049 開放的な高原の閉鎖的な空間
髪よしっ! 法衣よしっ! 聖女の杖よしっ!
昼食よしっ! ヘビさん水筒よしっ!
竜の刺繍のポシェットよしっ!
そして、その中には——くふふっ。そうだっ。もしものことがあるかもしれんからな。必要だな。
ああ、楽しみだ。
「これで万全だ。では行くぞ、アイソス!」
「うんっ!」
——などと意気揚々飛び立ったのだが。
「寒いっ! なぜこんなに寒いのだっ!」
冷気が身を切る。凍えてしまいそうだ。アイソスの掌に包まれてはいるものの、隙間から流れ込む風が体温を奪う。この程度の寒さなど気にかけることもなかったというのに。
そういえば儂が幼女を連れて高所を飛ぶ時は、快適になるような結界で守っていたな。アイソスも儂も魔術は使えない。コネクトしてしまえばいいのだが、それではアイソスの練習にならん。
くそっ、寒冷地用の上着が必要だったか。今後のためにも、そうだな、あのぬいぐるみのようなふわふわの毛皮を調達して、コートを造ってもらわねばな。
「大丈夫、グリムちゃん? いっかい降りる?」
「問題ない。このまま行こう」
「でも、お顔、白いよ」
「な、ならばもう少し。ぎゅっとしてくれるか?」
「うん」
ああ、これも良い。より密着してくるアイソスの手は暖かい。心までも満たされる。
アイソスの飛翔は思った以上にスムーズだ。バランスを崩すこともない。飛ぶ際には大気の流れを捉えるのはもちろん、自らの魔力で補助すれば楽なのだ。だが、魔術を使えないアイソスでも安定的な飛行ができている。儂の体が覚えている、ということなのか?
思えば不思議なことだ。ヤンデルゼによって肉体を入れ替えられたというのに、これほどに順応できるものなのか。
アイソスは入れ替わりの直後ですら竜のブレスを使用できた。飛ぶことにしても、本物の仔竜でさえある程度の練習が必要なはず。
やはり体に染みついた動き——いや、違うな。これは儂とアイソスの相性の問題だ。儂らの相性が良いから、こんなことができるのだ。相性が良いゆえに、入れ替わり、などという術にもかかったと言えるだろう。
そう! それしかあるまいっ。それでいい。こんなにとろふわな気分になれるのだからなっ。
「ねえ、グリムちゃん! あれ!」
「ん、どうした?」
満足いく結論に心を委ねていると、アイソスが覗き込んでいた。
「お山が見えたよ!」
「おお、そうか。あれだ」
「うんっ」
力強く頷くと、抑えきれない様子でアイソスは速度を上げた。寒さに耐えながら頭をのぞかせた儂の目に、山頂の岩場が一気に迫ってくる。
「アイソス! 一旦、あそこに降りよう!」
儂の号令にアイソスは着地した。その衝撃に足元がわずかに崩れる。着地の丁寧さはまだまだ、といったところか。
「ん、んおああぁぁ〜〜〜〜っ」
身体を伸ばしながら声を絞り出す。アイソスの掌の中でこわばった全身に、血が巡りはじめる感覚があった。
「アイソス、お前も。気持ちいいぞ」
「うん。ん、ふああああぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ!!」
柔らかな竜の叫びが山脈に響いた。幼女の欠伸の延長にしか思えんが、その轟きは冷たく張り詰めた大気を震わせている。
「ほんとだ。なんだかすっきりするね、グリムちゃん」
「ああ、そうだろう。それと、もう少しだ。向こうになだらかな傾斜地が見えるだろう? そこで休憩しよう」
短い距離を滑空し、アイソスはその高原に降り立った。
丈の低い草に覆われた一面の緑が日光を反射し輝いている。高度があるとはいえ、風のない今の時間は程よい暖かさを感じることができる。その一角には、白と淡い紫の花弁をもつ花が群生していた。
「すご〜い。きれいね。すごく広くて、気持ちいいね」
「だろう。近くまで行こう」
儂が普段暮らしているのは山脈の中腹あたりだ。周囲は高い樹々に囲まれている。そこと比べれば、この高原はずっと開放感がある。幼女の身からすれば、無限に広がるかのような草原だ。まあ、開けすぎていて居を構えるには落ち着かない場所だが。
「さあ、アイソスも————ぷきゃあぁぁっ!」
ふぁまたかっ。足がもつれ——いや、斜面だっ。緩やかとはいえ、傾斜地でアイソスの方を振り返ったからだっ。
だが、痛くはないぞ。たくさんの花が受け止めてくれたからなっ。
「んわああああああっ!」
あ、アイソスっ!? なぜお前まで花畑にダイブしているのだ!?
