053 グリフォンの親子
儂らのいた山から二つの峰を越えたところにその峡谷はある。トレンに案内されるまでもなく、儂はその存在を知っていた。この山脈一帯は儂の行動範囲だからな。近年は翼を向けていなかったが、グリフォンたちが群れなす場所も、そこに【御影草】があることも承知している。
トレンの話で既知でなかったのは、そこに地竜が住みついているということだけだ。まあ、問題はあるまい。儂とアイソスの障害になりうる奴などそうはいないだろう。
それに、だ。いざとなればコネクトがある。いや、いざとならなくてもコネクトしたいっっ。
アイソスと一体化した儂は、無敵。あらゆる存在が儂とアイソスの前にひれ伏すだろうからな。
「ここがそうなの、トレンちゃん?」
「そうです、アイソス様。足元をご覧ください」
「あ、ほんとだ。草、ないんだね」
その痕跡はあった。だが、無事に生息しているものはなさそうだ。アイソス自身も踏み荒らしているしな。
地面に下ろされたトレンは、ヘタってしまった褐色の葉を摘み上げていた。確かにそのような薬草が生えていただろう。だが儂の記憶では、これは件の薬草ではない。
これは【御影草】の中でも〈弱い〉奴らだ。本来であれば洞窟の奥に植生している。そこにある特殊な養分で育つのだ。ゆえに、ここにあったモノは、洞窟の外に生息域を広げざるを得なかった〈弱い〉株だ。それを知ってか知らずか、トレンが洞窟に向かったのは間違いではなかったということだ。
「ぐりふぉん、いないね」
アイソスが切り立った岩壁を見回しながら、つまらなそうに呟いた。
「いや、視線は感じるぞ。巣の奥から観察している。儂らを警戒しているのだろう」
岩壁にはいくつもの巣が見える。それは自然の造形を利用し、さらには強力な鉤爪や嘴で岩を砕いて作られた浅い洞窟だ。入り口は、まるで王城のテラスのように岩壁から迫り出している。それがざっと二十ほど。ここはグリフォンたちの、いわば集合住宅だ。変わっていないな。
「あ、アイソス様。グリフォンは後ほどでお願いします。まずは薬草を」
「何を言う。アイソスが会いたがっているのだぞ」
うむ、そうだな。ここが変わっていないのだとすれば。
「アイソス、あそこだ。あの一番高い場所に迫り出した巣へ」
「うん」
アイソスの頭上から指示した。一番高いといっても、ひと羽ばたきだ。垂れ下がった竜の尻尾がわずかに地面を離れる程度。すぐにアイソスの目線はその巣に達した。
巣は岩に囲まれた洞窟だが、足元は柔らかな枝や葉が敷き詰められている。鳥としての習性もあろうが、元来グリフォンとは知性ある魔獣だ。人の言葉も通じる。
「ぐりふぉんさん、いる?」
「ああ、見ろ」
促しながらアイソスの頭から巣の中へ飛び降りた。柔らかすぎる足元に手をついたが、問題ない。その奥に潜む魔獣に目を向ける。
日の差し込まぬ薄暗さだが、その存在はわかった。
「戻ってきたぞ、ぴーちゃん」
旧知の相手だ。両腕を広げて笑みを浮かべ、呼びかけてやった。
ぴ、ぴ、ぴ……。
「お、なんだ、その可愛らしい鳴き声は。嬉しさのあまり昔に戻ってしまったか? ん? そうなのか、ぴーちゃん?」
「誰がぴーちゃんですかっ!!」
金切り声とともに、暗がりから一頭のグリフォンが飛び出してきた。
鮮やかな黄色の嘴と巨大な鉤爪。オレンジ色の丸い瞳の上には、獣の耳のように見える立派な飾り羽根。露わになった体は獣のもの。白頭の首から下と猛禽の前足を除けば、猫を思わせる身体つきだ。しなやかな尻尾の先端のみに、少しだけ羽根が現れている。
「うわぁっ、かわいいね。ほんとに鳥でネコなんだね」
「そうだろう、そうだろう。そういう奴らだ」
「あ、アイソス様、わたしにも」
「そっか、じゃあトレンちゃんも……はい、見える?」
拾い上げられていたトレンが巣に手をかけて覗き込んだ。入ってくるほどの勇気はないようだ。
「ちょっと、グリムワルドっ! なんなのですか、いきなりっ!」
「おお、久しいなぴーちゃん。近くまで来たのでな」
「近く、ってグリム——んぴ?」
アイソスに向かって叫んでいたぴーちゃんが、小鳥のように首を傾げて儂に目を向けてきた。
「ああ、そうだな。今の儂はグリムちゃんというのだぞ、ぴーちゃん。わけあって愛らしき幼女の姿だが。そして、あちらはアイソス」
「グリム……? ぴ? アイ、ソス……? ぴゅいぃ?」
儂へアイソスへとよく回る首だな。この勢いなら一回転以上もいけるのではないか?
