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080 悟る母

 エンデルムートとの睨み合いは続いていた。

 憎しみはない。怒りは若干。儂の意思を貫き通したい、その想いが大半だ。


 エンデルムートがどう思っているのかはわからん。反論も、力での排除もしない以上、儂の言葉に思うところはあるはずだ。それでも、こうして引かんのならば、儂とて引く謂れはない。


 そんな儂らの膠着状態を乱したのは、近づいてくる破壊音と恨みの叫び声だった。


「ひどいよ、かあちゃぁぁん!」

「あの術を使ったのねっ! 私を、あのひとから引き離すなんてっ!」


 白と黒の竜が、廃墟をさらに破壊しながら一直線に駆け寄ってきた。先の術の時にどこぞへ吹き飛ばしたのだろう。抗議の声を上げる子供たちを見ることもなく、エンデルムートは尻尾を振るう。

 それだけで彼らの動きは封じられてしまった。足元が氷で覆われ地面に縫い止められている。


「なんだよこれっ。かあちゃん!」

「ひどいっ。どうして邪魔をするのですかっ!」


 二頭の竜は体をよじり翼をはためかせるが、脱出には至らない。見た目通りの氷ではないのだろう。


「く、くそおっ、なんで、なんで——あっ! 幼女っ! 幼女いたっ。いてくれたぁぁっ!」

「え? あのかたは? あのかたはいないのっ? 母上っ! あのかたは——見えたっ! 向こうね。まだそこにいるのね。待って、すぐに行きますからっ!」

「ふうううううううーーーーっ、幼女っ、ようじょぉぉぉぉっ!」

「あなたっ、あなたぁぁぁぁーーーーっ!」


 ミシッ。


「へっ?」


 氷の軋む音にエンデルムートは間の抜けた声を漏らした。ついに儂から視線を外し、振り返る。同時に子供たちを拘束していた氷が完全に砕けた。


「うおおおおおおおーーーーっ!!」

「ふうううううううーーーーっ!!」


「行かせませんっ!」


 濃密な短い詠唱ののち、エンデルムートは白氷のブレスを放つ。それは目の前に広がる廃都の大半を飲み込み、積もった柔らかな雪を強固な氷に変えた。無論、自由を得たばかりの竜もだ。咄嗟にとった防御の姿勢のまま、竜は氷の彫像となっている。まあ、エンデルムートの血を引いている奴らだ。これでも動きを止めた程度だろう。


「っはぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 肩を揺らし息を吐く後ろ姿に余裕は感じられない。そこまでしなければ止められなかったということだな。


「生半可な術など役に立たなかっただろう?」

「足りない、とでも言いたいのですか」


 わずかに牙のこすれる音が聞こえた。


 振り返ったエンデルムートに動揺は見られない。それでも、平静な口調の中に驚きが混じっている。思い知ったはずだ。理解しただろう。何が子供たちの力になったのかを。それがわからぬほど愚かではあるまい。あとは自身が認めるかどうかだけの話だ。


「——ま、グリムちゃんの幼女愛は規格外ですから。気にすることはありませんよ、奥方様。あの領域は常人にはたどり着けません」

「あ、アリュ!?」


 いつの間にか背後にいたアルビオーネに、足が浮くほどに抱え上げられた。


「お前、大丈夫なのか? もう動けるのか?」

「ええ、おかげさまで。先程のブレスでまた冷えてきましたが、今はもう大丈夫なのですよ」


 そう答えたアルビオーネは、例の毛糸の服を首元まで上げている。儂の体は毛糸の服越しに掴まれていた。


「そうか。それはよかった。ならば、さっさと儂の下着を返してもらおうか。貴様、ちゃんと持っているのだろうな」

「もちろんです。それでは」


 アルビオーネの喉が蠢いた。

 は? コイツまさか——ああ、予想通りだ……。アルビオーネの口の中から布切れが覗く。それに舌を通して儂へと押しつけてきた。


「はひ、ほうほ。はははへへほひはひは」


 うおぅ……。こ、これを穿けと……? 怪しい湯気を立ち上らせて湿っているコレを?


「こんなもん穿けるかぁぁぁぁっ!」

「へ? ほーひへへふはぁ?」

「とりあえず下着を放せっ。何を言っているかわからんわぁっ!」

「——では、これで」


 舌を振ってくるくると下着を回すと、タイミングを見て宙に放った。それを自らの頭で難なく受け止める。なぜか下着の扱いに熟練の技を感じるのだが、これは儂の気のせいだろうな……?


