064 疑惑を吹き飛ばすモノ
「お出かけ楽しかったね。ね、グリムちゃん」
儂の山に帰り着き小屋の前に着地すると、アイソスは、んんっ、と翼を伸ばした。儂を下ろし、そのまま鼻先で触れてくる。
「そうだな。いろいろあったが、まあ楽しかったな。疲れたか、アイソス」
「ん〜ん。だいじょうぶ。わたし、遠くまでお出かけできるかなぁ」
瞬きと共に、美しい金色の瞳が輝く。そこに宿るのは不安ではなく自信だ。
グリフォンの峡谷からの飛行は、往きのときに比べてずっと短い時間しかかからなかった。
これまでは本能、あるいは儂の体が覚えていた動きのまま、といった自らの意思とは離れたところでの飛行にみえていたのだが。
それをアイソスは自らの意思で自在に飛べるようになっていた。休むことなく飛び続け、時には全力での飛翔も見せてくれた。
これなら大丈夫だろう。魔王城までの空の旅、楽しみだ。
「十分だぞ、アイソス。だが、今日のところはゆっくり休もう。出発するにしても準備が必要だからな」
「うん。わかった。またお出かけできるの楽しみね〜」
「そうだな。二人でまた、楽しもうな」
「うんっ」
互いに顔を擦りつける。最初の頃と違い、アイソスは加減もできるようになった。このやわい頬を徒に傷つけたりはしない。
それに、積極的に儂のことを舐めてくれるようにもなった。儂が喜ぶことを覚えてくれたのだろう。
もちろん儂もお返しをする。儂だってアイソスに喜んでもらいたい。アイソスは覚えていないようだが、あの『勇者』と対峙した時のような感情を、二度と抱かせるわけにはいかない。そんなものは不要だ。全て儂が塗り替えてやる。
「グリム殿ーーっ!」
しばらくの間そうしてアイソスと抱き合っていると、背後から幼女の声が届いた。
ゼナロリスだ。紅の毛並みを持つ幼女、獣人の姿のゼナロリスが駆け寄ってきていた。
「おお、帰ったぞ、ゼナ」
「グリム殿っ! よかった、よかったぞっ!」
その勢いのまま獣幼女が飛び込んできた。コイツは姿だけの幼女ゆえ、その力は本来の狼のもの。アイソスに支えられなければ、そのまま押し倒されていただろう。儂の方が小柄だしな。
ぶんぶんと尻尾が振り切っていた。覆いかぶさるように抱きしめられると、毛皮が顔をくすぐる。これも良い。まるで陽だまりの中にいるようだ。
「ぐ、グリム殿っ。あのっ」
「ん? どうした、ゼナ」
儂の肩をつかんだまま、ゼナロリスが体を離す。その瞳は真剣そのもの。だが、ぴん、と立っていた獣の耳が小刻みに震えている。これはなんの感情だ?
「と、とりあえずっ、早くっ」
「なんの話だ、ゼナ。落ち着け」
頭を撫でてやると震えが伝わった。クリムゾンウルフの長たるコイツを怯えさせるなど、一体何があった? まさか、儂のいない間にまた別の魔王軍でも現れて——。
「ぐぅ〜〜りぃ〜〜むぅ〜〜ちゃぁぁぁぁぁぁん」
「ひぃっ!」
な、何だ!? この悪寒はっ!?
「あ、アリュ!?」
振り返ると、いつの間にか背後にアルビオーネがいた。ほとんど真上から、腰を折って儂を見下ろしているせいで、その長い髪が彼女の顔を半ば覆い隠している。であるのに、髪の隙間から蛇のように絡みつく視線を感じる。
「ど、どうしたアリュ。何だ、そのアンデットのような——んぐっ!」
アルビオーネの蛇身が巻きついてきた。儂の足が地面を離れる。そのまま彼女よりも高く掲げられた。
儂は見たっ!!!
