050 サプライズ
そうして、どれほどの幸せな時間が過ぎていっただろうか。儂を包む幼女が揺れた。
「——ん、んあ……あ。あれ……グリムちゃんは……」
「あ、ぬ、うああっ!」
アイソスが起き上がったことで、草の上に滑り落とされていた。全く、地の底に堕とされた気分だ。草を振り払っていると、顔に張りついた花びら越しにアイソスが覗き込んできた。
「グリムちゃん? 何しているの?」
「あ、いや。少し眠ってしまったようでな……」
「わたしも。気持ち良かったよ。あったかくってね。でもなんだか背中がムズムズしたの」
「そ、そうか。虫でもいたのかもな」
よし。気づかれなかったようだな。
「ところでアイソス。もう随分と陽が高くなったようだし、食事にしようか」
「ご飯!? うんっ!」
といっても、現地調達だ。儂の分のパンはポシェットに入れてきたが、当然アイソスには足りない。
少し下れば植生が変わり、山は樹々に覆われる。そこには果実をつける植物もある。獲物を狩ってもいい。さらに低地には川も流れていたはずだ。そこで魚を捕るのもいいだろう。
そう話すと、アイソスは首を傾げて考え始めた。
「えっと、あのね。グリムちゃんの山みたいな沼はないの? あそこのお魚、とっても美味しいんだよ」
う……瘴気の沼のことか。あるにはあったと思うが。
「それがいいのか? 正直、儂は苦手なのだが」
「グリムちゃん、好き嫌いはだめだよ」
いや、好き嫌いのレベルではない。瘴気を受けつけるなど、その環境に住まう者だけだ。なぜアイソスはそれを好むのか、未だ謎だ。
「ま、まあ、せっかくここまで来たのだ。たまには好きなものだけでもいいだろう?」
「ん〜〜、ん〜〜〜〜。そうだね。アルビお姉ちゃんもいないもんねっ」
そう話す竜の表情が、悪戯っぽく笑ったように見えた。ああ、これが幼女の姿だったら、より魅力的だったろうに。今でさえ震えるほどなのだから。
「よし。あの瘴気の沼だがな、向こうの山の中腹あたりに似たような場所がある。お前なら近くに行けば匂いでわかるだろう」
「ほんとっ! じゃあ行こうね」
「あ、いや。すまないがアイソス、お前だけで行ってきてくれないか。儂はここで待っているからな」
「え、行かないの? どうして?」
「お前の練習だしな。ああ、それと。獲ってきた物はちゃんと洗ってから来るんだぞ。もちろんお前自身もな」
「うん……。わかった、練習だもんね。わたし行ってくるね」
少し寂しそうに頷いたアイソスの体を、元気づけるように軽く叩いてやった。
「大丈夫だ。待っているからな。帰ってきたら一緒に食べよう」
「うんっ! じゃあ、待っててねグリムちゃん!」
一転声を弾ませて、アイソスは飛び立った。
……本当は近くまでなら一緒に行きたかった。だが、堪えた。
練習、と言ったのは方便だ。儂はアイソスを一人で向かわせたかったのだから。
その理由は、この地に群生する草花にある。儂とアイソスによって幾分かは散らしてしまったが、その時その瞬間、花びら舞うなかで気づいたのだ。アイソスの可愛さを際立たせるものがここにあると。
花冠だ。
そう、それを作るっ! アイソスがいない間に作り、驚かせる。間違いなく喜んでくれるはずだっ。
ふ、くふふっ。いいぞっ。素晴らしいアイデアっ。アイソスの喜ぶ顔が目に浮かぶぞっ。
儂に一層の好意を向け、儂を蕩けさせる温かさを振り撒き、儂の中に浸透してくる。儂ら二人はこの地で、深く深く結びつくのだ。そしてあわよくば——あわよくばっ!
くふっ、ふうぅぅっ。
儂がっ、幼女とっ!
んふぅ。んじゅるぅ……。
おっと。少し袖が濡れてしまった。
それはそれとして、そうだな。実現させねばな。
では早速。
散らばった花を集めて、と。これを成形し——成形……。
「よし、できた————か? ん……んん……? いや待て。できて、いる……のか、これ……?」
首を傾けて違う角度から見ても、だ。
……何かイメージと違う。円形に茎を絡ませ、二色の花を円周に沿って配置させ、冠自体を一つの花のように見せる。そんな完成図だったのだが。
儂の両手の上にあるものは、どうも少しばかり似ていないようだ。
花はまばらにしかついていないし、しかも向きもバラバラだ。幼女の三つ編みのように絡む茎は、寝癖のついた髪のようにあちこちに端が飛び出している。そもそも、これは円形と言えるのか……?