「グリフォンが、喋っている……?」
「言葉を話す、というのはコイツらは得意だからな。特に人の言葉は話しやすいようだ」
トレンは驚いているが、不思議なことではない。鳥というのは声帯の造りがそうなっているのだ。まあ、魔術で変声する方法もあるのだが、コイツらには不要ということだ。
「頭いいんだね。ぴーちゃんっていうんだね」
「そうだぞ、アイソス。コイツはぴーちゃんだ」
「ぴーちゃんではありませんっ! 私の名はランピロード。ぴーちゃんなどと呼ぶのはあなただけです、グリムワルドっ」
「ねえ、グリムちゃん。撫でてもいいかなぁ」
「ああ、もちろんだ。お前に体験してほしくて来たのだからな。存分に撫でてやるがいい」
「ちょっと! ひとの話を聞きなさいっ! 私を、この私を…………ッンンンッ!」
ああ、なんだ。感じているではないか。今はアイソスだが、儂の手の感触を思い出したか。身を乗り出して撫でるアイソスに蕩けておるわ。
ん、ひゅぃ、ぴゅ、ぴ、ぴぃ、ぴぃぃ……。
「かわいいね、ぴーちゃん。いいこいいこだね〜」
「ぴぴっ、ぴぴぃぃ、グリム……ぁぁ、っぴ、っぴぃ……」
楽しそうで何よりだ、アイソス。それにぴーちゃんも。すっかり身を委ねているではないか。それでは儂はこちらを。
ふふっ、ぴーちゃんめ。こんな奥に隠しおって。この儂が見逃すとでも?
そう。巣の最奥にはもう一頭のグリフォンがいるのだ。大型犬ほどの、まだ幼いグリフォンだ。
「ぴゅいっ!?」
抱きつく儂に幼獣が声を上げた。まだ言葉が話せないのか。驚きはしているが、嫌がってはいないな。当然だろう。儂だからな。扱いは熟知している。
「ふぁぁ。いいぞ、ぴーちゃん。この柔らかさ。暖かさ。お前は今から儂のものだ。新たなぴーちゃんとなるのだぁ……」
「ぴぃ?」
「安心しろ。悪いようにはしないからなぁ。ぴーちゃんよ。ああ、ぴーちゃんよぉぉ」
「ぴぃ…………ジャジュジュゥぅ……?」
「おおっ!? そうだ。ぴーちゃん。ぴーちゃんだ!」
鳴き声が変化している。これは学習しているな。ならば。
「ぴーちゃん。ぴーちゃんだ。ぴーちゃん」
「ぴー、じゃじゅぅ? ぴぃジャうじゃ?」
そう、もう少しだ。いいぞ。その目、やる気だな。儂も撫でる手を止めて、真剣な眼差しの幼女を集中させてやることにした。
「ぴーちゃん、ぴーちゃん」
「ぴーじゃぅ、ぴーじゃじゅゥぅっ」
「ぴーちゃん、ぴーちゃん。グリムちゃん!」
「ぴーじゃ。ぴーじゃぅ。ぐじゅジュジゥ!」
「ぴーちゃん! ぴーちゃん! グリム————」
「やめなさいっっ!!!」
「んおっ!?」
ぶわっ!
金切り声に反応して、ぴーちゃんの羽毛が一瞬逆立った。同時に、儂の体が硬いものに押し倒された。
気がつけば葉っぱの床材の上に転がされ、ぴーちゃん(親)を見上げていた。
「な、何をする、ぴーちゃん七世。今、大事な学習をしているところだったのだぞ」
「妙な言葉を教えないでくださいっ!」
「妙とはなんだ。自分の名前という大事なものだぞ」
「はぁ……」
なんだそのため息は。それにそのデカい爪でつつくな。幼女の肌が傷つくではないか。
「その子の名はレンピロードというのです。教えるというならば、その名を教えなさい、グリムワルド」
「いいだろうが、最初はぴーちゃんで。お前もそうだっただろう?」
「私のことはいいのですっ!」
口調は激しかったが、儂の法衣をそっと摘んで起こしてくれた。眼差しも鋭いものではない。コイツも母親になったということだな。少しだけ感慨深い。
服についた小さな枝葉を払い、再び幼きグリフォンを胸の内に抱いてやった。
「なあ、ぴーちゃん七世。コイツ、儂にくれ」
どうということもない要求に、ぴーちゃん七世はなぜか嘴をあんぐりと開けてみせた。




