063 疑惑
幼女が追いかけてくるっ!?
巨大な幼女が頬を膨らませて迫る。追い詰められる儂もまた幼女。ついには押し倒され、のしかかられ、ああ——素晴らしい。なんという至福。
だが、ちょっと重いぞ。幼女なのにこの圧迫感。良い。良いのだ。ただ、少々息が詰まる。こんなに柔らかいのに、いや、柔らかいがゆえの密着感か。熱が伝わり、蒸されて、息苦しくて——。
「——んぷわっ!」
顔の前にあった獣毛をかき分けた。この手触り、その先に映る鮮やかな嘴は。
「ああ……ぴーちゃんか……」
「ぴゅいっ!」
儂の呟きに、すぐ近くで鳴き声が上がった。儂の頬を小さな舌が湿らせる。ぴーちゃん八世だ。
「目覚めたようですね、グリムワルド」
「そうか。ここはお前の巣か。儂は眠っていたのだな」
「そうね。でも、それだけではないわ。おそらく、魔力を使い切ったのね」
「の、ようだな」
そうだ。儂はアイソスとコネクトを続けた。この小さな体に内包する魔力を全て使い切り、そのまま気を失ってしまったのだろう。完全に空となった魔力が回復するまでは、ただの眠りよりも深い、冬眠のような状態に陥っていたはずだ。
「ところでぴーちゃん」
「なんですか? もう魔力は回復しましたか?」
「ああ。貴重な体験だったぞ。お前に包まれて眠るというのは。これぞ幼女だ」
「それはよかったですね」
ん? どことなく響きが冷たいぞ。
「だが、八世に包まれるのも良いと思うのだが。幼女同士でな」
「……どうやら、大丈夫のようですね」
なぜため息を漏らす? 思い出してしまったのだ。あの『勇者』のところにいた幼女たちのことを。馬車の中で楽しそうにじゃれ合っていた姿を。
「それで、アイソスはどうした? あいつも傷を負って——」
いや待て。
ぴーちゃん七世の下から這い出て起き上がると、異変に気づいた。
掌の傷が無い。
コネクトするときに傷つけたはずの手が癒されている。傷跡すら残っていないということは、術かポーションによる癒しなのだろう。ぴーちゃんか? ぴーちゃんにそんな術が使えたか?
「なあ、ぴーちゃん。お前が儂の傷を癒してくれたのか? いつの間にそんな術を覚えた?」
「傷? 私が癒し? そんなことはできませんよ。傷に効く薬草なら生息地を知っていますが。そもそもグリムワルド、あなたは怪我などしていないでしょう? あのアイソスという子ならともかく」
「は? なにを言っている。お前に話しただろうが。儂らは『勇者』に襲われたと」
「それは覚えています。ただ、あのアイソスという子は傷ついていましたが、あなたは疲れきっていただけにしか見えませんでしたよ」
ぴーちゃんは気づかなかったというのか。確かにアイソスの方に気を取られていたように思えたし、コネクトした儂の手など見ていないだろう。夕闇だったこともあり、鳥目のコイツには見えにくかったかもしれんが。儂もすぐに追い払ってしまったしな。
しかし、思い出すに危険な状態だった。コネクトに必要なだけの傷というのは深い。回復のあてもなく気を失うなどあってはならぬことだ。今回はそうせざるを得なかったとはいえ。
ならば、儂の傷はなぜ回復しているのだ? まさか儂自身が半ば無意識のうちの癒したと?
