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068 休息の湖畔

「見えてきたぞ、アイソス。あそこで休もう」

「うん。じゃあもう少しだね」


 遠くに見える湖を目にして、アイソスは翼を動かす。とりあえずの次の休息地、儂がここと決めていた場所だ。

 背後の山脈からの流れを受け止めて豊かな水を湛える湖は、その一部を川の流れに変えて平原を縦断する。はるか昔から変わることのないその川は、かつては魔王軍を擁する魔族の国との国境線となっていた。


 現在は平穏なものだ。ここはすでに最前線の境界ではないからな。穏やかな平原に浮かぶ湖は昼近い太陽の光を受けて鏡のように輝いている。そよ風がわずかに水面を揺らし、それが複雑な光の反射を生み出していた。


「きれいだね。お魚とかいるかなぁ」

「そうだな、大物もいるぞ。お前なら捕まえることもできるだろう」

「ほんと? わたしできるかなぁ」


 飛びながらアイソスは顔を向けてきた。竜用の巨大なポシェットから頭を覗かせ、行先を見つめていた儂と目が合う。


「もちろんだ。お昼は魚にしよう」

「うん。わたし、がんばるね」


「魚か。オレはあまり食わないが、美味いのか?」


 儂の隣に獣の耳が並んだ。獣人の姿の幼女、ゼナロリスだ。ポシェットの縁に手をかけて興味深そうに遠くの湖を凝視している。


「味はわからんが、食べ応えはあるぞ。以前見たときには、お前よりも大きな魚が沢山いたしな。今も変わらんだろう」


 その紅の頭を撫でてやると、ぶんぶんと尻尾を振る音が聞こえた。


「そうかっ。ならば、オレも狩るぞ。アイソスはまだまだ下手だからなっ」

「え〜、わたしもできるよ〜」

「いいや、まだまだだな。オレがグリム殿の分も捕まえるからな」

「じゃあ、競争する?」

「望むところだっ!」


 この旅に出て以来、ゼナロリスはすっかりアイソスの狩りの師となっていた。出発してからすでに二日が経っている。保存食も持ってきてはいるが、それが全てではない。道中で獲物を狩り補っていた。まあ、主にはゼナロリス自身が食いたがったためではあったが。


 儂とて、味気ない干肉よりは新鮮な獲物の方がよっぽどいい。アルビオーネが調理してくれるしな。暖かな食事と食後の水果。そしてアイソスに寄り添っての昼寝。それが儂の幸せの全てだ。


 そんな幸せも、もうすぐ次の局面を迎えるだろう。

 魔王に会い、儂とアイソスが本来の姿を取り戻したとき、真の幸せが訪れるのだ。儂と幼女。儂とアイソスの素晴らしい生活が始まるのだからな。


「ふ、ふふっ、ふははははははっ」


 笑いがあふれてしまう。身を切る向かい風などものともせずに、その先を見据える。とりあえずは、そう、あの湖で楽しもうではないか。


「じゃあ降りるね、グリムちゃん」


 んっ、と力をこめてアイソスは翼を翻す。短かな草に覆われた地面が近づく。最後に数回羽ばたき、竜はその体重を感じさせないほど穏やかに着地した。


「上手くなったなアイソス。さすがだぞ」

「ありがと、グリムちゃん」


 声を弾ませながら、アイソスは儂らの入ったポシェットを外し、地面に下ろした。竜の首元に巻きついていた毛虫——ではなく毛糸の服にくるまったアルビオーネもまた、その身を下ろして無言で体を伸ばす。


「うわぁっ、ほんとに大きいね〜。見て見てグリムちゃん。お水がとってもきれいだよ。お魚さんが見えるもん」

「そうだろう。ここは儂のお気に入りの場所だからな。眺めも良いし落ち着いて休むことができる」

「そうだね〜。うわあっ、冷たくて気持ちいいよ」


 その手で水をすくって儂に見せてくる。ああ、この水にように、アイソスの掌に収まりたい。飛んでいる間はポシェットの中にいたため、近くにいるのに触れ合えないでいたのだ。まるで生殺しだ。

 とりあえず、その指に腕を回そう。水を飲むついでに吸いつこうか。


「魚が見えるということは、向こうもこちらが見えているんだぞ、アイソス」

「そうだね、ゼナちゃん。気をつけるね」

「その通りだ。では行くぞっ」


 軽く跳躍して、獣幼女はアイソスの腕に立った。そこからするすると肩口まで上がり、押し出すように竜の首を叩く。


「うんっ!」


 え、もう行ってしまうのか? もっと休んでからでいいものを。

 というか、儂だってアイソスと水遊びがしたかったのだ。呆然と二人の姿を見送っていると、頭にアルビオーネの手が添えられた。


「とられましたね」

「あ? なんだとアリュ」

「大丈夫です。寂しかったら私がお相手してあげますからねへぇ」


 いらんわっ。絡みつくなっ。その舌をしまえっ!






