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069 思い出の都

「本当に誰もいないのね。なんかね、ちょっとイヤなの」


 キョロキョロと首を振りつつ、アイソスはかつての大路をゆっくりと進んでゆく。儂はその掌に乗って案内していた。

 川と湖の恩恵を受けて発展してきた街に生き物の気配はない。儂らの息遣いと足音、吹き抜ける風だけが今のこの街の全てだ。


「魔獣の襲撃? 魔王軍との戦いで敗れた? そんなところですか、グリムちゃん」

「その割には、それほど破壊されてもいないぞ」


 ゼナロリスが鼻をひくつかせている。幼女の姿でも獣の嗅覚を維持しているのか不明だが、抜けぬ習性なのだろう。


「まあ、街全体からしたら破壊されたのは一部だな。残りは——百年近く昔のことだ、風雨にさらされ傷んだか。いずれにせよ、ここが棄てられた街であることに変わりはない。儂が知っている頃の面影はあるがな」

「そっか。ごめんね、グリムちゃん」

「ん? なぜお前が謝る、アイソス」

「だってグリムちゃん、悲しそうなんだもん。ほんとは来たくなかったのかなって思ったの」


 儂に顔を近づけてきたアイソスの方こそ悲しんでいるように思える。ああ、心配をかけてしまったか。


「気にするなアイソス。儂は悲しんでなどいない。ただ、少し……そうだな。懐かしんでいる、のかもな。儂にとっては忘れがたい思い出の街なのだ。だが、時の流れはどうすることもできんからな。それは仕方のないことだ」

「そうなの? ほんとにだいじょうぶ?」

「ああ。ありがとうアイソス。それにな、たとえ悲しいことだったとしても、お前がそばにいてくれたら、儂は元気が出る」


 そう言ってアイソスの顔を撫でてやった。二度三度頷き、ようやく竜の表情が和らぐ。


「さあ、下ろしてくれアイソス。ここがかつて儂が訪れていた屋敷だ」


 歩き続けてたどり着いたのは、街の中心に近い場所に位置する開けた空間だ。アイソスのいた教会の敷地よりもずっと広い。かつては二階建ての屋敷があったその場所は、砕かれた瓦礫や木材が残っていた。それらも脆化し、すでに大半は風に運び去られたのだろう。今の敷地は儂の記憶よりもさらに広大に感じる。


「ここにはな、儂の懇意に——仲良くしていた者たちがいたのだ。儂を受け入れ、共に時間を過ごした者たちがな」


——楽しかった。

 この庭に寝転がり見守る儂に群がる幼女たち。遠慮なしに儂の顔に触れ、尻尾によじ登り、体の下に潜り込もうとしてくる。……ふふっ。気をつけろ。やわいのだからな。潰れてしまうぞ。傷ついてしまうぞ。

 翼を動かし風を送ってやると、はしゃぎながら「もっともっと」とせがんでくる。戯れに少し強く翼を打つと、幼女の体はコロコロと転がる。

 ダメだぞ、調子に乗ってはな。そう言いきかせながら魔術で体を浮かせてやり、舌を這わせる。見開いた目が細められ笑顔に変わる。儂もだ。笑い合い、楽しみ、やがて日差しの下で眠りにつき——。


 こうして立ち尽くしていても、あるのは思い出だけ。廃墟からはその残滓も感じない。


「グリムちゃん、やはり街には寄らない方がよかったですか?」

「いや、そんなことはない。久しぶりに来たからな」

「ですが、なんだかですね」


 儂の頭にアルビオーネの手が置かれた。珍しく神妙な表情だ。ああ、そうか。


「気にすることはない。ここが襲撃された時、儂はいなかったからな。その子らがどうなったかは知らんのだ。それに、仮に無事だったとしても遙か昔の話だ。人の寿命などとうに過ぎている」

「そうですか……」

「ああ。儂にとっては、ただの過去だ。無論思うところはあるが、どうすることもできない事象。そんなものに思い悩むのは愚か者のすることだ」


 ふう、とアルビオーネの吐息が聞こえた。かと思うと儂の視界が白いファーで塞がれた。フードを目深にかぶせられ、その上から軽く頭を叩かれる。


「ま、グリムちゃんは賢いとは言えませんからねぇ」

「あ? なんだと」


 見上げようとする儂から隠れるように、アルビオーネは背後に回って肩を押さえつけてきた。


「ねえグリムちゃん。今日はもうここで休みませんか? 日はまだ高いですが、それほど急ぐことはないでしょう? 明日の朝出発すればいいと思いますよ」

「……まあ、急がずとも魔王が動くことはないがな」

「でしょう? ですから、ほら」


 体が持ち上げられ、向きを変えられた。目の前には寝そべる竜。


「グリムちゃん、一緒にお昼寝しよ? あったかいし、わたしも眠たくなっちゃった」

「お、おおっ。そうかっ」

「うんっ」


 小走りに駆け寄る儂を、アイソスの暖かな舌が迎えてくれた。儂を抱くように首を丸め、密着してくる。どうしたんだアイソス。儂を溶かす気か。嬉しいぞ。


「一緒にいるからね」


 アイソスはぐいぐいと頭を押しつけてきた。それは、はみ出してしまった卵を胸の内へ戻す親鳥のよう。

 その好意に逆らうことなく、竜の体の下に潜り込む。暖かな、落ち着ける空間。幼女のための領域だ。それは、そうだな。まるで——。






 その日は結局、アルビオーネの提案通りに街の中で過ごした。背後に山を抱くこの街は日没も早い。疲れもあったのだろう。儂が目を覚ましたときには、すでにアルビオーネは夕食の準備をしていた。

 もう一度挑戦してくる、と言って湖に向かったゼナロリスが今度は数匹の魚を獲ってきていた。誇らしげな頭を撫でてやると、獣幼女は得意になって狩りの技法を語り出す。感心したアイソスが笑顔で褒め称える。無論、儂もアルビオーネも。


 かつてのような談笑と、同じように振る舞われた魚料理を堪能すると、心が過去に還るようだ。あの日あの時の、幸せだったひとときへ。


 そんな、もう戻ることのない思い出に、新たな語らいが上積みされてゆく。これでいい。忘れることはないが、今は今を楽しもうではないか。

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