いや、それは無い。儂が持ってきた癒しのポーションは二本のみ。すでに糞トレンと糞地竜に使ってしまっているのだ。もうこのポシェットの中には残っていないはず。
そう思いながらも、ポシェットの中を漁ってみる。すると指先に覚えのない感触があった。それをつまみ上げ、眼前に晒す。
「なんですか、その黒い羽根は?」
「ぴーちゃんたち——のものではないな」
「ええ。そのような色を持つ者はここにはいませんね」
まるで、儂の眷属たる大鴉たちのもののようだ。もちろん喚んだわけではない、はず。
真相はわからん。まあいい。儂とアイソスが無事であればそれで。
「——と、アイソスは? どこにいるのだ?」
「ああ、それなら。あそこですよ」
ぴーちゃんは巣の端まで歩いて行って、オレンジの嘴で下方を指し示した。
「あ……はぁっ!? 何をしておるかぁぁぁっ!?」
見えたのは竜の尻尾。その先端だけが切り立った岩肌からのぞいていた。体のほうは洞窟の奥に消えている。この洞窟は、奴の、糞地竜の洞窟ではないかっ!
「おい、ぴーちゃんっ! 早く儂をっ! おろすのだっ!」
「……はいはい。そう言うと思いましたよ」
「アイソスっ! アイソスぅぅっ! 出てきてくれっ! そんなところでなにをしておるのだっ!」
尻尾を引っ張る。先端とはいえ、儂の両腕でも抱えきれない太さがある。当然ぴくりとも動かないのだが、アイソスは気づいてくれたようだ。
「あ……グリムちゃん! やっと起きたんだね」
「ああ。そっ、それよりも。お前はここで一体何をしていたっ」
「あのね。地竜さんと遊んでいたの。ご飯も一緒に食べてね、一緒に寝たりね、コロコロしたりしていたの」
「なっ……なにを……」
アイソスに続いて糞地竜が洞窟から姿を現した。儂を見るなり、ふんと鼻を鳴らしてアイソスに顔を寄せる。
こっ、この儂の目の前でっ、アイソスの体に舌を這わせ頭を擦りつけただとっ。
「アイソスっ、アイソスぅぅっ!」
両腕を広げると、アイソスは飛び込むように頭を近づけてくれた。すかさず抱きつく。放さん。渡さん。こんな地竜ごときに、アイソスを奪われてたまるかっ。
「大丈夫だったか、アイソス。傷はどうだ? まだ痛むか?」
「傷……? わたし、元気だよ。けがなんてしてないの。地竜さんと遊んでいただけだからね」
「……? そうか、大丈夫か」
「うんっ」
いや、おかしい。
深い傷ではないとはいえ、一晩で治るものでもあるまい。そう思ってアイソスの全身を眺めたのだが、確かに傷んだ鱗は見当たらない。それと糞地竜が邪魔だ。滅びよ。
「なあ、アイソス。花冠はどうした? お前の角にかけてやったはずだが」
「えっ?」
思い出したように手を当てるが、そこに花冠はない。高原からこの峡谷へ来るときにつけてやったものだが、勇者との戦いの最中に壊れてしまっていた。アイソスはそのことに気づいていないようだ。
「なくしちゃった……。ごめんね、グリムちゃん。せっかくグリムちゃんがくれたのに……」
「いや、謝ることはない。また作ってやるからな。それとアイソス。トレンがどこに行ったか知っているか?」
「トレンちゃん? あれ? 帰っちゃった、んだっけ? あれ?」
覚えていないのか? 儂に抱かれながらもアイソスは首を傾げる。
儂らは『勇者』と戦い、ここへ帰ってきたのだ。トレンとはあの草原で別れたままというのが真相なのだが、それもアイソスは覚えていないということか。
あの『勇者』と戦ったとき、アイソスは恐怖に包まれていた。それが為に思い出せないのか? 記憶が曖昧になっているとでもいうのか?
なにやら違和感が拭えない。極度の恐怖が記憶を飛ばしたとしても、なぜ傷までが癒えている? それも儂の傷まで。
これではまるで、あの『勇者』との戦いが幻だったかのようではないか。実際には、儂らはこの峡谷から出ていないとでも?