 遠くの二人を湖の縁で眺めていると、しばらくのちにアイソスは儂くらいの大きさの魚を一匹握りしめて戻ってきた。


「おお、ちゃんと獲れたではないか。よくやったぞ、アイソス」

「うん。でもね、これしかつかまえられなかったの」

「十分だ。立派なものだぞ。なあ、ゼナ」


 アイソスの肩から飛び降りたゼナロリスは、納得いかないとでも言いたげに俯いていた。全身ずぶ濡れで毛皮をはりつかせていることもあって、悲壮感が漂っている。手には魚ではなく儂が貸し与えた幼女用のシャツがあるだけ。それもまた湖の水を滴らせていた。


「オレは水中は苦手で……。幼女だというのに、グリムワルド様の幼女だというのに、狩りすらまともにできずに……。オレは本当に幼女なのか……」

「ま、気にするな。得手不得手な状況というものはある」


 そう頭を撫でてやった。実際大した問題ではない。だが、その物言い、コイツは幼女をなんだと思っているのだ?


「あとはアリュに任せて、二人とも休め。アイソスはここに寝転がってくれ。儂がその身体を綺麗にしてやるからな」

「うん。ありがとう、グリムちゃん」


 そうして寝そべるアイソスの首をタオルで拭き取ってやった。濡れた身体も、両腕も、指先も。ああ、ここもここも。

 首や手足、尻尾の付根から爪先、鱗の隙間まで。

 うむ、楽しい。こうして磨かれてゆくのが。儂の手でアイソスが輝くのが。アイソスも気持ち良さそうに目を閉じている。


「ならばオレもっ」


 いつの間にか立ち直ったゼナロリスが参加してきた。といってもコイツは足を集中的に舐めているだけだが。その動きにアイソスがぴくりと尻尾を反応させる。

 くっ、負けん。儂が、アイソスを喜ばせるのだっ。


「ふふっ、なんだアイソス。結構汚れているぞ。頑固な汚れだ。ちゃんと綺麗にしてやるからな。ああ大丈夫だ、お前は身を任せていればいいからな」

「頑固って、それ、グリムワルド様の頃のものでは?」


 魚の調理もそこそこに、アルビオーネが口を挟んできた。


「あ? 何を言うアリュ」

「だってグリムワルド様って、水浴びとか嫌いでしたよね。いつも洞窟に篭ってばかりですし。正直埃っぽいです」

「別に問題ないだろうが。幼女に会うわけでもあるまいし」


 そんなことをアイソスの前で言うな。儂が怠惰に聞こえるではないか。それに、おかげで今楽しめているのだから問題なしだ。


「まあいいですが。でもわかりました。そんなに汚れに無頓着だから、下着の汚れも気にならないのですね」

「だっ、黙れぇぇ! 儂はまだ感覚に慣れていないだけなのだっ!」

「はいはい。そうですねぇ。それじゃあ、そろそろ食事にしましょうね」


 ぐっ、雑に相槌を打ちおって。

 しかし言われて気づいた。コイツは儂と話しながらも、尻尾を使って調理を続けていたようだ。全く、有能——いや、器用なやつだ。


「ねえ、グリムちゃん。お魚足りるかなぁ」


 切り分けられ焼かれた魚の切り身をほおばっていると、アイソスは遠慮がちに切り出してきた。アイソスにとっては物足りないだろうが、儂には十分だ。それに、だ。


「儂はお前が獲ってきてくれただけでも満足だ。十分に満ちる」

「あのね、もしね、足りなかったら街に行こうよ。お魚とっているときにね、向こうに街が見えたの。だから食べ物とかもあると思うの」

「街か……」


 ああ、そうだな。ここから見た対岸には街がある。そのことは当然知っていた。知っていながら気にしないように努めていたのだ。今となっては、いい感情が湧いてくることもない記憶だからな。

 だが、忘れたくはない思い出だ。ため息が出る。結局儂は、それを意識してここに寄ったのだろう。棄てられたその街を再び訪れる為に。


「そうだな、アイソス。儂に不満はないが、一息ついたら街に向かおう。今は滅びた街、かつての我が聖都へ」

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