 アルビオーネの表情は、いつものこととでもいうような、すましたものだ。頭に幼女の下着をのせているというのに。

 というか、これは侮辱ではないのか? 儂であったなら、感謝の言葉が溢れ出ようものだ。その頭、しばらく洗わん。


「で、何がお気に召さないのですか、グリムちゃん。せっかく私が汚れないように脱がせて、温めていたというのに。あのままだったら、それはもう、ぐっちょんぐっちょんに——」

「ぬわああぁぁぁぁーーーーっ! 黙れぇぇっ! 今貴様が濡らしたではないかぁっ!」

「え? そんなことないですよ。私の別腹で保管していたのですから。最高の保存状態ですっ」


「は? 貴様、以前に儂を飲み込んでベトベトにしただろうがっ!」

「ああ、あれは別腹ではなく、本腹ですから」

「なんだときちゃまぁぁーーーーーーーーっ!!」


 真顔で答えるなっ。どこまで本気なのだコイツわっ。


「もうソレはいらん。アイソスのポシェットに替えの下着があるからな。それで十分だ」

「そうですか。残念です。では、こちらは私が貰いますね」


 笑顔でそう言うと、少しずつ頭を振りながら首を後方に反らした。アルビオーネの顔の上を滑るように下着が降りてくる。


「あむっ」


……くちゃ……くちゃ…………。むぐむぐ……じゅふっ、じゅぴっ——


「さっさと飲み込まんかぁぁぁぁーーーーっ!」

「おびゅっ!?」


 爪先で腹を蹴り込んでやると、糞蛇の口から少しだけ下着が漏れ出た。飛び散った奴の涎がかかって不快だが、おかげでコイツから離れることができた。ふん、幼女の蹴りとて効くだろうが。


「ぐ、グリムちゃん……せっかく味わっていたのに……」

「ズボンっ! ブーツぅぅっ!」

「はいはい、わかりました。そんなに真っ赤にならなくても。ほら、こちらも温めておきましたからね」


 は? まさかズボンまで——と思ったのだが、そうではなかった。儂のズボンは毛糸の服の中から、無事に現れてくれた。


「はぁ、何をホッとしたお顔をしているのですか? 別腹行きは厳選しているのですよ。こちらの一品はグリムちゃん濃度が薄いですから、残念ですが落選です」


 投げ捨てるなっ。顔にかけるなっ。それと、その濃度とやらはなんのことだっ。


「ああそれと、ブーツは私、持っていませんよ。先程ゼナロリスが持っていってしまいましたから」

「あ? なぜ奴が?」

「さあ? 想像しているのでは?」


 何をだ? 奴の望むものなどありはしないというのに。


「——って、グリムちゃん!? 何そのまま穿いているんですかっ」

「穿くだろうがっ。いい加減寒いのだぞっ」

「で、ですが、下着も穿かずに直接だなんてっ」

「放せっ。放さんかぁぁっ!」

「駄目ですっ! そんな汚れたままで穿いたら、穿いたらっ! ……ああでもっ。それも、それもぉぉっ!」


 くっ、布地が悲鳴を上げている。だが、絶対放さん。このままでいたら、正直、第二弾が来てしまいそうなのだ。これ以上腹を冷やすわけにはいかんのだ。

 そうして素足で踏ん張っていると、急にアルビオーネの手が離れた。反動で倒れそうになる。だが、地面に尻を打つ前に儂の体は宙に浮いていた。


「あ……、エンデ?」


 白い鉤爪に首元を摘まれていた。しばし無言で儂を見下ろし、彼女は冷たいため息を吹きかけてきた。


「今のアナタを理解することなどできません」


 再度の盛大なため息が、儂を振り子のように揺らした。


「ふん。だろうな。ようやく悟ったか」


「あ、ああっ、いけませんエンデルムート様っ。今のグリムちゃんは、コートの下は何もつけていないのですっ。しかも上半身はそのまま、下半身だけを露出しているという変質っぷりなのですっ。そんなふうに釣り上げては、丸見えになってしまいますっ」


——などど言いながら、儂の真下から見上げているアルビオーネのことは儂も理解できんが。まあ、もはやコイツに対しては、理解しようなどどいうことが無意味なのかもしれんな。


「己の至らなさに気づいたか。ならば子供たちを連れて帰るのだな。ここは儂の思い出の街。お前が荒らしていいような場所ではない」


 その言葉に、エンデルムートは目を伏せ、諦めたように頭を振った。

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