「ま、まあ。試作第一号だしな。次だ」
再び花を集め、理想の花冠を作る——のだが。
「くっ、なぜだ? なぜうまく行かん?」
儂の周囲には、すでに試作品がいくつも積まれていた。いずれも理想とは程遠い。儂とてかつては幼女にこういったものを作り、プレゼントしたことはある。だが、その際は魔術で成形をしていた。儂自らが、しかも幼女のぷにぷにな指先で作ることなど、もちろん経験はない。
それにしても、だ。こうまで器用にいかぬものなのか。
「はぁ……。いや、駄目だ。諦めるものか。早く完成させねばっ!」
アイソスは魚か何かでも獲ってくるだろう。その満足げな顔を撫でてやり、頭にこの花冠を載せ、儂にも載せてもらい——無論、儂の分も作る——アイソスに抱かれながら、お揃いで飯を食うのだっ。
その思いが指先を動かす。試作品は十を越えた。少しずつ理想に近づいている気がする。
儂の頭にも載せてみる。ポシェットの中から手鏡を取り出し、映してみる。うむ、愛らしい。良いではないか。……あ、バラけたな。
そうしてしばらくの間、新たな魔術を開発するかの如き集中力で挑んでいた。
そんな中でも、遠くからの幼女の声は聞き逃さない。
「グリムちゃ〜〜〜〜ん!!」
翼が大気を打ちつける音が近づいてくる。顔をあげた儂の目の前に、待ち遠しくも、もう少し待って欲しかった相手が着地する。衝撃で試作品の山が崩れた。
「アイソス! 帰ってきたか——ん? なんだそれは?」
「あ、あのね、落ちてたの。どうしよう、グリムちゃん」
アイソスは手にしていたものを、柔らかな草の上に横たわらせた。
それは人間の女性だった。
軽装の鎧を身につけてはいるが、全身に傷を負っていた。背中側の鎧が引き裂かれ、血を滲ませている。乱れた黒髪にも血を貼りつかせ、幼さをわずかに残す顔を覆っている。
浅い呼吸音が聞こえるため、生きてはいるのだろう。
まさかとは思うが、これが昼飯というわけではないだろうな?
「血がいっぱい出てるの。どうしよう、グリムちゃん。アルビお姉ちゃんのところに連れて行ったらいいかな。ねえ、帰る?」
「助けるのか?」
「うん! だって、痛そうなんだよ。かわいそうだよ。ねえ、連れて帰ろうよ」
「だが、アイソス。儂らのデートはまだ——」
「また来ようよ。ね、早く帰らないとだめだよ」
一旦下ろした人間をアイソスが掴み上げる。すぐにでも飛び立とうと翼を動かし始める。
だが、こんな誰ともわからぬ人間を助けるのか? 儂らのデートを中断してまで? 幼女でもない奴を?
「グリムちゃんも」
アイソスが手を伸ばしてきた。その手を掴みたい。だが掴んだら終わってしまう。くそっ、こんな奴のために儂らの幸せなひとときが。
「アイソス、そいつを下ろせ。儂が癒す」
「え? グリムちゃん、できるの?」
仕方あるまい。ポシェットに入れてきた、とっておきのポーションを取り出す。
これは儂がアイソスとコネクトした際の回復用として持ってきたものだ。現状、コネクトするにはこの幼女の体を傷つけるしか方法がないからな。癒しのポーションは必須だ。
「ありがたく飲めよ。そして、アイソスに感謝しろ」
アイソスには聞こえないように囁き、その女の口に流し込んだ。
「大丈夫、かな」
「見た目よりも大した傷ではなさそうだからな。すぐに良くなるだろう」
「ほんと! よかった! グリムちゃん、ありがとう」
アイソスが儂の顔を舐めてくる。背中が震える。ふあぁぁ、報われたぞコレ。これだけでもポーション分の損失を補って余りある。
女の方は呻き声を漏らしていた。体内より治癒が始まっているのだろう。
「しかしアイソス。昼飯に何も獲ってこなかったのか」
「うん。だってあの人を見つけたから、すぐにグリムちゃんところに戻らなきゃって思ったの。ごめんね、一緒にご飯食べたかったよね」
「そうだな。まあ、気にするなアイソス」
そうだ。悪いのは倒れていたこの女だ。アイソスの優しさにつけ込みおって。まあいい。とりあえずは間に合ったのだから。
「アイソス、これを」
「なあに?」
足下に置いていた花冠を、慎重に慎重に、それはもう慎重に手にした。国宝級の宝石を扱うかの如く両手に載せて、アイソスへと差し出す。
この花冠はひどく脆いのだ。なんとか形を整えることはできたが、その代償がこの壊れ易さだ。
「え、これすごいね、きれいだね。もしかして、グリムちゃんが作ったの?」
「そうだ。上手いものだろう。お前に、と思ってな」
理想には程遠いが、今の儂の精一杯だ。いずれは、この幼女の指からでも極上の美術品を生み出すことができるだろう。待っていてくれ、アイソス。
「さあ、アイソス。頭を」
「うん」
夜空の星のような瞳を一層輝かせながら、アイソスが顔を近づけてきた。もう少しだ。丁寧に扱わねば。さあ、もう少し低く。儂も背伸びをして——。
「あっ、ああーーーーっっ!!」
花冠がアイソスの頭に触れる寸前、突然女の叫び声が響いた。