見てしまった! アルビオーネの血走った両眼を。わななく裂けた唇を。それを舐めとる舌を。乱れた髪をそのままに儂を見上げるその姿は、まさに幽鬼。おぞましき死の冷気を感じさせながらも、炎獄の憤怒を同時に宿した魔物だ。
「ずぅぅいぶんとお楽しみのようでしたねぇぇぇ、ぐぅりむちゃぁぁん?」
「あ……いや。まあ、そうだな……」
その迫力に圧倒されて言葉に詰まってしまう。
「言ってませんでしたっけぇぇ。日帰りって、そう、言いましたよねぇぇ。えぇ? 一体、何日たちましたかねぇぇぇ?」
あ、そうか。
元々は日帰りのつもりだったのだ。昼前には到着して、休憩と軽い食事ののちにすぐ戻ってくる予定だった。儂らの二人きりの旅行を渋るアルビオーネには、日帰りを強調したのだったな。
「すまんな、アリュ。予定通りとはいかなかったが、大した問題ではあるまい」
「大した、ですってぇぇ? ぐぅぅりむちゃんわぁ、この私にウソをついて、アイソスちゃんと二人きりでぇ、なぁぁにをしていたんですかねぇぇ?」
「おい、言っておくが、向こうでは儂らも大変だったのだぞ。儂らはただ楽しんでいたわけでは——」
「問答無用ですっ!」
ひぃっ! 儂のズボンと下着っ!?
「わかっていますよねぇ? 約束も守れない、ウソもつく『悪い子』のグリムちゃぁぁん」
「あ、や、やめろっ! それは、それはっ」
ッッパァァァァーーーーーーン。
尻がっ、儂の尻がぁぁっ!
「私がっ」ピシャン!
「ひうっ!」
「どれだけっ」スパンッ!
「んぴゃっ!」
「心配したと」パァン!
「はうっ!」
「思って」バシッ!
「ぃいいっ!」
「いるんですかぁぁっ!!」ベチベチベチベチベチベチベチッ!
「ふぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!」
痛いっ。痛い。いたいいたいいたいぃぃっ。尻もだが、痛いのだっ。胸の奥がっ。頭の中がっ。心と体の芯に響くのだっ。
「もうやめて、お姉ちゃん!」
あ……アイソス……。助かったぞ……。
「グリムちゃんはね、悪くないの! わたしが悪いの。わたしがね、いっぱい遊んじゃったから。だから、やめてあげて。ね、お姉ちゃん」
それを聞いて、アルビオーネがようやく儂を打つ手を止めた。
「アイソスちゃん。もちろん、貴方もあとでお仕置きですからね。アイソスちゃんには、私と二人きりで、それはもう気持ちよく——ではなく、反省してもらいますからっ」
「ま、待て! アイソスは悪くないっ。悪いのは儂——ではないっ! 儂も悪くないのだっ! たかが一日遅れくらいで、こんなんびゃぁぁっ!」
尻がまた爆ぜたぁぁっ!?
「一日ですって? この幼女ちゃんは、もうボケてしまったのかしらねえ。五日も戻ってこないで、よくもそんなことが言えますねぇぇっ!」
「五日だと!? そんなはずはないっ」
「まだ誤魔化すのですかっ!」
んぴいぃぃっっ!
何を言っている? そんなに時間が経っているわけなかろう。やはり何かおかしい。おかしいのだが考えがまとまらん。尻の痛みしか頭に浮かばんっ。
「あ、アルビオーネ、もう許してあげないとだ。グリム殿の尻が随分大きくなっているぞ」
「大きい? それはよかったです。安産型というわけですねっ。でも、まあいいでしょう。私はグリムちゃんの小ぶりなお尻が好きなのですから」
ああ……ようやく解放された……。
助かったぞ、ゼナロリスよ。
儂が膝をつく横で、アルビオーネは頭を振って、死霊のように乱れた髪を落ち着かせていた。何事もなかったかのように手櫛で整え、長く息を吐き呟く。
「ふぅ。満足しました」
この糞蛇がっ。