竜の巨体が頭から突っ込むと、その衝撃に草花がなぎ倒される。舞い上がった花びらが、まるで祝福しているかのように儂らに降り注ぐ。寝転がるアイソスを染める白と紫。香るほのかな蜜の匂い。口を開けて見惚れてしまった。
「んん〜〜っ。気持ちいいね、面白いね、グリムちゃんっ」
「あ、ああ。そうだな。そう、楽しいだろう?」
「うんっ。ここでいっぱい遊べるね」
アイソスは頭を振って花にこすりつけていた。気に入ってくれて良かった。だが、花ではなく、儂にこすりつけてくれてもいいのだぞ。
「疲れていないか、アイソス?」
「へいきだよ。うん。大丈夫。わたし、れんしゅうできたかな?」
「ああ、十分だ。だから、ゆっくりしてから戻ろう」
「うんっ」
花まみれの頭を撫でてやると、アイソスは満足そうに喉を鳴らし始めた。心地よい響きだ。儂自身、こんな響きを出せただろうか。アイソスだからか? 心を惹きつけて止まない甘い音に、儂の体も引き寄せられる。
ああ、いつまでも……ふあぁ、こうして、いたいな……ぁ……
………………。
…………ではないっ。
眠ってなどいられるかっ。こんな貴重な時間を。いくら幼女の身体が睡眠を欲しようと、無駄に過ごすなどできるかっ。
「なあ、アイソス——」
頭を振って意識を保つ。自らの頬を打って——いや、それはできん。こんな柔らかな宝を打ち据えるなどできようものか。
「アイソス? 眠ってしまったのか?」
必死に起きようとする儂のそばで、寝息が聞こえた。そうか、やはり疲れていたのだな。少し残念だが仕方ない。ゆっくり休むのだぞ。
その間に儂は。
アイソスの尻尾を伝って、その背によじ登った。背中の中心には鋭利な棘状の鱗が尻尾の先まで続いている。儂がアイソスとコネクトした際に利用した部分だ。
そっと撫でると、その時のことが思い出される。あの一体感。とろけるような極上の感覚。ああ、もう一度。いや、何度でも。繋がりたい。いつまでも繋がっていたいのだ。幼女と!
眠るアイソスの呼吸に合わせてわずかに上下する背中。その鱗の動きはまるで儂を誘っているかのようだ。だが——。
「ダメだっ!」
激しく頭を振ってその思いを振り払う。こんな、眠っている隙に襲うようなことができるかっ。そんな下衆なことを、この儂が幼女に対して行うなどできようものかっ。
引きちぎられそうな思いで顔を背けると、折り畳まれた翼が目に入った。初めての遠出で疲れているだろう竜の皮翼は、閉じられたまま動かない。
……ふむ。
これは、好機ではないか?
翼の根元と背中の間にはわずかなスペースがある。見えざる力に引き寄せられ、そこに潜り込んだ。
「おお、やはり。ぴったりではないかっ」
剣撃を弾く鱗も、魔術を遮る皮翼も、決して肌触りが良いわけではない。だが、これはアイソスだ。幼女を秘めた体だ。悪いわけがない。
そう! 儂は今、幼女に包まれているのだからっ!
コネクトは体の内から、今は体の外から、儂は幼女と一体となっている。こんな素晴らしいことができるとはっ。
以前、洞窟でアイソスと眠る時に同じことをお願いした。だが、その時はアイソスにくすぐったがられて、すぐにやめざるを得なかった。
だが、今ならば。この眠っている隙に、十分堪能できるではないかっ。この幼女布団を!
暖かく、落ち着くことのできる、儂だけの空間。翼に遮られ外から儂の体は見えないだろう。ここでなら、いくら舐め回しても、頬擦りしても、問題ない。
いっそのこと服も脱いでしまうか。そのほうが全身で感じることが——いや、まずい。柔らかな肌が傷ついてしまう。
そうだ、甘噛みしてみよう。うむ、硬い。だが幼女の香りだ。竜だが幼女。儂の感覚がそう捉えているのだ。間違いない。
ふああぁぁぁぁぁぁ……。
極上だ。
儂の理想郷は、ここにあったのだな——。




