065 行く? 行かない?
いたい……。
「で、どうだったのですか、アイソスちゃんは?」
尻が痛い……。
「ちゃんと魔王城まで行けそうですか? その練習だったのですよね?」
尻が……。
「ねえ、聞いています? グリムちゃん」
「しりがいたいのだぁぁっ!」
獣の遠吠えように背中を反らして叫んでいた。
アルビオーネとゼナロリスは小屋の前のテーブルに集まってくつろいでいる。だが儂は尻が痛くて座ることもできない。それどころか、皮膚がひりついて下着を穿くことさえできないでいる。
だから寝転がったアイソスが儂を掌に乗せてくれていた。その上で四つん這いになって、くそっ、尻を晒す羽目になっている。
「ふ〜、ふ〜、ふぅ〜〜っ。大丈夫、グリムちゃん?」
「あ、ああっ。アイソスっ。ありがたいが、その、ひっ、やめてくれっ。風が吹いても痛いのだっ」
「あっ、ごめんね。じゃあ、お薬あればいいかな」
「アイソスちゃん。こんなことに回復のポーションは使いませんよ。もったいない。それにこれはお仕置きですからね。簡単に癒してはグリムちゃんのためになりません」
「そうなの……」
くそっ、儂は悪くないというのに……。なぜ儂がこんな目に。
「それと、そうやっていると間違って炎でも吐いて、グリムちゃんのお尻がプリプリ焼肉になってしまいそうで怖いのですが」
「え〜、わたし、そんなことしないよ」
「そうだぞっ、アイソスは少しずつコントロールができてんぎっ!」
激痛がぁっ! 少し体を捻っただけだというのにっ! どれだ馬鹿力で叩いてくれたのだっ。
「はいはい、グリムちゃんは安静にしていないとダメですよ」
それが原因を作った奴の言葉かっ。そう叫びたくなるのを必死に堪えた。口に出せばまたあの手が振るわれてしまう。
「とりあえず、グリムちゃんはこれでも食べて元気出してくださいね」
「これは……水果ではないか。アリュ、あったのか」
「ええ。街の者がまた捧げにきまして」
おおっ。久しぶりの水果だっ。気分が上がるっ。
うむ。このシャリシャリとした歯応え。甘味たっぷりの果汁。傷ついた心と体に染み渡る。塩味が混ざった気がするが、十分だ。
両手で体を支えているため、犬のようにかぶりつかざるをえないのが若干気になるものの、この甘味の前ではどうでもいいわっ。
「あらあら、がっついてますねえ。相変わらず品のないことです」
食べている横から、アルビオーネに顔を拭われた。邪魔だっ。そんなに汚してなどいないわっ。
「ま、たくさんありますので、好きなだけどうぞ。と言ってもお腹を壊さない程度にね」
「わかっておるわっ。そうだ、もっと持ってこい」
「ええ。でも、ただでさえお腹が冷える格好ですからね」
「黙ってろっ!」
シャクシャクシャク。ぷぷぷっ。
おっと、せっかくの果汁がたれてしまった。アイソスの掌を汚しているではないか。綺麗に舐めとってやらんとな。
「えぇ……」
「何をぼうっとしている。早く次を持ってこんか」
「ああ、はい」
すぐに追加の皿が儂の目の前に置かれた。のはいいが。
「ん? 何か不格好だな。綺麗に切り分けていないのか?」
「ええ、割れてしまいましたので。申し訳ありませんが、そのままで」
「熟しすぎてしまったのか。ならば間に合ってよかったな」
「いえ。そうではありませんよ」
せっかく置かれた水果の一片をつまみ上げて、アルビオーネは儂の目の前で揺らして見せた。
「練習に使っていたら、壊れてしまったのです」
「練習? 何のだ?」
「決まっているじゃあないですか。お尻ぺんぺんのですよ。どうやったら綺麗な音を立てて、腫れ上がるような一撃が打てるのかと。こう、手首の具合をですね」
「……ぁあ?」
アルビオーネは手首のスナップをきかせながら、空中を叩いた。ひゅっと鳴る風切音に満足気な笑みを浮かべる。
コイツは一体何をやっていたのだ? しかもそれで水果を割っただと!?
「練習の成果、どうでした?」
「十分すぎるわっ!」
儂の尻を壊す気かっ。
「それはよかったです。ところでグリムちゃん。アイソスちゃんが問題ないのであれば、この後、魔王城に向かうのでしょう」
「儂の尻が治ったらなっ!」
「それならちょうどよかったです。実はですね、魔王城へ行くにあたってちょっとした準備をしていまして。今、街に発注していて、その納品待ちなのです」
「発注? なんだそれは。水果か?」
あるいは食料か。今のアイソスでも四、五日もあれば到着するが、そういったものも必要だな。ああ、それと思い出した。
「そうだ、アリュ。儂の方も必要な物がある。コートだ。暖かい、ふかふかの上着を用意するのだ。飛んでいくのは寒くてな。この法衣だけでは凍えてしまう」
「コートですか。それなら街に発注しますか。そうですね、大雑把な竜と違って幼女の身体では辛いですよね」
「耐性があると言わんか、愚か者が。その言い方だと竜はただの鈍い奴ではないか。それに飛行の間だけではない。魔王城のある辺りは元々寒冷地だ。雪も降っているかもしれん」
「え、それは嫌ですねぇ。私、寒いのはちょっと」
胸を隠す布切れ一枚しか身につけていない奴が何を言うか。まあ確かに、この辺りはさほど標高が高いわけでもなく、雪が降るほどに冷えることなどないがな。そもそも、そんな居心地の悪い所であれば、この儂が好き好んで居を構えるわけあるまい。
「オレは寒さなど平気だぞ。それに雪! 雪というのは見たことがないが、何か心躍る響きがするぞっ!」
ゼナロリスが尻尾を振っている。そうだな。雪の中を駆け回る幼女というのもいいだろう。コイツの紅の毛は映えるはずだ。
だが、待て。
「ま、あなたならそうでしょうね。では、私も追加で防寒用の物を揃えますか。どのみち王都のアイツに一任しているのです。まとめて届けてもらいましょう。ああ、久しぶりですねぇ。こんな買い物は」
「いや、アリュよ。ちょっと待て。お前ら何か勘違いしていないか? 魔王城に向かうのは儂とアイソスだけだぞ」
「は?」
「用事があるのは儂とアイソスだけだ。ゆえに行くのは儂ら二人だけ。そう、二人きりのんんひぃっ!」
し、尻をつつくなっ。弾くなっ。触れただけでも痛いのだぞ、愚か者がっ!
