにせ、太古からの血脈を受け継ぐ竜の体の一部だ。それを材料にした研究など、気になるのも仕方あるまい」
「…………」
口を閉ざしたな。目蓋を閉じ、いかにも思案しているように装っているが、動揺を隠す為だろう。
「あ、あの研究はだな。俺の一族の秘伝となった。よって、お前のような堕竜に教える謂れはない。ないんだっ!」
「秘伝——秘伝か。くふっ。秘伝、くははははっ! 秘伝、ときたか」
だめだ。もはや笑いが堪えられんっ。
「なにが可笑しいっ! 俺の一族の秘伝をあざ笑うなど、許せんっ!」
「確かに、くくくっ、隠しておきたいよなぁ。あんな情けなきことは」
「——っ!? グリムワルドっ、お前なにを知って——」
「おい、お前ら〜〜〜〜っ!!」
焦る言葉を遮り、背後に控える魔物たちに向かって声を張り上げた。
「お前らは知っているのか〜〜っ! コイツが〜〜っ、敗北して〜〜っ、はあっ、その角を〜〜っ、差し出したことを〜〜っ!」
「は!?」
ザンテックは目を剥き出して、間の抜けた声を漏らした。魔物たちのどよめきが伝わる。くくっ、いい気味だ。だがまだだ。
「しかも〜〜っ、その相手が〜〜」
「ちょぉぉーーーーーーーーーーーーっっ!!」
ザンテックが物凄い勢いで突っ込んできた。儂のいるポシェットはアイソスのお腹のあたりにぶら下がっているため、竜の長い首はアイソスの下に潜り込ませるように突き出されている。
「あ、あのね。危ないよ」
アイソスがその首をそっと包んで押し返した。
「そうだ、気をつけろよ。人間の女などに負けた軟弱者が——いや、ただ負けたのならば実力だ。仕方のないこと。だがお前は——。おお〜〜い!」
「ちょまーーーーーーーーっ!」
再度の魔物への呼びかけを、ザンテックは大声で封じてきた。首をよじりアイソスの手を引き離し、逆にアイソスの手を握る。
「きゃっ!?」
「待て! ちょぉぉぉぉっと待つんだ、グリムワルドぉぉぉっ!」
「おい、気安くアイソスの手を握るな。許さんぞ、負け犬が」
「だっ、だからっ、とにかくっ! 話そう! 下で話そうじゃないか、グリムワルドくぅぅん!」
そう言うと、儂の返事も聞かずにアイソスの手を引いた。
「おっ、お前たちは先に行って待機していろっ! いいなっ!」
戸惑いながらも街の方へ飛び去る魔物の群れを見送りつつ、儂らは地上へと降り立った。