そんなはずがない。儂は覚えているのだ。『勇者』が連れていたあの幼女たちを。幼女の集団を。これが幻であるはずがない。
幼女の幻を見ることはあっても、現実の幼女を幻と断ずるなど、この儂に限ってあり得んことだ。
そう。触れることは叶わなかったが、あの愛らしき姿、あの癒しの声、あの溺れる香り、あの瑞々しい魔素。全てが、紛れもない現実なのだ。儂の幼女たちなのだ。
だが、わからん。わからんが——、これだけは言える。
この地にもう用はない。
「アイソス、そろそろ帰ろう。儂の山へ戻って次の旅に備えないとな」
「うん。そうだね。わたし、いっぱい練習できたんだよ。グリムちゃんが眠っている間に、地竜さんと一緒に飛べたんだよ。ちょっとだけだけど。ね〜」
アイソスが儂を振り払って、地竜に手を添えた。その指先は、——は!? なぜ地竜如きが咥えるっ。
「ありがと。でも、わたし、グリムちゃんと帰らないといけないの。だから、また遊ぼうね」
「ぐ……キュゥ……」
「うん。また来るからね」
アイソス……。随分と仲良くなってしまっているな……。儂を差し置いて。
やはり帰らねば。すぐにでも。そして糞地竜よ。儂が元の体に戻ったら、立場というものを思い知らせてやる。
「それでは行くか、アイソス。——と、その前にだ」
帰る前にぴーちゃんの巣に寄らないとな。竜の掌に収まったところで、アイソスに指示を出す。
「行くのですか、グリムワルド」
「ああ。世話になったなぴーちゃん。そういうわけでだ、行くぞ、ぴーちゃん八世」
「ぴっ!」
巣の奥から、幼グリフォンが胸を張って歩み出てきた。
「んぴぃぃっっ!? なっ、なにを言い出すのですかっ!」
「貰うと言っただろうが」
「許した覚えはありませんっ!」
なにを今更。儂とぴーちゃん八世は相思相愛なのだ。こんな幼女を見逃すわけあるまい。
なのに、なぜぴーちゃん七世はそんなに背中の毛を逆立てているのだ? 威嚇するように翼を広げているのだ? ぴーちゃん八世の前に立ちはだかるな。
「この子はまだ幼すぎますっ。あなたに渡すわけにはいきませんっ!」
「なにを言う。ぴーちゃんは儂と行きたがっているのだぞ」
「そんなことはありませんっ。たとえそうだとしても、早すぎますっ!」
「それがいいのではないかぁっ!」
「ぴぎぃぃぃぃぃぃっ!」
若すぎる、ということはないのだっ。十分に幼女だ。儂は今、餓えているのだ。おそらくは、あの『勇者』のせいで。
「この子は、私の手から離れていないのです。独りでなど行かせません!」
「そう言うが、ぴーちゃんは目を輝かせているぞ。ここらが一歩踏み出す時ではないのか。なあ、ぴーちゃん」
「レンピロード、貴方は手放しません。せめてもう少し、私から学ぶ必要があるのですよ。でなければ、グリムワルドに取り込まれてしまいます」
何をひと聞きの悪いことを。ぴーちゃん八世も首を傾げているではないか。
「その子、まだ独り立ちできないんだね」
アイソスが巣の中に顔を覗けてきた。ぴーちゃん八世は竜の姿にも恐怖を感じることはなく、受け入れている。十分だ。
「そうです、アイソス。貴方はわかりますか?」
「うん。グリムちゃんとおんなじ。だからね、お母さんと一緒にいないとダメだよね」
え? ちょっと待てアイソス。何を言う?
「そうよ。だからこの子は私と共にいます。遊びに来るのであれば歓迎しますよ」
「ほんとっ。わたし、また来るね。ぴーちゃんとも遊びたいし、地竜さんともまた遊びたいな」
「あ、アイソス、儂は」
「行こ、グリムちゃん。ぴーちゃんはね、お母さんがいいの。グリムちゃんにはわたしがいるよ。だから、一緒に行こうね」
「そうだが……」
そうなのだが。ぴーちゃん……惜しい……。
「じゃあね。またねぴーちゃん。地竜さんも〜。また来るからね〜」
にこやかに手を振って、アイソスは峡谷を離れた。
ああ……ぴーちゃん……。