「な〜にを言っているですかぁ、グリムちゃん。行かせるわけないでしょう、二人きりでなんて。そんなことをしたら、今度こそアイソスちゃんが大人になってしまいます」
「どういう意味だっ。儂がアイソスに何かするとでも言うのかっ」
「しないとでも言うのですか?」
「するわっ!」
あ。
ではなく。やめろ、アルビオーネ。その呆れ顔はなんだ。
「まあ、それはともかくですね。グリムちゃんはもう少し危機感を持った方がいいですよ。今はよわよわの幼女だってこと、自覚しないとダメです。いくらアイソスちゃんが一緒とはいえ、襲いかかってくる魔王軍の奴らだっているでしょうに」
「そうだぞ、グリム殿。オレも幼女だが、グリム殿を守ることができる。幼女だが戦える。幼女だがなっ」
ゼナロリスが近づいてきて力強く頷いた。それは心強いのだが、ならば先程アルビオーネを止めてくれてもよかったと思うのだ……。
「わたしもグリムちゃんを守るよ。グリムちゃんを助けるの」
「アイソス、だがこれは儂ら二人の問題で。儂ら二人きりで行くことに意味があってだな」
「みんなでお出かけした方が楽しいよ」
く……。コイツらがいると儂が楽しめないではないか。先日の山への旅行は色々と邪魔が入ってしまったのだ。今度こそアイソスと二人きりでゆっくりと過ごせると考えていたのに。魔王城への道中には儂のお気に入りの場所もあるしな。
しかし、このまま楽しめないのであれば。そうだな。
「うむ。ならば行くのはやめるか」
魔王城へ行く目的は、儂とアイソスにかけられた術を魔王に解いてもらうことだ。考えてみれば、わざわざ儂が出向く必要はない。奴を呼び寄せてここで術を解けば良いのだ。
元の姿に戻ればアルビオーネたちも文句はないだろう。アイソスとはその後でいくらでも楽しめばいいのだから。
——そう説明したのだが。
「は? 冗談じゃありませんっ! 今更やめるとはどういうことですかっ!」
「だからやめるのだ。面倒だろうが」
お前に楽しみを邪魔されたくない、とは言えん。儂の尻は限界なのだ。
「面倒ですって! もう準備しているのですよっ。お取り寄せだってしているし、私も楽しみにしていたんですからねっ」
「そうだぞ、グリム殿。オレだって駆け回りたい。幼女だからな。駆け回りたくもなるだろう?」
そんなに行きたかったのか、コイツら。行ったところでお前らが何かするわけでもあるまいに。何を勢い込んで儂に迫っているのだ?
それ以上近づくな。思わず身体が動いてしまうと尻に響く。
「ゼナロリス。それならば、聞き分けのないグリムちゃんの真っ赤なお尻を、あなたの舌で——あ」
アルビオーネの表情が変わった。当たり前だ。今のゼナロリスは獣の姿ではないのだ。儂をいたぶるつもりだったのだろうが、仮に尻が痛んでいなかったとしても、だ。幼女にそんなところを舐められるなど——。
……ああ。
そうだな。うむ。
「なぜオレがそんなところを。興味ないな」
ゼナロリスの返答は素っ気ない。それはそれで助かったような、失礼なような……。
「ならば私がっ!」
「やめんかぁぁっ! きちゃまなどお呼びでないわぁっ!」
「いいえっ! いかせてもらいますっ! 今のうちっ今のうちだけですからっ! 元の姿に戻ってしまったらっ!」
「なんの話だぁっ! 寄るなっ!」
迫るアルビオーネが不意に遠ざかった。いや、離れたのは儂の方だ。儂を乗せていたアイソスがそのまま立ち上がっていた。手を顔に近づけて囁く。
「お出かけ、しないの?」
う……。その瞳を向けないでくれ。
「わたし、ダメだった? グリムちゃんとまたお出かけしたかったのに。わたし、練習ダメだったのかな……」
「い、いや。ダメではないぞ。十分だ。お前なら魔王城までなどひとっ飛びだ」
「ほんと? じゃあ、お出かけできるね。一緒にお出かけできるんだよね、グリムちゃん」
ああ……無理だ。こんな訴えかける瞳を振り切れるものか。痛みを堪えながら立ち上がり、アイソスの口元に寄りかかって腕を回す。
「行こう、アイソス。一緒に行くぞ」
「うんっ!」
アイソスの笑顔と、儂の顔を舐めてくる暖かな舌の動き。もう、それでいい。
行こうではないか。
だが尻はっ。尻は気をつけるのだ、アイソスっ。




